訪問介護M&Aの留意点|指定の承継・加算リスク・デューデリジェンスの実務を売り手と買い手の両視点で解説

訪問介護M&Aで失敗しない7つの留意点

「後継者がいないまま自分が70歳を迎えてしまった」「2024年度の報酬改定以降、どう頑張っても赤字から抜け出せない」「同業の事業所を譲り受けて拠点を増やしたいが、M&Aは初めてで何から手を付ければよいか分からない」。訪問介護のM&Aを検討される方のお悩みは、おおむねこの3つに集約されます。

訪問介護のM&Aには、株式譲渡か事業譲渡かというスキーム選択、介護保険の指定が承継されないという制度上の制約、統合によって加算が外れるリスクなど、他業種のM&Aにはない固有の留意点が存在します。

本記事では、訪問介護のM&Aで実際に問題となる論点を、売り手・買い手それぞれの立場から実務レベルで整理します。初めてM&Aに臨む方が、何を準備し、どこで専門家に相談すべきかが具体的に分かる内容です。

目次
目次

1. 訪問介護M&Aの市場環境|なぜいま案件が増えているのか

訪問介護のM&Aを検討するうえで、まず押さえておきたいのが市場環境です。「需要は伸びているのに事業者は減っている」という、一見矛盾した状況がいま同時に起きています。この構造を理解しておかないと、売り手は自社の価値を過小評価してしまい、買い手は買収後の収益見通しを誤ります。

事業所数は増え続ける一方、倒産は3年連続で過去最多

訪問介護事業所の数そのものは、いまも増加傾向にあります。厚生労働省「介護サービス施設・事業所調査」によれば、令和6年10月1日時点の訪問介護事業所数は37,264事業所で、前年から359事業所(1.0%)増加しました。居宅サービスのなかでは最大規模のサービス種別です。

その一方で、事業者の倒産は急増しています。東京商工リサーチの調査によると、2025年の訪問介護事業者の倒産は91件(前年比12.3%増)となり、介護保険制度が始まった2000年の調査開始以来、3年連続で過去最多を更新しました。介護事業者全体の倒産176件のうち、およそ半数を訪問介護が占めている計算です。倒産原因は売上不振が8割超を占め、再建よりも破産を選ぶケースが大半となっています。

つまり、新規参入と退出が同時に大量発生している市場だということです。参入障壁が低く(大規模な設備投資が不要)、その裏返しとして小規模事業者が多数存在するため、環境が悪化すると一気に淘汰が進みます。M&Aの観点でいえば、売り手候補が構造的に増え続けている市場だと理解することもできます。

なお、経営主体の内訳も押さえておくと交渉の見通しが立てやすくなります。厚生労働省「令和5年介護サービス施設・事業所調査の概況」では、訪問介護の経営主体は営利法人(会社)が72.2%と圧倒的多数を占め、以下、社会福祉法人14.4%、医療法人5.4%、NPO法人4.1%と続きます。7割超が株式会社等であるという事実は、後述するスキーム選択に直結します。

参考:厚生労働省「令和5年介護サービス施設・事業所調査の概況」 https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/kaigo/service23/dl/gaikyo.pdf

2024年度報酬改定が収益構造に与えた影響

訪問介護のM&Aを語るうえで避けて通れないのが、2024年度(令和6年度)の介護報酬改定です。この改定では全体の改定率が+1.59%とプラスであったにもかかわらず、訪問介護の基本報酬だけが引き下げられました。身体介護・生活援助ともに約2%の減額で、たとえば生活援助の45分以上は225単位から220単位へ、通院等乗降介助は99単位から97単位へと改定されています。

厚生労働省の説明としては「処遇改善加算で高い加算率を設定したので、そちらで補填される」という建付けでした。しかし実務上、この論理は成立しませんでした。処遇改善加算は賃金改善に充てることが義務づけられた紐付き財源であり、事業者の利益として残りません。一方で削られた基本報酬は、そのまま営業利益を直撃します。結果として、収入は横ばいでも手残りだけが減るという構造が生まれました。

訪問介護は公定価格のビジネスであるため、物価上昇分や人件費上昇分を価格に転嫁できません。この改定は、もともと利益率の低い小規模事業者にとって決定的な打撃となりました。2025年の倒産急増は、この改定の影響が1年半かけて顕在化した結果と見るべきです。

注意点
買い手の方は、売り手から提示される業績資料の対象期間を必ず確認してください。2024年3月期以前の数字は改定前の水準であり、現在の収益力を示していません。バリュエーションの基礎とすべきは、2025年3月期以降の実績です。売り手の方も、改定前の好調期の数字を根拠に価格を主張すると、交渉が長引く原因になります。

2026年6月の臨時改定で状況は変わったのか

2026年6月、通常3年ごとの改定を待たずに介護報酬の臨時改定が実施されました。改定率は+2.03%です。内訳は処遇改善対応分が+1.95%、施設の食費基準費用額の見直し分が+0.09%となっており、介護従事者全体に月1万円、生産性向上に取り組む事業所の介護職員にはさらに月7,000円を上乗せして最大月1.9万円の賃上げを実現する、という設計です。

この臨時改定を「訪問介護の収益環境が改善した」と受け取るのは早計です。押さえるべき点は2つあります。第一に、2024年度に引き下げられた基本報酬は元に戻っていません。第二に、引き上げ分のほぼ全額が処遇改善に紐づいており、賃上げの原資として使うことが前提です。つまり、事業者の営業利益を改善する性質のお金ではありません。

M&Aの実務でいえば、この臨時改定は「収益改善要因」ではなく「加算取得体制の巧拙が収益差になる要因」と捉えるべきです。処遇改善加算は区分が再編され、上位区分を取れるかどうかで加算率が大きく変わります。要件を満たす体制を整えられる事業者と、書類作成の負担に耐えられない零細事業者との差は、今後さらに開いていきます。

ポイント
買い手にとって、この構造はむしろ好機です。加算の上位区分を取得するノウハウを持っていれば、要件未充足のまま経営している事業所を譲り受けて加算を取得させるだけで収益が改善します。売り手の方は、加算未取得であること自体を「価値がない証拠」と考える必要はありません。買い手から見れば伸びしろとして評価される要素です。

売り手が増え、買い手の目線は厳しくなる局面

以上を整理すると、訪問介護M&A市場は次のような局面にあります。売り手側は、報酬改定と人手不足、経営者の高齢化が重なり、譲渡を検討する事業者が構造的に増えています。倒産91件はあくまで法的整理に至ったケースの数であり、その手前で休廃業・解散を選ぶ事業者を含めれば、市場から消えていく事業所は毎年その数倍にのぼります。

買い手側は、案件の選択肢が増えた分、目線が厳しくなっています。かつては「訪問介護なら何でも欲しい」という時期もありましたが、現在は収益性・人員体制・エリアの3点で選別されます。特に、既存拠点と地理的に離れた単独事業所は敬遠される傾向があります。訪問介護は人材確保が生命線であり、一定エリアに拠点を集積させるドミナント戦略でなければ採用効率が上がらないためです。

この非対称性から導かれる実務的な示唆は明確です。売り手の方にとって最も重要なのは、動き出すタイミングです。資金繰りが行き詰まってから相談に来られるケースが非常に多いのですが、その段階では買い手に足元を見られ、条件交渉の余地がほとんど残りません。売上不振が倒産原因の8割を占めるという事実は、裏を返せば「手遅れになってから動いた事業者が多い」ことを意味します。

2. スキーム選択|訪問介護では何が変わるのか

M&Aの手法(スキーム)は複数ありますが、訪問介護では株式譲渡と事業譲渡のいずれかが選ばれるのが一般的です。そして、この選択が後続のすべての実務に影響します。特に介護保険の指定の扱いが根本的に変わるため、他業種のM&A以上に慎重な検討が必要です。

株式譲渡と事業譲渡の本質的な違い

株式譲渡は、売り手企業の株式を買い手に売却する手法です。会社そのものの所有者が変わるだけで、会社が持つ資産・負債・契約・許認可はすべてそのまま維持されます。訪問介護においては、介護保険の指定も会社に紐づいたまま存続するため、事業を止めることなく経営権を移転できます。手続きが簡便で、実務上は法人の代表者に関する変更届(変更後10日以内の提出)を出せば足りるケースが大半です。

事業譲渡は、会社の一部または全部の「事業」を切り出して売買する手法です。譲渡対象を個別に特定して移転させるため、承継する資産・負債・契約を選別できます。この選別可能性こそが事業譲渡の最大の利点であり、簿外債務を遮断したい買い手が好んで選ぶ理由です。

ただし、事業譲渡では契約が自動的に承継されないため、利用者との契約も従業員との雇用契約も個別に締結し直す必要があります。そして最大の論点として、介護保険の指定が承継されません。この点は極めて重要なので、章を改めて詳しく解説します。

比較項目株式譲渡事業譲渡
対象会社の株式(会社ごと)特定の事業(選別可能)
介護保険の指定そのまま維持される承継されない(新規指定が必要)
利用者との契約そのまま継続個別に再契約が必要
従業員の雇用契約そのまま継続個別に再締結が必要
簿外債務原則すべて引き継ぐ遮断できる
譲渡対価の受取人株主(経営者個人)会社(法人)
売り手側の課税株式譲渡益に20.315%の分離課税法人税等(会社に課税)
買い手側の消費税課税なし課税資産の譲渡に消費税が発生
手続きの重さ比較的軽い重い(再指定・再契約が発生)
適する場面事業が単一で簿外リスクが小さい複数事業からの切り出し、リスク遮断

なお、売り手にとって見落とされがちなのが対価の受取人の違いです。株式譲渡では、対価が株主である経営者個人に入り株式譲渡益に対して20.315%(所得税15%、復興特別所得税0.315%、住民税5%)の申告分離課税で完結します。事業譲渡では、対価が会社に入るため法人税等が課され、さらに経営者個人が資金を受け取るには役員退職金や配当などの手当てが別途必要になります。手取り額に大きな差が生じる論点です。

買い手側で見落とされやすいのが、事業譲渡に伴う消費税です。事業譲渡ではのれんを含む課税資産の移転に消費税が課されますが、ここに訪問介護固有の事情が重なります。介護保険法に基づく居宅サービスの提供は消費税が非課税とされているため、譲受法人の課税売上割合は低くなります。その結果、事業譲渡の際に支払った消費税を仕入税額控除で回収しきれず、実質的なコストとして残る可能性があります。譲渡対価の何%かがそのまま持ち出しになり得る論点であり、価格交渉の前に試算しておくべきです。

注意点
税務の取扱いは個々の事情により異なり、また税制改正の影響も受けます。高額の譲渡では、いわゆるミニマムタックス(極めて高い水準の所得に対する負担の適正化措置)の適用可否も論点になり得ます。実際の手取り試算は、必ず税理士に個別に確認してください。

売り手の法人格でスキームはほぼ決まる

スキーム選択は自由に行えるように見えますが、実際には売り手の法人格によって絞られます。株式譲渡が可能なのは株式会社などの営利法人に限られるためです。

前述のとおり訪問介護の経営主体は営利法人が72.2%を占めるため、母集団の7割超では株式譲渡が選択肢に入ります。残りの約3割、すなわち社会福祉法人(14.4%)・医療法人(5.4%)・NPO法人(4.1%)などが売り手の場合、株式譲渡という手法は存在しません。事業譲渡または吸収合併で進めることになります。

売り手の法人格取り得るスキーム主な留意点
株式会社・有限会社株式譲渡/事業譲渡/会社分割最も選択肢が広い。簿外債務の有無でスキームを決める
社会福祉法人事業譲渡/合併所轄庁の認可、理事会・評議員会の決議が必要。意思決定に時間を要する
医療法人事業譲渡/合併/出資持分の譲渡持分の有無で難易度が変わる。社員総会決議や都道府県への手続きが必要
NPO法人事業譲渡/合併総会決議、所轄庁への手続きが必要
個人事業事業譲渡のみ法人格がないため株式譲渡は不可

ここで強調しておきたいのは、株式譲渡ができないことは案件性を否定する要素ではないという点です。「社会福祉法人だから買えない」ということはなく、事業譲渡で進めれば問題なく成立します。実際、介護業界では営利法人同士のM&Aであっても、簿外債務の遮断を目的に事業譲渡が選ばれるケースが多数あります。

ただし、社会福祉法人・医療法人が相手方の場合はスケジュール設計に余裕を持たせてください。所轄庁の認可や理事会・評議員会の決議といった手続きが挟まるため、営利法人同士より意思決定に時間がかかります。

会社分割という選択肢とその実務上の限界

複数事業を営む法人から訪問介護事業だけを切り出す場合、会社分割という手法もあります。会社分割は権利義務を包括的に承継させる組織再編行為であり、個別の契約移転手続きが原則不要という点で事業譲渡より軽く見えます。

しかし、訪問介護に関していえば、会社分割を選んでも介護保険の指定は承継されません。許認可の承継可否は会社法ではなく、それぞれの業種の業法が定めるためです。建設業や一般貨物自動車運送事業のように事業譲渡でも承継できる業種がある一方、介護保険サービスは会社分割でも承継できない業種に該当します。「会社分割なら許認可が引き継げる」という一般論を訪問介護に当てはめると、実務で必ず躓きます。

なお、労務面では会社分割と事業譲渡で扱いが異なります。会社分割には労働契約承継法が適用され、承継対象事業に主として従事する労働者の労働契約は原則として包括的に承継されます(同法所定の通知・異議申出手続きは必要です)。一方、事業譲渡には同法の適用がなく、従業員一人ひとりの個別同意がなければ雇用契約は移転しません。「事業譲渡でも労働契約承継法の手続きが必要」と説明する解説が散見されますが、これは誤りです。

加えて、会社分割は債権者保護手続きや登記が必要となり、スキーム設計に専門家の関与が不可欠です。小規模な訪問介護事業所のM&Aでは、コストと手間に見合わないケースがほとんどです。実務上は、株式譲渡か事業譲渡のどちらかで組むのが現実的な選択となります。

ポイント
スキーム選択で最初に確認すべき問いは3つです。第一に、売り手の法人格は何か。第二に、売り手法人が訪問介護以外の事業を持っているか。第三に、労務や税務に簿外リスクの懸念があるか。この3点が整理できれば、取り得るスキームが見えてきます。逆に、この整理をせずに価格交渉から入ると、後で手法を組み替えることになり、交渉が振り出しに戻ります。

株式譲渡・事業譲渡・会社分割それぞれの特徴と使い分けについては、以下の記事で詳しく比較していますので、あわせてご覧ください。
株式譲渡・事業譲渡・会社分割の違いとメリット・デメリットを徹底比較|最適なスキームの選び方

3. 最大の落とし穴|介護保険の指定は承継されない

訪問介護のM&Aにおいて、最も多くのトラブルを生んでいるのが指定の取扱いです。ここを理解しないまま事業譲渡を進めると、譲渡日以降に介護報酬を1円も請求できないという事態が現実に起こり得ます。売り手・買い手のどちらにとっても致命的な論点です。

指定は「法人」ではなく「事業所」に対して行われる

前提として、介護保険の指定は「法人に対して、事業所ごとに」行われます。訪問介護の場合、介護保険法第70条に基づき都道府県知事(政令指定都市・中核市ではその市長)から指定居宅サービス事業者の指定を受ける必要があります。この指定がなければ、同法第41条の居宅介護サービス費、すなわち介護報酬の支給対象になりません。

この「法人に対して」という部分が重要です。運営する法人が変われば、その法人に対して行われていた指定の効力は消滅します。したがって、事業譲渡・吸収合併・吸収分割・新設合併・新設分割のいずれの形をとっても、事業を引き継ぐ側の法人があらためて指定を受ける必要があります。厚生労働省の介護サービス関係Q&Aでも、A法人がB法人に吸収合併され、B法人がA法人の事業所を引き継ぐ場合について、B法人の事業所として申請に基づき指定を行う必要があると整理されています。

そしてもう一つ、買い手側で誤解が生じやすいのが「事業所ごと」という部分です。すでに他の場所で訪問介護の指定を受けている法人であっても、譲り受ける事業所については新規に指定を取得しなければなりません。既存の指定が新しい事業所をカバーすることはありません。

注意点
「うちはすでに訪問介護をやっているから指定の問題はない」という理解は誤りです。指定は事業所単位で行われるため、既存事業者であっても譲受事業所の新規指定申請は必須です。ただし、申請手続きに習熟している分、他業種からの新規参入に比べて難易度が大幅に低いことは事実です。

空白期間が生じると介護報酬を請求できない

指定申請には審査期間が必要です。指定日の前月あるいは前々月に申請締切を設けている自治体が多く、申請から指定までおおむね1〜2か月を見込んでおく必要があります。締切日も必要書類も自治体ごとに異なるため、一般論で計画を立てるのは危険です。

ここで問題になるのが、譲渡実行日と指定日のズレです。仮に3月15日に事業譲渡を実行し、買い手法人の指定日が4月1日だった場合、3月16日から3月31日までの半月間は、買い手法人が指定を持たないままサービスを提供することになります。この期間の介護報酬は請求できません。それどころか、無指定でのサービス提供という運営基準違反の問題にも発展しかねません。

逆に、売り手法人が指定の廃止届を早く出しすぎた場合も同じ問題が起きます。廃止と新規指定の間に1日でも空白があれば、その日の報酬は失われます。訪問介護は毎日サービスを提供している事業ですから、空白期間の発生は利用者への影響にも直結します。

クロージング日は指定日から逆算して設計する

この問題への対処法は明快です。クロージング(譲渡実行)日を先に決めるのではなく、指定日から逆算してスケジュールを組むことです。実務では、買い手法人の新規指定日と売り手法人の廃止日を同日付で接続させ、その日をクロージング日とするのが基本形になります。

そのためには、基本合意の締結後、できるだけ早い段階で指定権者(都道府県・政令市・中核市の介護保険担当課)に事前相談を行うことが不可欠です。自治体によって必要書類や運用が異なるため、机上の想定だけで進めるのは危険です。特に、管理者やサービス提供責任者が変更になる場合は、要件充足の判断について事前確認が必要です。

なお、指定申請には人員基準の充足が前提となります。訪問介護の場合、管理者(原則として常勤専従1人。支障がなければ兼務可)、サービス提供責任者(利用者40人に1人以上)、訪問介護員等(常勤換算2.5人以上)の配置が必要です。つまり、従業員の移籍について目処が立っていなければ指定申請自体ができません。「従業員の同意取得」と「指定申請」は依存関係にあり、この順序を意識してスケジュールを引く必要があります。

ポイント
事業譲渡でのスケジュール設計は、次の順で逆算します。希望する事業開始日(=指定日)を決め、そこから自治体の申請締切日を確認し、さらにその前に従業員の移籍同意と利用者への説明を完了させる、という順序です。実務上、基本合意からクロージングまで最低でも3か月、社会福祉法人が絡む場合は半年程度を見込んでおくと安全です。

吸収合併等に伴う事務簡素化の通知を活用する

指定を取り直す必要がある、というと非常に重い手続きに聞こえますが、国の通知によって負担は相当程度軽減されています。介護分野では、令和2年8月に発出された「介護保険最新情報vol.862」において、事業所の吸収分割等に伴う指定の取扱いが整理され、事務の簡素化が図られました。

この簡素化の趣旨は、法人格が変わるだけで事業所の実態(施設・設備・職員)が実質的に継続している場合、あらためてゼロから全書類を揃える必要はない、というものです。指定権者が「吸収合併等の前後で事業所が実質的に継続して運営されている」と判断できる場合には、変更部分のみの届出で足りる運用が可能とされています。

ただし、この簡素化の適用可否や具体的な運用は指定権者によって差があります。「通知があるから簡単に済むはずだ」と決めつけず、必ず所管の自治体に個別確認してください。なお、障害福祉サービス(居宅介護など)を併営している事業所の場合は、厚生労働省・こども家庭庁が令和6年6月21日付で発出した事務連絡により、障害福祉側でも同様の簡素化が整理されています。訪問介護と居宅介護を併営している事業所では、介護保険側と障害福祉側の双方で手続きが必要になる点に注意が必要です。

注意点
訪問介護事業者は、障害者総合支援法に基づく居宅介護の指定も併せて取得しているケースが少なくありません。サービス内容が類似しているためです。買い手の方は、譲渡対象に障害福祉サービスが含まれていないかを初期段階で必ず確認してください。含まれている場合、指定手続きは二系統になり、所要期間も変わります。

介護分野における許認可・指定承継の手続きと注意点は、以下の記事でも実務目線で整理していますので、参考にしてください。
訪問看護・介護事業のM&Aにおける留意点|許認可・DD・PMIの実務まで徹底解説

4. 加算の承継リスク|統合すると売上の2割が消えることがある

訪問介護のM&Aで、指定の次に見落とされやすいのが加算の取扱いです。ここはバリュエーションに直接跳ね返る重要論点です。買い手がすでに訪問介護を運営していて、譲受事業所を自社の既存事業所に統合しようとする場合に問題が顕在化します。

特定事業所加算の構造を理解する

訪問介護の加算のなかで、収益インパクトが最も大きいのが特定事業所加算です。2024年度改定により、区分は(Ⅰ)から(Ⅴ)までの5つに再編されました。

区分加算率主な性格
特定事業所加算(Ⅰ)所定単位数×20/100最上位区分。人材要件・重度者等対応要件をいずれも満たす
特定事業所加算(Ⅱ)所定単位数×10/100人材要件を満たす(重度者等対応要件は不要)
特定事業所加算(Ⅲ)所定単位数×10/100サービス提供体制要件と重度者等対応要件を満たす
特定事業所加算(Ⅳ)所定単位数×3/100サービス提供体制要件を満たす
特定事業所加算(Ⅴ)所定単位数×3/100中山間地域等での継続的なサービス提供を評価

加算(Ⅰ)は所定単位数の20%が上乗せされます。これは訪問介護の収益構造において決定的な差です。基本報酬が2%引き下げられた2024年度改定の減収分を、加算の取得で十分に取り返せる規模だと考えれば、そのインパクトが分かります。

算定要件は、大きく体制要件・人材要件・重度者等対応要件の3層で構成されます。体制要件は計画的な研修の実施、会議の定期的開催、文書等による指示とサービス提供後の報告、定期健康診断の実施、緊急時における対応方法の明示などで、全区分に共通します。人材要件と重度者等対応要件は区分ごとに求められる内容が異なります。

有資格者比率のダイルーションで加算が外れる

人材要件は2種類あります。ひとつが有資格者比率の要件で、訪問介護員等のうち介護福祉士の占める割合が30%以上、または介護福祉士・実務者研修修了者・介護職員基礎研修課程修了者・1級課程修了者の占める割合が50%以上であることです。もうひとつがサービス提供責任者の実務経験要件で、これは次項で解説します。

区分ごとの違いを正確に押さえてください。加算(Ⅰ)はこの2つの要件を「両方」満たす必要があるのに対し、加算(Ⅱ)は「いずれか一方」で足ります。加算(Ⅲ)(Ⅳ)ではこれらに代えて、基準を上回る常勤のサービス提供責任者を1人以上配置していること、または訪問介護員等のうち勤続年数7年以上の者が30%以上であること、のいずれかが求められます。加算(Ⅰ)(Ⅲ)はさらに重度者等対応要件(要介護4・5、認知症高齢者の日常生活自立度Ⅲ以上、たんの吸引等を必要とする利用者が20%以上、または看取り期の利用者への対応実績が1人以上)を満たす必要があります。

なお、有資格者比率の判定は実人数ではなく常勤換算方法によって行い、前年度(3月を除く)の平均、または届出日の属する月の前3か月の平均で算定します。パートタイムのヘルパーが多い事業所では、実人数の感覚と常勤換算の結果が大きくずれることがあるため、必ず換算後の数値で確認してください。

ここで注意すべきは、この判定が事業所単位で行われるという点です。譲受した事業所を独立した事業所として維持する場合、買い手の既存事業所の比率は影響を受けません。しかし、買い手の既存事業所に譲受した従業員を吸収統合する場合には、比率の分母が一気に膨らみます。

例えば、買い手の既存事業所に訪問介護員が常勤換算20.0人おり、うち介護福祉士が7.0人(35.0%)で加算(Ⅰ)を算定していたとします。ここに、譲受事業所の訪問介護員10.0人(うち介護福祉士1.0人)を統合すると、合計30.0人中8.0人となり、比率は26.7%まで低下します。30%の要件を割り込み、加算が算定できなくなります。

加算(Ⅰ)を失うと、所定単位数の1.20倍だった報酬が1.00倍になります。この部分だけを見た減収率は約16.7%です。所定単位数ベースで年間8,000万円の事業所であれば、特定事業所加算(Ⅰ)による上乗せ1,600万円が丸ごと失われます。しかも影響はここで止まりません。処遇改善加算はサービス提供にかかる総単位数に加算率を乗じて算定されるため、特定事業所加算が外れると総単位数が減り、処遇改善加算の額も連動して目減りします。買収によって得られる増収分を上回る損失が生じることも、決して珍しくありません。

注意点
ダイルーションのリスクは、統合の仕方によって回避できます。譲受事業所を独立した事業所として維持すれば、既存事業所の比率は守られます。その場合、譲受事業所側で人員基準と加算要件を単独で満たす必要があります。「統合して効率化する」か「独立を維持して加算を守る」かは、収支インパクトを試算したうえで判断すべき経営判断です。

サービス提供責任者は「全員要件」

比率要件よりも先に引っかかりやすいのが、サービス提供責任者(サ責)の実務経験要件です。この要件は、「すべてのサービス提供責任者」が、3年以上の実務経験を有する介護福祉士、または5年以上の実務経験を有する実務者研修修了者・介護職員基礎研修課程修了者・1級課程修了者であることを求めています。

これは比率ではなく全員要件です。したがって、要件を満たさないサ責を1名でも受け入れた時点で、この要件は満たせなくなります。ダイルーションのように「何%まで大丈夫か」という計算が効かず、一発で失格になる論点です。加算(Ⅰ)は有資格者比率要件とこのサ責要件の両方が必要ですから、サ責要件を落とした瞬間に加算(Ⅰ)は算定できません。加算(Ⅱ)はいずれか一方で足りるため、有資格者比率が維持できていれば残せます。ここを取り違えると、価格交渉での減価幅の見積もりを誤ります。

加算(Ⅲ)(Ⅳ)のサービス提供体制要件でも、注意すべき論点があります。ここで問題になるのが勤続年数の扱いです。事業譲渡では雇用契約を締結し直すため、新規移籍者の勤続年数がリセットされる扱いになるのかどうかが論点になります。この判断は自治体によって分かれ得るため、事前照会が必要です。

デューデリジェンスで取得すべき名簿と検証手順

加算リスクを事前に潰すために、デューデリジェンスの段階で必ず取得すべき資料があります。譲渡対象となる訪問介護員およびサービス提供責任者について、氏名(匿名化可)・保有資格・資格取得年月・入社年月・雇用形態・常勤換算の勤務時間が一覧化された名簿です。

この名簿をもとに、統合後の比率をシミュレーションします。検証すべきは次の4点です。第一に、介護福祉士比率30%または有資格者比率50%を統合後も維持できるか。第二に、統合後のサービス提供責任者が全員、実務経験要件を満たすか。第三に、勤続年数7年以上の比率がどう変化するか。第四に、重度者等対応要件(要介護4・5、認知症高齢者の日常生活自立度Ⅲ以上、たんの吸引等を必要とする利用者が20%以上、または看取り期の利用者への対応実績が1人以上)を満たせるか。

この検証結果は、そのまま価格交渉の材料になります。加算の維持が困難であれば、それは買い手にとって明確な減価要因です。逆に、統合しても加算が維持できると確認できれば、安心して価格を提示できます。売り手の方も、この名簿を早い段階で整理しておくことで、買い手の不安を先回りして解消でき、交渉がスムーズに進みます。

ポイント
売り手の方への実務的な助言として、譲渡を検討し始めた段階で従業員の資格取得を支援しておくことをおすすめします。無資格者に初任者研修を、初任者研修修了者に実務者研修を受講してもらうだけで、加算要件の充足度が変わります。これは買い手から見た事業価値を直接的に押し上げる投資であり、譲渡価格に反映されやすい改善です。

報酬改定や制度変更が事業価値をどう左右するかについては、障害福祉分野を題材にした以下の記事も参考になります。
障害福祉事業のM&A留意点|サービス種別ごとの違いと、総量規制・報酬改定が価値を決める理由

5. 訪問介護のデューデリジェンス|どこを見るべきか

デューデリジェンス(買収監査)は、買い手が売り手企業のリスクを洗い出すプロセスです。訪問介護には業種特有の論点が多く、一般的な財務・法務チェックだけでは不十分です。ここでは、実務で必ず確認すべき項目を4つの観点から整理します。売り手の方も、この項目を事前に自己点検しておくことで、交渉での不意打ちを避けられます。

財務|実態利益と簿外債務

まず確認すべきは、決算書に表れている利益が実態を反映しているかどうかです。中小の訪問介護事業所では、経営者やその親族に対する役員報酬が実態と乖離している、私的経費が経費計上されている、逆に経営者が無報酬で現場に出ているといったケースがよく見られます。これらを正常化した実態利益(正常収益力)を算定しないと、価格の基礎が誤ります。

訪問介護で見落とされやすいのが、経営者自身が管理者やサービス提供責任者を兼務している場合です。譲渡後にその方が退任すれば、代わりの人材を採用する人件費が新たに発生します。この将来コストを織り込まないと、買収後に想定外の赤字が出ます。

あわせて確認しておきたいのが、経営情報の報告状況です。2024年度(令和6年度)の介護保険法改正により、原則としてすべての介護サービス事業者に、損益に関する経営情報を毎会計年度終了後3か月以内に都道府県知事へ届け出る義務が課されました。この報告に対応できている事業所は、会計区分が整理されており、デューデリジェンスもスムーズに進みます。未対応の事業所は、事業所別の損益が把握されていない可能性が高く、実態利益の算定に追加の作業が必要になります。

簿外債務の観点では、未払残業代、社会保険の未加入・遡及リスク、退職給付債務、リース債務の簿外処理などを確認します。株式譲渡ではこれらをすべて引き継ぐことになるため、表明保証と補償条項による手当てが必要です。事業譲渡であれば承継対象から除外できますが、その分だけ再指定と再契約の手間が生じます。

労務|訪問介護特有の論点

訪問介護のデューデリジェンスにおいて、リスクが高いのが労務です。この業種には他業種にない固有の論点が複数あります。

第一に、移動時間の取扱いです。訪問介護の介護報酬はサービス提供時間に応じて算定されるため、利用者宅間の移動時間には報酬がつきません。しかし、労働基準法上は、事業所の指揮命令下にある移動時間は労働時間に該当し得ます。この整理があいまいなまま運用している事業所は少なくなく、未払賃金の潜在債務となります。

第二に、登録ヘルパー(サービス提供時間に応じて報酬が支払われる雇用形態)の労務管理です。キャンセル時の休業手当、年次有給休暇の付与、社会保険の適用基準など、論点が多岐にわたります。労働時間管理の記録が残っていないケースも多く、遡及リスクの算定が難しい領域です。

第三に、常勤換算の実態と届出内容の整合です。人員基準を満たすために届出上は配置されていることになっているが、実際の勤務実態が伴っていない、というケースがあります。これが運営指導で発覚すると、人員基準違反として介護報酬の返還を求められる可能性があります。

注意点
訪問介護のM&Aでは、財務デューデリジェンスと同等以上に労務デューデリジェンスが重要です。買い手の方は、弁護士・社会保険労務士を含めた体制で臨むことをおすすめします。売り手の方も、労務面の不備は隠しても必ず発覚します。事前に把握し、正直に開示したうえで価格に織り込むほうが、後の紛争を避けられます。

事業|利用者構成とケアマネ紹介元の集中度

事業面では、売上の質を見極めます。まず利用者数の推移と要介護度別の構成です。要介護度が高い利用者は単価が高く収益性に寄与しますが、同時に身体介護中心となるため有資格者の確保が必要になります。逆に、生活援助中心・軽度者中心の構成は単価が低く、報酬改定の影響を受けやすい性質があります。

次に確認すべきが、ケアマネジャー(居宅介護支援事業所)からの紹介元の集中度です。訪問介護の新規利用者は、ほぼすべてケアマネジャーの紹介経由で獲得されます。特定の1〜2事業所からの紹介に依存している場合、そのケアマネジャーとの関係が経営者個人に紐づいていれば、譲渡後に紹介が止まるリスクがあります。

これは訪問介護のM&Aで実際によく起きる失敗パターンです。「利用者は引き継げたが、新規紹介が来なくなり、自然減で1年後には半分になった」という事態を避けるには、紹介元の分散状況と、関係が属人的か組織的かを見極める必要があります。売り手経営者に一定期間の引継ぎ支援(顧問就任など)を依頼するのが、実務上の定石です。

あわせて、同一建物減算の適用状況も確認します。サービス付き高齢者向け住宅や住宅型有料老人ホームに併設して訪問介護を提供している場合、同一建物に居住する利用者への訪問には減算が適用されます。この場合、売上の構造が一般の訪問介護と大きく異なり、また併設施設との関係が切れると事業が成立しなくなるリスクもあります。

法務・コンプライアンス|運営指導の指摘事項と返還リスク

介護事業は指定を受けて運営する事業である以上、行政との関係が事業の生命線です。デューデリジェンスでは、過去の運営指導(実地指導)や監査の記録、指摘事項とその改善状況を必ず確認します。

重要なのは、指摘事項の改善責任が承継先に移るという点です。大きな指摘を受けたまま改善されずに事業が存続し、これを承継した場合、改善義務は買い手が負うことになります。また、過去の不適切な請求が判明した場合、介護報酬の返還請求が行われる可能性があります。返還額は数年分に遡ることもあり、事業規模によっては買収価格を上回る負担となり得ます。

あわせて、指定の有効期間も確認してください。介護保険の指定には6年の有効期間があり、更新が必要です。更新時期が譲渡直後に到来する場合、スケジュールに織り込んでおく必要があります。

その他、利用者との契約書・重要事項説明書の整備状況、個人情報保護体制、損害賠償保険の加入状況、過去の事故報告と対応記録なども確認対象です。訪問介護は利用者の居宅に立ち入る事業であり、事故や紛失トラブルのリスクが構造的に存在します。

  • 過去3〜5期分の決算書、月次試算表、介護報酬の請求実績(国保連請求データ)
  • 役員報酬・私的経費の内訳(実態利益の算定用)
  • 訪問介護員・サービス提供責任者の名簿(資格・入社年月・雇用形態・勤務時間)
  • 就業規則、雇用契約書、賃金台帳、勤怠記録(移動時間の取扱いを含む)
  • 社会保険の加入状況一覧と未加入者の有無
  • 利用者一覧(要介護度別・紹介元ケアマネ別・同一建物該当の有無)
  • 加算の届出内容と算定実績
  • 運営指導・監査の記録と指摘事項、改善報告書
  • 指定通知書(指定年月日・有効期間)と各種変更届の控え
  • 利用者との契約書・重要事項説明書の雛形と締結状況
  • 事故報告書、苦情対応記録
  • 賃貸借契約書(事業所の物件)、リース契約書、車両関係

未払残業代や常勤換算など労務面のデューデリジェンスの進め方は、以下の記事で詳しく解説していますので、あわせてご覧ください。
M&Aで買い手が押さえるべき人事労務の留意点|未払残業代・制度統合・リテンションの実務

6. 人が辞めればディールは失敗する|従業員と利用者の扱い

訪問介護は、設備でも不動産でもなく「人」がサービスそのものである事業です。したがって、M&Aの成否は最終的に人の定着で決まります。契約書の精緻さや価格の妥当性以上に、この点への配慮が結果を左右します。

サービス提供責任者と管理者の継続が最優先

訪問介護の運営において、サービス提供責任者と管理者は代替が極めて困難なポジションです。サービス提供責任者は訪問介護計画の作成、ヘルパーへの指示・調整、ケアマネジャーとの折衝を担っており、この機能が失われると事業所は実質的に回りません。

制度上の問題として、これらの人材が離職すると人員基準を満たせなくなる可能性があります。人員基準を割れば指定の維持自体が危うくなり、加算も算定できなくなります。つまり、キーマンの離職は単なる戦力ダウンではなく、事業の存立そのものに関わります。

実務上は、キーパーソンの継続勤務をクロージングの前提条件(クロージング条件)として最終契約に盛り込む、あるいは一定期間の継続勤務を条件としたリテンションボーナスを設計する、といった手当てを行います。売り手経営者に対しても、譲渡後6か月から1年程度の顧問就任を依頼し、引継ぎとケアマネジャーへの紹介を担ってもらうのが一般的です。

従業員への開示タイミングをどう設計するか

M&Aの検討を従業員にいつ伝えるか、という問題は実務で常に悩ましい論点です。一般論としては、交渉が確定するまでは開示しないのが原則とされています。決まっていない段階で伝えても、従業員に不安を与えるだけで、かえって離職を誘発するためです。

ただし、訪問介護では例外的な配慮が必要になる場面があります。事業譲渡の場合、従業員一人ひとりから移籍の同意を得なければ買い手法人の指定申請ができません。つまり、クロージング前の一定時点で必ず開示せざるを得ない構造になっています。株式譲渡であれば従業員への影響が形式上は小さいため、クロージング後の開示も選択できますが、事業譲渡ではそれができません。

また、サービス提供責任者などのキーマンについては、あえて早期に開示し、相談しながら進めるという判断が有効な場合もあります。キーマンが後から知って不信感を抱くリスクと、早期開示による情報漏洩リスクを天秤にかけた経営判断です。いずれにせよ、開示の順序・タイミング・伝え方は、専門家を交えて事前に設計しておくべき事項です。

ポイント
開示の設計で重要なのは、「何を伝えるか」以上に「不安を打ち消す材料を同時に示せるか」です。雇用条件の維持、勤務地の継続、担当利用者の変更がないこと、給与水準や有給休暇の引継ぎなど、従業員が最も気にする点について、買い手から明確な回答を用意したうえで開示に臨んでください。

利用者は事業所ではなく担当ヘルパーに紐づいている

訪問介護の利用者は、自宅に上がってくる特定のヘルパーとの信頼関係でサービスを継続しています。事業所名やロゴで選んでいるわけではありません。この構造を理解しておくことが、譲渡後の利用者維持に直結します。

言い換えれば、担当ヘルパーの離職は利用者の離脱に直結します。ヘルパーが競合事業所に移れば、担当していた利用者もそちらへ移ってしまう、ということが現実に起こります。買い手の方は、この点を踏まえて人材の定着策を最優先で設計してください。

利用者への説明も丁寧に行う必要があります。事業譲渡の場合は契約の再締結が必要になるため、利用者およびご家族に対して、運営法人が変わること、サービス内容と担当ヘルパーは変わらないこと、費用負担に変更がないことを個別に説明します。この説明を担うのは、多くの場合サービス提供責任者です。だからこそ、キーマンの継続が利用者維持にも効いてきます。

ケアマネジャーへの説明も忘れてはなりません。ケアマネジャーは利用者に事業所を紹介する立場であり、運営法人が変わったことを不安視すれば、新規紹介が止まります。譲渡後速やかに、買い手法人の代表者と売り手経営者が揃って主要な居宅介護支援事業所を訪問し、体制が維持されることを直接説明するのが望ましい対応です。

M&Aによって従業員の雇用や待遇がどう変わるか、開示のタイミングも含めて以下の記事で整理しています。
M&Aで従業員はどうなる?雇用・待遇への影響と経営者が取るべき対応を徹底解説

7. 訪問介護の企業価値評価と価格の考え方

「自社はいくらで売れるのか」「いくらまでなら払ってよいのか」。売り手・買い手の双方が最も知りたい論点です。訪問介護には固有の評価上の特徴があるため、一般的な相場論だけでは判断を誤ります。

年買法(年倍法)の実務と訪問介護での使われ方

中小企業のM&Aで実務上最もよく使われるのが、時価純資産額に営業利益の数年分を加算する簡易的な手法です。一般に年買法(年倍法)と呼ばれます。計算式は「時価純資産額+営業利益(直近数年の平均)×3〜5年」といった形で表されます。

訪問介護でこの手法を用いる際の特徴は、時価純資産額が小さくなりやすいことです。大規模な不動産や設備を持たない事業モデルであるため、貸借対照表に計上される資産が限られます。したがって、評価額の大部分は営業利益に乗じる部分(いわゆる営業権・のれん)で決まります。

ここで重要なのが、乗じる年数は交渉によって大きく変動するという点です。収益の安定性、利用者数の推移、人員体制の充実度、加算の取得状況、エリアにおける買い手の既存拠点との近さなどが評価に反映されます。特に、買い手の既存拠点が近隣にあり明確なシナジーが見込める場合には、評価が上振れしやすくなります。逆に、買い手にとって飛び地となる単独事業所は評価が抑えられます。

なお、この手法はあくまで交渉のたたき台です。実際の価格は、デューデリジェンスの結果と当事者間の交渉によって決まります。企業価値評価にはインカムアプローチ(DCF法等)、マーケットアプローチ、コストアプローチという体系的な手法もあり、案件規模によってはこれらを併用します。

加算の取得余地はそのままバリューアップ仮説になる

訪問介護の評価で見落とされがちなのが、加算の取得余地です。前述のとおり特定事業所加算(Ⅰ)は所定単位数の20%という大きな加算率であり、これを取得できていない事業所には明確な収益改善余地があります。

加算を取得できていない理由は、「要件を満たす人材がいない」ことの他、「要件を満たしているのに届出をしていない」「体制要件の書類整備ができていない」ことにもあります。研修計画の策定、会議の議事録作成、健康診断の実施記録といった体制要件は、書類作業の負担が主な障壁です。管理部門を持たない零細事業者にとっては、これが高いハードルになります。

裏を返せば、管理体制を持つ買い手にとっては容易に解消できる課題です。譲り受けた事業所に自社の管理フォーマットを適用し、加算を取得させるだけで収益が改善します。これは買い手にとって明確なバリューアップ仮説であり、そのぶん価格を積める根拠にもなります。

ポイント
買い手の方は、対象事業所の加算算定状況を「現在の収益力」としてだけでなく「改善余地」として評価してください。加算未取得の事業所は、一見すると収益性が低く映りますが、取得可能性を織り込めば投資回収期間が大きく短縮されます。

赤字・小規模でも売却できる理由

売り手の方から最も多くいただくご質問が「赤字でも売れるのか」というものです。結論として、赤字であっても譲渡は十分に可能です。実際、中小M&Aガイドライン(第3版)でも、赤字や債務超過の企業において中小M&Aが成立した事例が紹介されています。

訪問介護で赤字の事業所が評価される理由は明確です。買い手が求めているのは、その事業所の現在の利益ではなく、有資格者を含む人材、既存の利用者、ケアマネジャーとの関係、そしてその地域における事業基盤だからです。訪問介護事業所をゼロから立ち上げる場合、指定取得から人材採用、利用者獲得まで数年を要します。M&Aであればこのプロセスを一気に短縮できます。

また、赤字の原因が構造的なものか一時的なものかによっても評価は変わります。経営者の高齢化により営業活動が止まっている、加算を取得していない、管理コストが非効率、といった原因であれば、買い手の運営力で解消できます。一方、そのエリアの高齢者人口が減少しているといった立地要因による赤字は、買い手側でも解消が困難です。

ただし、赤字であるほど買い手候補は限られます。「お相手があってこそのM&A」であることは事実であり、条件が悪化するほど選択肢は狭まります。だからこそ、早めに動くことが売り手にとって最大の防御策になります。

経営者保証の扱いを最終契約の前に整理する

価格の話に隠れて後回しにされがちですが、売り手経営者にとって手取り額と同じくらい重要なのが経営者保証(個人保証)の扱いです。訪問介護事業者でも、運転資金の借入や事業所の賃貸借契約について、経営者が個人保証を提供しているケースは珍しくありません。

ここで理解しておくべきは、株式を譲渡しても個人保証は自動的には外れないという点です。保証契約は経営者個人と金融機関等との間の契約であり、株主が変わったからといって当然に解除されるものではありません。金融機関との個別交渉によって解除してもらう必要があります。この交渉を最終契約の前に済ませておかないと、会社を手放したのに保証だけが残る、という事態が起こり得ます。

この論点は、中小企業庁の中小M&Aガイドライン(第3版)でも改訂ポイントの一つとして取り上げられ、譲り渡し側の経営者保証の取扱いに関する記述が拡充されました。実務では、最終契約書に「クロージング後◯か月以内に買い手の責任で保証解除の手続きを行う」といった条項を入れる、あるいは保証解除をクロージングの前提条件とする、といった手当てを行います。

買い手の方も、この論点を軽視すべきではありません。保証解除の交渉が難航すると、それ自体がディールブレイクの原因になります。買収資金の調達を相談する段階で、既存借入の引継ぎと保証の差し替えについても金融機関と話をしておくことが望ましい対応です。

参考:中小企業庁「中小M&Aガイドライン」 https://www.chusho.meti.go.jp/zaimu/shoukei/m_and_a_guideline.html

企業価値評価の考え方や具体的な算定手法については、以下の記事で計算例を交えて解説していますので、あわせてご覧ください。
M&Aバリュエーション(企業価値評価)とは?3つのアプローチと主要手法を徹底解説

8. 初めて買い手になる方が押さえるべき準備

訪問介護の買い手には「同業だがM&Aは初めて」という中小事業者が多く含まれます。ここでは、初めて買い手になる方が押さえるべき準備を整理します。

買収前に自社側で整えておくこと

意外に思われるかもしれませんが、M&Aの準備は売り手だけでなく買い手にも必要です。準備不足の買い手は、案件が出てきても検討スピードが上がらず、結果として良い案件を逃します。

第一に、資金調達の目処です。買収資金をどう賄うかを事前に金融機関と相談しておきます。訪問介護は不動産や大型設備を伴わないため、施設系サービスに比べれば案件規模は小さくなる傾向がありますが、それでも自己資金だけで賄えるとは限りません。金融機関にM&Aによる拡大方針を事前に共有し、案件が出た際にスピーディーに融資判断してもらえる関係を作っておくことが有効です。

第二に、買収基準の明文化です。対象エリア、規模(売上・利用者数)、価格上限、譲れない条件(キーマン残留など)を文書化しておきます。基準がないと、案件ごとに社内で議論が振り出しに戻り、意思決定が遅れます。売り手は複数の買い手候補と並行して交渉していることが多いため、判断の遅さはそのまま失注につながります。

第三に、受け入れ体制です。譲り受けた事業所の管理者候補、経理・労務の受け入れキャパシティ、加算取得を支援できる人材がいるかを確認しておきます。買った後に回せる体制がなければ、買収は逆効果になります。

注意点
買い手が初めてのM&Aで最も陥りやすい失敗が、「安いから買う」という判断です。訪問介護にはごく低価格で譲渡される案件も存在しますが、価格が安い案件には安い理由があります。人員基準がギリギリ、加算未取得、労務リスクを抱えている、といった要素です。買収価格よりも、買収後に必要となる立て直しコストのほうが大きくなるケースは珍しくありません。

「1件目」で失敗しないための対象選定

初めてのM&Aでは、対象選定の巧拙がすべてを決めます。実務的な推奨は明確で、既存拠点から通える距離にある、規模の近い事業所を選ぶことです。

理由は3つあります。第一に、近隣であれば管理者やサービス提供責任者の応援・兼務が可能で、キーマンが離職しても事業を維持できます。第二に、訪問介護は人材確保が生命線であり、エリアを集積させるほど採用効率とシフト調整の柔軟性が上がります。第三に、既存のケアマネジャーとの関係を活かして新規紹介を増やせます。飛び地の事業所を買っても、これらのシナジーは一切働きません。

規模については、自社の1拠点あたり規模と同程度かそれ以下から始めることをおすすめします。自社より大きな事業所を最初に買うと、統合の負荷に耐えられません。訪問介護のM&Aは、小規模案件を積み上げてエリアシェアを高めていくスケール戦略が定石です。

あわせて検討したいのが、隣接サービスを併営している事業所です。訪問介護に加えて訪問看護、居宅介護支援、通所介護などを持つ事業所であれば、地域包括ケアの面展開が一度に進みます。特に、訪問看護は、令和6年10月時点で18,042事業所と前年比9.9%増という高い伸びを示している成長領域であり、訪問介護事業者にとって最有力の隣接領域です。ただし、サービス種別が増えるほど指定手続きも人員基準も複雑になるため、1件目としては慎重な判断が必要です。

買い手として事前に確認しておくべき法務上の論点は、以下の記事で中小企業の買収を前提に整理しています。
M&Aで買い手が押さえるべき法務の留意点|中小企業の買収で見落としやすい論点を解説

9. PMI|譲渡後90日でやるべきこと

M&Aは契約を締結して終わりではありません。むしろ、譲渡後の統合プロセス(PMI:Post Merger Integration)こそが成果を左右します。訪問介護のPMIには業種特有の優先順位があります。

行政手続きの完了を最優先で確認する

PMIの最初の30日でやるべきは、行政手続きの完了確認です。ここで漏れがあると介護報酬が請求できず、事業が止まります。

確認項目は、指定申請の完了と指定通知書の受領、各種変更届(代表者変更、管理者変更、サービス提供責任者変更など)の提出と受理、加算の届出状況、国保連への請求関係の登録変更、介護サービス情報公表システムへの登録内容の更新です。届出には期限が定められているものがあり、遅延すると加算が算定できない期間が生じます。

あわせて、譲渡日をまたぐ月の介護報酬請求について、売り手法人と買い手法人のどちらが請求するかを整理します。国保連への請求は原則として翌月10日締めで行われるため、譲渡日の設定によっては請求主体が入り組みます。この整理を怠ると、請求漏れや二重請求が発生します。

人と利用者の定着を数値で追う

次の優先事項が、人材と利用者の定着です。

追うべき指標は、訪問介護員の在籍数(月次)、サービス提供責任者・管理者の在籍状況、利用者数の推移(新規獲得数と終了数を分けて把握)、ケアマネジャーからの新規紹介件数、そして稼働率です。譲渡後3か月で在籍数や利用者数が減少傾向にあれば、統合が失敗しつつあるサインです。

注意して見るべきが、新規紹介件数です。既存利用者は慣性で残るため、離脱はすぐには表れません。しかし、新規紹介が止まっていれば、自然減によって半年〜1年で利用者数が目減りしていきます。ケアマネジャーとの関係構築は、譲渡直後こそ集中的に取り組むべき課題です。

また、譲渡後の早い段階で従業員との個別面談を実施することをおすすめします。訪問介護のヘルパーは事業所に常駐しておらず、直行直帰が基本です。したがって、意識的に接点を作らなければ、経営者が変わったことへの不安を吸い上げられません。不満が表面化したときには、すでに退職の意思が固まっているケースが多くあります。

加算の再設計と業務システムの統合

定着が確認できたら、収益改善のフェーズに入ります。訪問介護のPMIにおける収益改善の中心は、加算の再設計です。

未取得の加算がないかを洗い出し、要件充足に必要な体制を整備します。特定事業所加算のほか、処遇改善加算の上位区分、初回加算、緊急時訪問介護加算、認知症専門ケア加算など、算定可能な加算は複数存在します。前述のとおり、要件を満たしているのに届出をしていないだけ、というケースが相当数あります。

あわせて、業務システムの統合を進めます。介護記録・シフト管理・請求ソフトを自社標準に揃えることで、間接コストが下がり、加算要件の記録管理も効率化されます。ただし、システム変更は現場の負担が大きいため、定着が確認できるまでは急がないほうが賢明です。

注意点
PMIの順序を間違えないでください。「行政手続き → 人と利用者の定着 → 収益改善」の順です。買収直後にコスト削減や制度変更に着手すると、従業員の離反を招きます。最初の90日は、変えないことを明示して安心させる期間だと考えてください。改革はその後です。

10. まとめ|訪問介護M&Aの留意点を実務に落とし込む

訪問介護のM&Aは、需要が拡大する一方で事業者の淘汰が進むという特異な環境のなかで行われます。制度に強く規定される事業であるため、一般的なM&Aの知識だけでは対応できない論点が複数存在します。本記事の要点を整理します。

  • スキーム選択が起点になる。売り手の法人格、他事業の有無、簿外リスクの3点で、取り得る手法はほぼ一意に定まる。
  • 介護保険の指定は承継されない。事業譲渡・会社分割のいずれでも新規指定が必要であり、クロージング日は指定日から逆算して設計する。
  • 加算の承継リスクを必ず試算する。特定事業所加算は有資格者比率の要件とサービス提供責任者の全員要件があり、統合の仕方によっては売上の2割近くが失われる。
  • デューデリジェンスでは労務も重視する。移動時間の取扱い、登録ヘルパーの管理、常勤換算の実態は訪問介護固有の高リスク領域。
  • 人が辞めればディールは失敗する。キーマンの継続をクロージング条件に据え、開示のタイミングを設計する。
  • 経営者保証は株式譲渡でも自動的には外れない。解除の交渉と条項化を最終契約前に済ませる。
  • 2026年6月の臨時改定は処遇改善に紐づく財源であり、事業者の手残りを改善するものではない。収益力の評価は基本報酬引下げ後の実績で行う。

売り手の重要な留意点としては、動き出すタイミングの重要性です。訪問介護の倒産原因の8割超が売上不振であるという事実は、多くの経営者が手遅れになってから動いていることを示しています。資金繰りに窮してからでは、買い手に足元を見られ、従業員の雇用も利用者へのサービスも守れません。事業が回っているうちに選択肢を確認しておくことが、結果として最も条件の良い着地につながります。

買い手については、1件目の対象選定を慎重に行う必要がある点です。既存拠点から通える距離、自社と同程度以下の規模、キーマンの継続が見込めること。この3条件を満たす案件から始めれば、失敗の確率は大きく下がります。価格の安さだけで判断すると、立て直しコストが買収価格を上回ります。

弁護士と国税出身の税理士がチームとして関与し、指定手続き・労務リスク・税務スキームまで踏み込んだ検討を行います。訪問介護の譲渡・譲受をご検討の際は、初期の情報収集の段階からお気軽にご相談ください。

執筆者

弁護士 佐藤聖喜

京都大学経済学部在学中、旧司法試験合格。最高裁判所司法研修所を経て弁護士登録(日本弁護士連合会・東京弁護士会)。その後、京都大学経営管理大学院修了(MBA)。 長島大野常松法律事務所を経て独立し、千代田中央法律事務所を設立。独立行政法人中小企業基盤整備機構(中小機構)では国際化支援アドバイザーとしても活動。上場企業の組織再編、IPO法務DD、スタートアップの資本政策支援、再生型M&Aなど、法務・戦略両面からの総合支援に実績を持つ。

横山圭介

東京都立大学(旧首都大学東京)数理科学専攻卒業後、国家公務員として札幌国税局に入庁。札幌国税局資産課税課、札幌東税務署資産課税部門等を経て、国税庁企画課へ出向。 国税庁・国税局・税務署において、主に資産税事務に従事し、相続・譲渡・贈与など資産課税の実務を第一線で担う。官公庁・金融機関等との折衝・情報連携の実務経験も有する。