「自分が引退したあと、このステーションはどうなるのだろうか」「大手グループの傘下に入れば、看護師の採用も24時間対応の負担も楽になるのではないか」「そもそも、うちはいくらで売れるのか」。訪問看護ステーションを運営する経営者の方から、こうしたご相談をいただく機会が急速に増えています。
訪問看護は、株式会社をはじめとする営利法人が開設できる数少ない医療系サービスであり、M&Aの対象として市場が成立している分野です。一方で、介護保険と医療保険という二つの制度にまたがる特殊な指定構造を持っており、この点を理解しないままスキームを選ぶと、譲渡後に事業を継続できないという事態すら起こり得ます。
この記事では、訪問看護ステーションのM&Aについて、制度の仕組みから売却価格(企業価値・株式価値)の算定方法、他社の解説記事ではほとんど触れられていない税金と手取り額、買い手のデューデリジェンスで必ず問題になる論点まで、実務に即して整理します。売却を具体的に検討されている方はもちろん、まだ情報収集の段階という方にも、判断の軸を持っていただける内容を目指しました。
1. 訪問看護ステーションのM&Aが活発化している背景
事業所数は増加、一方で収益性は低下局面に入っている
訪問看護ステーションの数は増え続けています。厚生労働省の令和6年介護サービス施設・事業所調査によれば、令和6年10月1日現在で活動中の訪問看護ステーションは18,042事業所で、前年から1,619事業所、9.9%の増加となりました。設備投資がほとんど不要で、看護職員が常勤換算で2.5人いれば開設できるという参入障壁の低さが、この急増の背景にあります。
しかし、収益性は明確に低下局面に入りました。厚生労働省の令和7年度介護事業経営概況調査によると、訪問看護の収支差率(令和6年度決算・税引前・物価高騰対策関連補助金を含まない)は10.3%で、前年度から1.6ポイント低下しています。全介護サービス平均が4.7%であることを考えれば依然として高い水準ですが、下げ幅は全サービスのなかでも大きいほうです。
低下の主因は人件費です。同じ調査で、訪問看護の収入に対する給与費の割合は前年度から1.4ポイント上昇しています。看護師の処遇改善が進む一方で、報酬の伸びがそれに追いついていないという構造です。人件費が費用の大半を占める訪問看護では、この1.4ポイントがそのまま利益を削ります。
つまり、業界全体としては「まだ利益は出ているが、単独経営で人件費の上昇を吸収し続けるのは年々難しくなっている」という局面です。これが、経営者がグループインを検討する最も現実的な動機になっています。
買い手が本当に求めているのは「看護師」である
訪問看護のM&Aを理解するうえで最も重要な事実は、買い手は事業を買っているというより、看護師と紹介ルートを買っているという点です。
訪問看護ステーションは、事務所を借りて指定を取れば形式上は開設できます。新規開設のコストは、他の医療・介護サービスと比べて著しく低い。それでも買い手が既存ステーションを取得するのは、看護師を集められないからです。訪問看護の現場では、病棟経験を積んだ看護師が単独で判断し行動する能力を求められます。そうした人材は求人を出せば来るというものではなく、既に働いている集団ごと引き継ぐほうが確実で早い。
この構造は、売り手にとって重要な意味を持ちます。決算書上の利益が小さくても、看護師が定着していて、地域の医療機関やケアマネジャーとの関係が築けていれば、買い手はそこに価値を見出します。逆に、利益は出ていても管理者が退職を予定しているステーションは、評価が大きく下がります。
人材確保コストの重さは統計にも表れています。令和7年度介護事業経営概況調査によれば、訪問看護で人材紹介手数料を計上していた事業所では、給与費に対する紹介手数料の割合が3.4%に達しています。買い手にとって、既に在籍している看護師を引き継げることは、この採用コストを回避できることを意味します。
ポイント
自社の価値を考えるとき、まず「決算書に表れない資産」を棚卸ししてください。看護師の平均勤続年数、直近3年の離職者数、24時間対応体制の実際の運用状況、主治医とケアマネジャーの紹介元の数。これらは買い手が最初に確認する項目であり、価格交渉における最大の材料になります。
訪問看護と訪問介護はまったく別の事業である
報道などで「介護事業者の倒産が過去最多」といった見出しを目にして、自社の将来を悲観的に捉えている経営者の方がいらっしゃいます。しかし、訪問介護と訪問看護は制度も収益構造もまったく異なります。
訪問介護は介護保険のみを財源としており、令和6年度の報酬改定で基本報酬が引き下げられたことが経営を直撃しました。これに対して訪問看護は、介護保険と医療保険の両方から算定でき、医療保険側の単価は相対的に高く設定されています。前述の収支差率でも、訪問看護は10.3%と全サービス平均を大きく上回っています。
さらに、令和8年度(2026年度)の診療報酬改定では、訪問看護管理療養費が全体的に引き上げられ、物価上昇に対応する「訪問看護物価対応料」も新設されました。制度の向きは、少なくとも医療保険側については追い風です。
「介護は厳しい」という一般論で自社を評価してしまうと、本来つくはずの値段を大幅に下回る条件で手放すことになりかねません。訪問看護は訪問看護として評価される市場が存在します。
2. 訪問看護ステーション特有の「二重の指定」構造を理解する
介護保険の指定を受けると、医療保険の指定も自動的に受けたことになる
訪問看護ステーションのM&Aを考えるうえで、最初に押さえるべきなのが指定の構造です。ここは他の業種にはない特殊な仕組みであり、スキーム選択に直結します。
訪問看護ステーションは、介護保険法に基づく指定居宅サービス事業者(訪問看護)の指定を都道府県知事等から受けます。そして、この指定を受けると、別段の申出をしない限り、健康保険法に基づく指定訪問看護事業者の指定も受けたものとみなされます。つまり、自治体に介護保険の指定申請をするだけで、医療保険側の指定は自動的に付いてくるという設計です。
この「みなし」の効果によって、ほとんどのステーションは介護保険と医療保険の両方で算定できる状態にあります。利用者が要介護認定を受けていれば介護保険、厚生労働大臣が定める疾病等に該当したり特別訪問看護指示書が交付されたりすれば医療保険、というように、同じ事業所が二つの財源を使い分けているわけです。
「医療保険のみ」のステーションが存在する理由
例外的なパターンが二つあります。整理しておくと、次の三通りになります。
| パターン | 手続き | 実務上の位置づけ |
|---|---|---|
| ① 両方の指定を持つ | 自治体に介護保険の指定申請をすれば、医療保険の指定はみなしで付く | 大多数がこれ。M&Aの標準形 |
| ② 介護保険のみ | ①に加えて、厚生局へ「指定訪問看護事業を行わない旨の申出」を提出する | 皆無。医療保険を捨てる合理性がほとんどない |
| ③ 医療保険のみ | 自治体への介護保険の指定申請をせず、厚生局へ健康保険法の指定申請を行う | 少数。精神科特化型・小児特化型に偏りやすい |
ここでよくある誤解が、「別段の申出をすれば医療保険だけの指定を受けられる」という理解です。正しくは逆で、別段の申出とは②のこと、つまり医療保険の指定を受けないための申出です。③は申出ではなく、地方厚生局に対する独立した指定申請という別のルートになります。
この違いはM&Aの実務で効いてきます。③のステーションは介護保険の指定を受けていないため、厚生労働省が公開している介護サービス情報公表システムのデータには掲載されません。買い手が候補先を探す際も、売り手が同業他社の動向を把握する際も、このルートの事業所は視界から漏れやすいという特性があります。
注意点
自社がどのパターンに該当するかは、指定通知書で必ず確認してください。介護保険の指定通知書(都道府県・市町村発行)と、健康保険法の指定通知書(地方厚生局発行)は別の書面です。デューデリジェンスでは両方の提出を求められます。長年運営していると原本が見当たらないケースが少なくないため、早い段階で所在を確認しておくことをおすすめします。
株式会社が開設できるという制度的な意味
訪問看護ステーションの開設主体には、営利法人の制限がありません。株式会社、合同会社、医療法人、社会福祉法人、NPO法人などが等しく開設でき、実際に営利法人が最も多くを占めています。
これは当たり前のことのようでいて、医療分野では例外的です。病院や診療所については、医療法上、営利を目的とする者に対して開設の許可を与えないことができるとされており、株式会社は原則として開設できません。つまり、株式会社がクリニックを買うことはできないが、訪問看護ステーションを買うことはできることになります。
訪問看護がM&A市場を形成できている最大の理由がここにあります。事業会社が株式譲渡というシンプルな手法で経営権を取得でき、上場企業も連結子会社として取り込める。だからこそ、在宅医療のプラットフォーム企業や総合介護事業者、さらには異業種からの参入まで、幅広い買い手が存在するのです。
なお、病院や診療所が行う訪問看護は「みなし指定」と呼ばれ、これは前述の②③とは別の概念です。介護保険法71条により、保険医療機関は申請なしに介護保険の指定居宅サービス事業者(訪問看護等)の指定があったものとみなされます。この指定は医療機関という「箱」に紐づいているため、訪問看護部門だけを切り出しても指定は付いてきません。
3. スキーム選択|株式譲渡と事業譲渡で「指定」の扱いが決定的に違う
株式譲渡なら、指定はそのまま継続する
訪問看護ステーションのM&Aで最も多く使われるのが株式譲渡です。オーナーが保有する株式を買い手に譲渡し、会社そのものの支配権を移す方法です。
株式譲渡が選ばれる最大の理由は、指定が法人に紐づいているからです。指定を受けているのは「株式会社◯◯」という法人であり、その法人の株主が誰であるかは指定の効力に影響しません。したがって、株主が交代しても指定はそのまま継続します。利用者との契約も、従業員の雇用契約も、事務所の賃貸借契約も、すべて会社に帰属したまま維持されます。
ただし、手続きが一切不要というわけではありません。役員が変更になれば、介護保険については自治体へ、医療保険については地方厚生局へ変更届を提出する必要があります。管理者が交代する場合も同様です。届出の期限は変更の事由が生じてから10日以内とされているのが一般的で、クロージング直後のタスクとして必ずスケジュールに組み込んでおく必要があります。
複数のステーションを運営している法人の場合は、株式譲渡が実質的に唯一の選択肢になります。事業所ごとに指定を取り直す手間とリスクを考えれば、法人ごと動かすほうが圧倒的に合理的だからです。
事業譲渡では指定は承継されず、新規指定が必要になる
事業譲渡は、事業に属する資産・負債・契約を個別に買い手へ移す方法です。会社は売り手のもとに残り、事業だけが移転します。
ここで決定的に重要なのが、介護保険法上の指定は事業譲渡によって承継されないという点です。譲受側は自ら新規に指定を取得しなければなりません。これは会社分割であっても同じで、介護・障害福祉サービスの指定は承継の対象外とされています。建設業や一般貨物自動車運送事業のように事前認可で承継できる業種とは、扱いがまったく異なります。
実務上、これは三つの負担を生みます。第一に、譲受側が人員基準(看護職員常勤換算2.5人以上、管理者は保健師または看護師)を自ら満たしたうえで指定申請をしなければなりません。第二に、指定日は原則として申請が受理された月の翌月1日以降となるため、事業の引き渡し日と指定日の間に空白期間が生じうる。第三に、利用者との契約は個別に締結し直す必要があり、従業員も個別に同意を得たうえで新会社と雇用契約を結び直すことになります。
注意点
事業譲渡を選ぶ場合、「指定の切れ目をどう埋めるか」を必ず事前設計してください。空白期間が生じると、その間の訪問看護は保険請求ができません。実務では、譲受側が先行して指定を取得し、指定日に合わせて事業を引き渡すというスケジュールを組みます。指定申請から指定日まで1〜2か月を見込む必要があるため、この工程を織り込まないとクロージング日が後ろ倒しになります。
会社分割を使う場合の留意点
訪問看護以外の事業も営んでいる法人が、訪問看護部門だけを切り出して譲渡したいというケースでは、会社分割が使われることがあります。新設会社を設立し、吸収分割で訪問看護事業を承継させたうえで、その新設会社の株式を譲渡するという三段構えの手法です。
会社分割は包括承継であるため、契約や雇用は個別の同意なく移転します。従業員の人数が多い場合や、契約関係が複雑な場合には事業譲渡より効率的です。ただし、労働契約承継法に基づく労働者への通知・協議の手続きが必要になり、債権者保護手続きも求められます。
注意が必要なのは、会社分割であっても行政庁の指定は承継されないという点です。包括承継という会社法上の性質と、業法上の指定の承継可否はまったく別の問題であり、後者は各業種の根拠法令が定めます。介護保険法にはそのような承継規定が置かれていないため、分割承継会社は新規に指定を取得する必要があります。この点は自治体によって運用の細部が異なることもあるため、スキームを固める前に管轄の自治体へ個別に照会することを強くおすすめします。
| 比較項目 | 株式譲渡 | 事業譲渡 | 会社分割+株式譲渡 |
|---|---|---|---|
| 指定の扱い | 継続する(法人に帰属) | 承継されない(新規指定) | 承継されない(新規指定) |
| 利用者との契約 | そのまま維持 | 個別に再締結 | 包括承継 |
| 従業員の雇用 | そのまま維持 | 個別同意が必要 | 労働契約承継法の手続き |
| 簿外債務の引継ぎ | 引き継ぐ | 引き継がない | 分割対象に含まれる範囲で引き継ぐ |
| 売り手の課税 | 譲渡所得20.315% | 法人税等+消費税 | 株式譲渡と同様(分割自体は原則課税なし) |
| 向いているケース | 単一事業・複数拠点 | 1拠点のみ・簿外債務が懸念される | 他事業と併営している |
ポイント
スキームは税負担だけで決めないでください。訪問看護では「指定を切らさずに引き渡せるか」がスキーム選択の第一条件です。税負担の観点だけを見て事業譲渡を選んだ結果、指定取得が間に合わずクロージングが数か月遅れるという事態は珍しくありません。法務・税務・許認可の三つを同時に検討できる体制で設計することが、結果的に一番早く、有利な条件につながります。
4. 売却価格(株式価値)の算定方法
実務で使われるのは「時価純資産+営業利益×2〜5年分」
訪問看護ステーションの売却価格として、実務で最も広く使われている目安が「時価純資産価額+営業利益×2〜5年分」という算式です。年買法、あるいは年倍法と呼ばれます。
前段の時価純資産価額は、貸借対照表の純資産を時価に修正したものです。現預金、売掛金(国保連・支払基金への未収金)、車両、敷金などを時価評価し、負債を差し引きます。後段の「営業利益×2〜5年分」は、この事業が将来生み出す利益への期待を営業権(のれん)として金額化した部分です。
この2〜5年という幅がどこで決まるかというと、後述する評価ポイントの充足度です。看護師が定着していて、24時間対応体制があり、紹介元が分散していて、複数拠点を持っている。こうした条件が揃えば5年に近づき、管理者がオーナー本人しかおらず、紹介元が特定の一医療機関に依存しているような場合は2年を下回ることもあります。
なお、この算式はあくまで初期的な目線合わせのためのものです。最終的な価格は買い手のシナジー評価とデューデリジェンスの結果で決まります。売り手としては、この算式で出た数字を「交渉のスタートライン」と捉えるのが妥当です。
3つの評価アプローチと、訪問看護での実際の使われ方
企業価値評価の手法は、一般にコストアプローチ、インカムアプローチ、マーケットアプローチの三つに分類されます。
- コストアプローチは、純資産を基礎に評価する方法で、時価純資産法が代表例です。客観性が高い一方で、将来の収益力を反映できません。
- インカムアプローチは、将来のキャッシュフローを現在価値に割り引くDCF法が代表で、理論的には最も精緻ですが、事業計画の前提次第で結果が大きく振れます。
- マーケットアプローチは、類似企業や類似取引の倍率を参照する方法です。
訪問看護のM&Aでは、中小規模の案件においてコストアプローチとインカムアプローチを折衷した年買法が事実上の標準になっています。DCF法が使われるのは、複数拠点を持ち事業計画の精度が高い一定規模以上の案件か、買い手がファンドである場合に限られます。
マーケットアプローチが機能しにくいのは、訪問看護の案件の多くが取得価額を開示しない規模で行われているためです。上場企業が訪問看護ステーションを買収しても、適時開示の重要性基準に達しないため金額が公表されないケースがほとんどで、参照できる取引事例の蓄積が乏しいという事情があります。
なぜ訪問看護は「のれん」が価格の大半を占めるのか
訪問看護ステーションは、土地や建物といった固定資産をほとんど保有していません。事務所は賃貸、訪問車両はリースまたは軽自動車数台、大型の医療機器も不要です。その結果、時価純資産は現預金と売掛金が中心となり、金額としては小さくなります。
つまり、売却価格のほぼ全額が営業権(のれん)で構成されるということです。これは他業種と比べて特徴的な点で、実務上二つの帰結を生みます。
第一に、利益が出ていないステーションには値段が付きにくい。放課後等デイサービスのように「拠点と指定そのものに価値がある」業種であれば、赤字でも一定の評価がつくことがあります。しかし訪問看護は新規開設のコストが低いため、買い手からすれば「赤字の事業所を買うより自分で開設したほうが早い」という判断になりやすい。
第二に、営業利益の実態をどう見せるかが価格に直結します。オーナーの役員報酬が相場より高い、あるいは低い場合、生命保険料や車両費に私的な支出が混じっている場合、買い手はこれらを調整して正常収益力を算定します。この調整(ノーマライゼーション)を売り手側で先に整理しておくかどうかで、提示される金額が変わります。
ポイント
売却を検討し始めたら、直近3期分について「オーナー関連費用を除いた実質営業利益」を計算してみてください。役員報酬を同等の職責の人材を外部から雇った場合の水準に置き換え、生命保険料や実態のない家族給与、私用車両費などを調整します。この数字に2〜5を掛けた金額が、のれんのおおよそのレンジになります。
株式価値と事業価値の違い|借入がある場合は手取りが変わる
見落とされがちですが、極めて重要な論点です。「企業価値」「事業価値」「株式価値」は別の概念であり、オーナーが実際に受け取るのは株式価値です。
事業価値(EV)は、その事業自体が生み出す価値を指します。これに非事業用資産を加え、有利子負債を差し引いたものが株式価値です。つまり、同じ事業価値1億円のステーションでも、借入が8,000万円あれば株式価値は2,000万円になります。複数の拠点を運営していても、株式の譲渡価額が数千万円にとどまるケースは実際に存在します。株式価値が小さいことは、事業に価値がないことを意味しません。
訪問看護ステーションでは、開設時の運転資金を金融機関から借り入れているケースが多く、しかもその借入にオーナーの個人保証が付いていることが一般的です。株式譲渡の場合、借入は会社に残ったまま買い手に移りますが、個人保証は自動的には外れません。買い手が金融機関と交渉して保証を差し替える、あるいは買い手が借入を一括返済するという手当てが必要です。
注意点
「営業利益の3年分で3,000万円」と言われても、それが事業価値なのか株式価値なのかを必ず確認してください。借入金の扱い、役員貸付金の精算、未払残業の引当、これらをどちらの負担で処理するかによって、最終的な手取りは数千万円単位で変わります。基本合意の段階で価格の定義を文書化しておくことが、後の紛争を防ぎます。
5. 価格を左右する5つの評価ポイント
① 看護師の定着と、管理者の継続可否
最も重要な評価ポイントであり、そして訪問看護に固有の最大の論点です。
訪問看護ステーションの管理者は、保健師または看護師でなければなりません。これは指定基準であり、満たさなくなれば指定を維持できません。ところが小規模なステーションでは、オーナー=看護師=管理者という構造が非常に多い。この場合、クロージングと同時にオーナーが退任すると、管理者が不在になります。
この問題への対応は三つに整理できます。第一に、オーナーが一定期間、管理者として残留する(顧問契約やロックアップ条項で担保する)。第二に、社内の看護師を管理者に昇格させる(事前に人選し、本人の同意を得ておく必要があります)。第三に、買い手が自社の人材を管理者として送り込む。
実務上、この設計ができていない案件はクロージングまで到達しません。買い手は必ず初期段階でこの点を確認しますし、答えを用意できていない売り手は交渉のテーブルで不利になります。逆に、後任の管理者候補が既に育っていることを示せれば、それだけで評価は上がります。
看護師全体の定着についても同様です。直近3年間の離職者数と離職理由、常勤・非常勤の比率、平均勤続年数は必ず整理しておいてください。買い手はこれらの数字から、譲渡後に何人が残るかを見積もり、その見積もりを価格に反映させます。
② 医療保険比率と加算の届出状況
訪問看護は医療保険と介護保険の両方から算定できますが、単価は医療保険のほうが高く設定されています。したがって、売上に占める医療保険の比率が高いステーションほど、同じ訪問件数でも収益性が高くなります。買い手は必ずこの構成比を確認します。
あわせて重要なのが、施設基準の届出状況です。地方厚生局は「届出受理指定訪問看護事業所名簿」を公開しており、各ステーションがどの基準を届け出ているかが受理番号でわかるようになっています。代表的なものが次の四つです。
| 受理番号 | 内容 | 評価上の意味 |
|---|---|---|
| 訪看10 | 精神科訪問看護基本療養費 | 精神科に対応している。後述のとおり評価と適正化の両面がある |
| 訪看23 | 24時間対応体制加算イ | 24時間体制を構築済み。機能強化型の要件を部分的に充足 |
| 訪看24 | 24時間対応体制加算ロ | 同上 |
| 訪看25 | 特別管理加算 | 医療依存度の高い利用者を持ち、単価が高い。代替が難しい |
24時間対応体制加算と特別管理加算を届け出ているステーションは、素直にプラス評価されます。24時間対応は買い手が新規に構築するのが最も難しい体制であり、重症度の高い利用者を扱えることは看護師のスキルの証明にもなるためです。
なお、届出をしているだけで実態が伴っていないケースは、デューデリジェンスで必ず露見します。24時間対応体制加算を算定しているのに実際にはオンコールが機能していない、といった状況は、返還リスクと労務リスクの両面で減額要因になります。
③ 利用者の紹介元が分散しているか
訪問看護の利用者は、病院の地域連携室、訪問診療クリニックの主治医、居宅介護支援事業所のケアマネジャーから紹介されて獲得します。この紹介ルートが事業の生命線です。
買い手が警戒するのは、紹介元が特定の1機関に集中しているケースです。「利用者の7割が◯◯病院からの紹介」という状態は、その病院との関係がオーナー個人の人脈で成り立っているのであれば、オーナー交代とともに紹介が止まるリスクを意味します。
紹介元別の利用者数を、直近2〜3年分、事業所ごとに整理してください。上位3機関で何割を占めるか、その関係が組織対組織のものか個人のものか。分散していれば安定性の証明になりますし、集中していても、その関係を承継する具体策(引き継ぎ期間中の同行訪問、契約書の締結など)を示せれば懸念は緩和できます。
④ 同一建物居住者への集中度
サービス付き高齢者向け住宅や住宅型有料老人ホームに併設し、その入居者を中心に訪問しているステーションがあります。移動時間が発生しないため効率が良く、一見すると収益性が高そうに思えます。
ところが実際のデータはそうなっていません。令和7年度介護事業経営概況調査の参考資料によれば、訪問看護の収支差率は全体で10.3%であるのに対し、同一建物減算の算定がある事業所では8.6%、算定がない事業所では10.6%となっています。減算の影響が効率化のメリットを上回っているということです。
さらに令和8年度診療報酬改定では、この方向がより強まりました。月の2日目以降の訪問看護管理療養費が、単一建物居住者の人数(20人未満/20人以上49人以下/50人以上)と1か月あたりの訪問日数(15日以下/16日以上24日以下/25日以上)を組み合わせた区分に細分化され、人数が多く訪問日数が多いほど単価が下がる仕組みになりました。訪問看護基本療養費(Ⅱ)でも同一日に訪問する人数の区分が細分化されています。
併設型であること自体が悪いわけではありませんが、買い手はこの点を必ず見ます。同一建物居住者の比率と、併設施設との関係(同一資本か、賃貸借契約のみか、紹介契約の有無)を整理しておく必要があります。
注意点
サービス付き高齢者向け住宅などへの併設型ステーションは、改定後の点数体系で収益が実際にどう変わるかを、直近の実績データで再計算しておくことを強くおすすめします。買い手は必ず改定後ベースの収益力で評価します。改定前の決算書だけを見て価格を期待していると、提示額との乖離に驚くことになります。
⑤ 稼働率と生産性
訪問看護は固定費型のビジネスです。看護師の人件費という固定費に対して、訪問件数が積み上がった分だけ売上が伸びる。したがって、損益は看護師一人あたりが月に何件訪問できているかでほぼ決まります。
買い手が見るのは、看護師一人あたりの月間訪問件数、一利用者あたりの月間訪問回数、訪問先間の移動時間、そしてキャンセル率です。同じ人員規模でも、商圏が地理的に広がりすぎていれば移動に時間を取られ、訪問件数は伸びません。
この点は、売却前に改善余地のある数少ない項目でもあります。エリアを絞り込んで移動時間を短縮する、非常勤中心の体制を常勤に切り替えて稼働を安定させる、算定できていない加算を届け出る。こうした施策は数か月で営業利益に効いてきます。
ポイント
営業利益の改善は、年買法では2〜5倍に増幅されて売却価格に反映されます。仮に営業利益を年間300万円改善できれば、のれんは600〜1,500万円増える計算です。「今すぐ売る」以外の選択肢を持てるうちに相談を始める価値は、まさにここにあります。
6. 令和8年度診療報酬改定がバリュエーションに与える影響
管理療養費の引き上げと、報酬体系そのものの組み替え
令和8年度(2026年度)の診療報酬改定は、訪問看護にとって基本的に追い風でありながら、報酬体系そのものが大きく組み替えられた改定でもありました。バリュエーションの前提が変わるため、売却を検討する経営者は内容を正確に把握しておく必要があります。主な変更点は四つです。
- 第一に、月の初日の訪問看護管理療養費が機能強化型1から3まで一律に引き上げられました。
- 第二に、機能強化型訪問看護管理療養費4(9,030円)が新設されました。
- 第三に、月の2日目以降の管理療養費が、単一建物居住者の人数と訪問日数を組み合わせた区分へと細分化されました。
- 第四に、訪問時間に応じて包括的に評価する「包括型訪問看護療養費」が新設され、あわせて物価上昇に対応する「訪問看護物価対応料」も設けられています。
この構造から読み取れるのは、規模と機能を持つステーションが有利になる方向に制度が動いているということです。上位の機能強化型ほど引き上げ幅が大きく、逆に同一建物への集中や訪問日数の多さには逓減が効く。国は小規模乱立から機能分化・大規模化へと誘導しようとしていると読めます。
M&Aの文脈では、これは買い手側の統合ニーズを構造的に押し上げます。単独では機能強化型の要件を満たせないステーションも、グループに入れば本部機能や連携体制を共有して要件を満たせる。売り手にとっては、グループインする経済合理性が制度によって裏打ちされている状況といえます。
精神科訪問看護は「適正化」と「評価」の二極化が進む
精神科訪問看護をめぐる改定内容は、単純な逆風でも追い風でもなく、二極化と表現するのが正確です。
利用者の状況を踏まえない画一的な頻回訪問が問題視され、適正化の方策が導入されました。他方で、新設された機能強化型訪問看護管理療養費4は、まさに精神科訪問看護において支援ニーズの高い利用者を受け入れ、24時間対応体制と地域の関係機関との連携体制を整えているステーションを評価するものです。施設基準には、常勤の看護師等が4名以上であること、24時間対応体制加算の届出、重症者や精神障害者への訪問看護の実績、退院時共同指導の実績などが含まれます。
つまり制度は、「体制を整えて重い利用者を支えている事業所は手厚く評価するが、体制の裏づけなく訪問回数だけを積み上げている事業所は是正する」という方向に舵を切りました。M&Aの評価軸もこれに連動します。
売り手として準備すべきは、週4回以上訪問している利用者の比率と、その一人ひとりについて主治医の指示と看護計画がどう紐づいているかを説明できる資料です。あわせて、機能強化型4の施設基準を現状で満たしているか、満たしていないなら何が足りないかを整理しておくと、買い手との対話が一段深くなります。
注意点
精神科訪問看護を主軸にしているステーションは、売却を検討する前に、まず訪問頻度と記録の整合性を自主点検してください。制度改正の直後は行政の指導も厳しくなります。デューデリジェンスで指摘されてから対応するのでは、価格交渉で不利になるだけでなく、案件そのものが破談になることもあります。
次の改定は2027年度と2028年度に連続する
訪問看護は介護報酬と診療報酬の両方の影響を受けるため、改定のサイクルも二重になります。介護報酬は3年ごとで次回が2027年度、診療報酬は2年ごとで次回が2028年度、両者が重なるダブル改定は2030年度です。
つまり、訪問看護は今後2年連続で報酬改定を受けることになります。買い手はこの不確実性を織り込んで価格を提示してきます。バリュエーションが保守的になりやすい局面であり、アーンアウト(将来の業績に応じた追加対価)や表明保証条項による調整が提案されることも増えるでしょう。
売り手の立場からは、この点をどう捉えるかが判断の分かれ目です。改定リスクを理由に買い手が慎重になるのは事実ですが、一方で令和7年度の経営概況調査が示したとおり、人件費の上昇圧力は単独経営を年々厳しくしています。「改定の結果を見てから」と待つあいだに収益が悪化すれば、待ったこと自体が価格を下げるという結果にもなり得ます。
7. M&Aにかかる税金と手取り額
株式譲渡|譲渡所得に20.315%の申告分離課税
売却価格そのものと同じくらい重要なのが税金です。同じ1億円で売却しても、スキームによって手元に残る金額は倍近く変わることもあります。
個人株主が非上場株式を譲渡した場合、その譲渡所得は「一般株式等に係る譲渡所得等」として申告分離課税の対象になります。税率は所得金額の多寡にかかわらず一律20.315%です。内訳は所得税および復興特別所得税が15.315%、住民税が5%です。
課税対象となる譲渡所得は、次の算式で計算します。「譲渡所得=譲渡価額-(取得費+譲渡費用)」。取得費は株式を取得したときの払込金額等であり、創業者の場合は設立時の資本金がこれに当たることが多く、金額としては小さくなります。譲渡費用にはM&A仲介手数料などが含まれます。
給与所得や事業所得のように累進課税で最高55%まで上がることがなく、いくら高額で売却しても一律20.315%で済むという点は、株式譲渡の大きな利点です。
注意点
令和9年分以後は、復興特別所得税の税率引下げと防衛特別所得税の創設により、所得税に上乗せされる付加税の内訳が変わります。本記事の20.315%は2026年8月時点の税率です。実際の申告にあたっては、必ず税理士または国税庁の最新の公表資料でご確認ください。
事業譲渡|法人税と消費税の二重の負担が生じる
事業譲渡の場合、対価を受け取るのは会社であり、オーナー個人ではありません。ここが株式譲渡との決定的な違いです。
まず会社の側で、譲渡益に法人税等が課されます。譲渡対価から譲渡した資産の帳簿価額と譲渡費用を差し引いた金額が課税所得となり、これに法定実効税率が適用されます。中小法人・標準税率の場合、法定実効税率は33.58%です(東京都の超過税率が適用される法人であれば34.59%)。
さらに、事業譲渡には消費税がかかります。営業権(のれん)や課税資産の譲渡は消費税の課税取引であり、税率は10%です。仮に営業権部分が8,000万円であれば800万円の消費税が発生します。これは買い手が上乗せして支払い、売り手の会社が納付するという流れになるため、売り手の最終的な負担にはなりませんが、買い手側の資金負担が増えるため、価格交渉に間接的な影響を与えます。
最大の問題は、会社に残った資金をオーナー個人が受け取る際に、もう一段の課税が生じることです。配当として支払えば配当所得として総合課税の対象となり、所得水準によっては合計で50%前後の税負担になります。
手取り額のシミュレーション|同じ1億円でも4,000万円以上の差
具体的に比較してみましょう。以下は一定の前提を置いた試算であり、実際の税額は個別の状況によって変わります。
前提:譲渡対価1億円、株式の取得費300万円、M&A仲介手数料500万円、事業譲渡の場合の譲渡資産の帳簿価額2,000万円、法定実効税率33.58%、配当に係る所得税・住民税の合計負担を50%と仮定。
| 項目 | 株式譲渡 | 事業譲渡(配当で個人へ) |
|---|---|---|
| 譲渡対価 | 10,000万円 | 10,000万円 |
| 課税所得の計算 | 10,000-300-500=9,200万円 | 10,000-2,000-500=7,500万円 |
| 課税 | 9,200×20.315%=1,869万円 | 7,500×33.58%=2,519万円(法人税等) |
| 法人に残る資金 | ― | 10,000-500-2,519=6,981万円 |
| 個人へ移す際の課税 | ― | 6,981×50%=3,491万円(配当課税) |
| オーナーの手取り | 約7,631万円 | 約3,491万円 |
差額は約4,140万円です。同じ1億円で売却しても、スキームの選び方だけでこれだけの開きが生じます。オーナー個人が対価を受け取るという目的であれば、株式譲渡が圧倒的に有利であることがわかります。
もっとも、事業譲渡が選ばれる場面もあります。簿外債務のリスクを買い手が嫌う場合、訪問看護以外の事業を手元に残したい場合、あるいは会社に多額の繰越欠損金があり法人税が発生しない場合などです。税負担だけでスキームを決めることはできませんが、少なくとも「何も考えずに事業譲渡を選ぶ」ことの代償は正確に把握しておくべきです。
役員退職金を組み合わせる設計
株式譲渡を選んだ場合でも、対価の一部を役員退職金として受け取る設計を検討する余地があります。
退職所得は、勤続年数に応じた退職所得控除を差し引いたうえで、その残額の2分の1に対して課税されるという優遇された取扱いになっています(勤続5年以下の役員等については2分の1課税が適用されないなどの例外があります)。長年経営してきた創業者であれば、退職所得控除の額も大きくなります。
具体的には、譲渡対価の一部を退職金として支給し、その分だけ株式の譲渡価額を引き下げるという組み立てです。会社側では退職金が損金となるため法人税が減り、買い手にとっても取得価額が下がるというメリットがあります。
ただし、不相当に高額な部分は損金として認められません。功績倍率法(最終報酬月額×勤続年数×功績倍率)などによって適正額を算定し、株主総会の決議と退職の事実を適切に整えておく必要があります。この設計は税務調査で論点になりやすい領域であり、必ず税理士と事前に検討してください。
ポイント
税金の検討は、価格交渉が始まる前に済ませておくべきです。基本合意後にスキームを変更しようとすると、買い手側の稟議をやり直すことになり、条件が悪化するか、最悪の場合は交渉が振り出しに戻ります。M&Aアドバイザーを選ぶ際は、税務の設計まで一体で相談できる体制があるかを確認することをおすすめします。
8. 買い手のデューデリジェンスで必ず問題になる論点
オンコール手当と未払残業|この業界で最も頻出する簿外債務
訪問看護のデューデリジェンスで、ほぼ確実に指摘されるのが労務の論点です。特に、オンコール体制の取扱いは、この業界に固有の問題として必ず検討されます。
24時間対応体制加算を算定しているステーションでは、看護師が交代で携帯電話を持ち、夜間・休日の連絡に備えます。この待機時間について、多くの事業所は1回あたり数千円程度の「オンコール手当」を支給していますが、問題は待機時間が労働時間に該当するかどうかです。
一般に、自宅で自由に過ごしてよく、単に電話に応答する義務があるだけであれば労働時間には該当しないと解されています。しかし、実際に出動した時間は当然に労働時間であり、深夜割増や時間外割増の対象になります。ここが手当のみで処理されていると、未払賃金として簿外債務になります。
買い手は、直近2年分のオンコール記録と出動実績、それに対応する賃金台帳の突合を求めてきます。差額が算定されれば、その金額が価格から控除されるか、表明保証違反の補償対象として最終契約に組み込まれます。金額が大きければ、案件そのものが見送られることもあります。
報酬請求の適正性と返還リスク
訪問看護の売上は、そのほぼ全額が公的保険からの給付です。裏を返せば、請求が不適正であれば過去に遡って返還を求められるということです。デューデリジェンスで確認される主な項目は次のとおりです。
- 訪問看護指示書の有効期限が切れたまま訪問していないか。
- 特別訪問看護指示書の交付要件(急性増悪等)を満たしているか。
- 訪問看護計画書と報告書が定められた頻度で作成され、主治医に提出されているか。
- 同一建物居住者に対する減算や区分が適切に適用されているか。届け出ている加算の要件を実際に満たしているか。
これらは行政の実地指導でも見られる項目であり、指摘を受けた履歴があれば、その内容と改善状況が精査されます。過去に過誤調整や返還の実績がある場合は、必ず開示を求められます。
売り手として重要なのは、隠さないことです。デューデリジェンスで発覚した問題は、事前に開示されていた問題の何倍もの減額要因になります。買い手の信頼を失えば、他の項目についても厳しく見られることになるためです。
その他、事前に整理しておくべき項目
上記のほか、訪問看護のデューデリジェンスで確認される項目を整理しておきます。売却を検討し始めた段階で、以下のチェックリストに沿って自己点検されることをおすすめします。
- 介護保険・健康保険それぞれの指定通知書と、指定の有効期限
- 管理者の資格証明(保健師または看護師)と常勤性を確認できる資料
- 実地指導・監査の履歴、指摘事項と改善報告書
- 届出済み加算の一覧と、要件充足を裏づける体制の実態
- 直近2年分のオンコール記録・出動実績・賃金台帳
- 就業規則、雇用契約書、固定残業代の定めの有効性
- 看護師・セラピストの資格証と、直近3年の離職状況
- 紹介元別の利用者数の推移(直近2〜3年)
- 医療保険・介護保険別の売上構成比の推移
- 単一建物居住者の人数別・訪問日数別の実績(改定後の点数への影響確認)
- 事務所の賃貸借契約(チェンジオブコントロール条項の有無)
- 訪問車両の所有形態(社有・リース・従業員の私用車利用)
- 電子カルテ・請求システムの契約内容と、承継後の移行可否
- 損害賠償保険の付保状況、医療事故・ヒヤリハットの記録
- 役員貸付金・役員借入金、オーナー個人資産の混入状況
注意点
私用車を業務に使わせている場合は、必ず事前に整理してください。任意保険の内容が業務使用に対応していない、ガソリン代の精算が不透明、事故時の責任分担が不明確といった状態は、労務・保険の両面でリスクとして扱われます。訪問看護では意外に多い論点です。
9. 売却を検討し始めたら、まず何を準備すべきか
決算書だけでは足りない|買い手が最初に見る資料
M&Aの相談に来られる際、決算書3期分だけを持参される方が多いのですが、訪問看護では決算書から読み取れる情報が限られています。買い手が初期的な検討をするために必要なのは、次のような事業データです。
- 月次の訪問件数の推移(直近24か月)
- 利用者数の推移と新規獲得・終了の内訳
- 医療保険と介護保険の売上構成比
- 看護師・セラピストの人員一覧(資格・雇用形態・勤続年数)
- 紹介元別の利用者内訳、届出済み加算の一覧
逆にいえば、この資料が整っている売り手は、それだけで交渉上有利になります。買い手は情報が不足している部分をリスクとして見積もり、価格から差し引くからです。準備の質が、そのまま価格に反映されると考えてください。
管理者の後任問題を、最初に論点化する
繰り返しになりますが、訪問看護のM&Aで最も多く破談の原因になるのが管理者の問題です。これは交渉の後半で解決できる問題ではありません。
オーナーご自身が管理者である場合、まず考えるべきは「自分は譲渡後どうしたいか」です。完全に引退したいのか、一定期間は残ってもよいのか、あるいは経営から離れて現場の看護師として続けたいのか。この意向によって、選ぶべき買い手も、組むべき条件もまったく変わります。
引退を希望される場合は、社内から後任の管理者を育てる時間が必要です。看護師としての実務経験に加え、加算の管理や行政対応、スタッフのマネジメントまで担える人材が育つには、通常1年以上かかります。売却の1〜2年前から準備を始められるかどうかで、選択肢の幅がまったく違ってきます。
譲渡後も残ることは決してマイナスではありません。買い手にとっては、人材確保が最大の課題である以上、経験豊富な看護師がそのまま残ってくれることは歓迎すべきことです。オーナーが一定期間残る前提のほうが、条件がよくなるケースも多くあります。
従業員への開示タイミング
「スタッフにいつ話せばよいのか」は、最も多くいただくご質問のひとつです。
原則としては、最終契約の締結後、クロージングの直前に開示するのが一般的です。交渉の途中で情報が漏れると、決まっていない話でスタッフを不安にさせることになり、それが離職につながれば事業価値そのものが毀損します。訪問看護のように人が事業のすべてである業種では、この影響は特に大きくなります。
ただし、後任の管理者候補となるキーパーソンについては、交渉の早い段階で開示し、協力を得たほうがよい場合があります。その人物が残るかどうかが取引の前提条件になっている以上、クロージング直前に伝えて「聞いていない」と反発されるリスクのほうが大きいためです。
誰に、いつ、どこまで話すか。これはケースごとに設計すべき事項であり、経験のあるアドバイザーと相談しながら決めることをおすすめします。
中小M&Aガイドラインと支援制度の活用
中小企業のM&Aについては、中小企業庁が「中小M&Aガイドライン」を策定しており、現在は第3版が公表されています。仲介者・アドバイザーが遵守すべき事項や、経営者が理解しておくべき手数料体系、利益相反への対応などが整理されています。
特に確認していただきたいのが、仲介契約の内容です。専任条項の有無と期間、テール条項(契約終了後に成約した場合の手数料)の範囲、手数料の算定基準(譲渡対価基準か移動総資産基準か)。これらは最終的な手取りに直結します。ガイドラインに沿った説明を行わない事業者には注意が必要です。
また、国は事業承継・M&Aに関する補助金制度を設けており、専門家に支払う費用の一部が補助対象となる枠があります。公募回次や上限額、対象経費は見直されるため、検討される際は必ず最新の公募要領をご確認ください。交付決定前に発生した費用は補助対象外となるのが原則であり、専門家との契約前に申請のタイミングを確認しておく必要があります。
参考:厚生労働省「令和7年度介護事業経営概況調査結果」(https://www.mhlw.go.jp/content/12300000/001603552.pdf )、国税庁「株式・配当・利子と税」(https://www.nta.go.jp/publication/pamph/koho/kurashi/html/04_5.htm )
10. 買い手候補の類型を知っておく
在宅医療プラットフォーム型
訪問診療クリニックの経営支援、ホスピス住宅の運営、訪問看護を一体で手がける企業群です。訪問看護を単体の事業としてではなく、在宅医療の提供体制の一部として位置づけているため、シナジーを最も高く評価できる買い手といえます。
この類型の買い手は、既存の拠点網との補完性で判断します。自社が展開しているエリアに隣接していれば高い評価が出ますし、まったく重ならないエリアであれば「その地域に出る意味があるか」から検討することになります。自社の所在地と、買い手候補の展開エリアの関係は、価格に直接影響します。
総合介護事業者|エリア補完を動機とする
訪問介護、通所介護、居宅介護支援、有料老人ホームなどを全国または広域で展開している事業者です。この類型の買い手にとって、訪問看護の取得動機は明確で、未展開エリアへの進出と、既存サービスとの人員の相互活用です。
実際、上場している総合介護事業者による訪問看護ステーションの取得は継続的に行われています。この類型は年買法をベースにした価格提示をしてくることが多く、極端に高い金額は出にくい一方で、意思決定のプロセスが確立しており、交渉が安定して進むという特徴があります。
異業種・多角化型|条件は振れやすい
医療・介護を本業としない企業が、ヘルスケア領域への参入や事業ポートフォリオの拡張を目的として取得するケースです。会員制リゾート運営企業や、在宅マッサージ事業者などの参入例があります。
シナジーのストーリーが立てば高い評価が出ることもありますが、業界の実務に対する理解が浅い場合、デューデリジェンスの段階で想定外の指摘が出て条件が変わることがあります。また、本業の業績次第で撤退の判断が早いという傾向もあり、従業員の長期的な処遇を重視される場合は慎重な見極めが必要です。
| 買い手類型 | 主な動機 | 価格の出し方 | 売り手から見た特徴 |
|---|---|---|---|
| 在宅医療プラットフォーム | 訪問診療・ホスピス住宅との垂直統合 | シナジーを織り込み高値もあり得る | エリアの補完性次第で大きく変動 |
| 訪問看護専業ロールアップ | 拠点網の面的拡大 | 生産性指標で厳格に査定 | 自社モデルに合わないと見送られる |
| 総合介護事業者 | 未展開エリアへの進出、人員の相互活用 | 年買法ベース | 交渉が安定して進みやすい |
| 病院・医療法人系 | 小児・難病など高難度領域の専門性取得 | 専門性への評価で倍率が伸びやすい | 専門特化型のステーションと相性がよい |
| 異業種・多角化 | ヘルスケア領域への参入 | シナジー次第で振れ幅が大きい | 業界理解の深さを見極める必要がある |
ポイント
複数の買い手候補と並行して交渉することで、条件を比較できるだけでなく、自社がどの類型から評価されやすいのかが見えてきます。1社だけと話を進めると、提示された条件が妥当なのかを判断する基準を持てません。譲渡先を「価格」だけで選ぶ必要はありませんが、選択肢を持ったうえで選ぶことが重要です。
11. まとめ
訪問看護ステーションのM&Aについて、制度構造から価格算定、税金、デューデリジェンスの論点まで整理してきました。最後に要点を確認します。
- 訪問看護は介護保険の指定を受けると医療保険の指定もみなしで付くという二重構造を持つ。
- 介護保険法上の指定は事業譲渡でも会社分割でも承継されない。株式譲渡であれば法人に紐づく指定がそのまま継続するため、複数拠点を持つ法人では株式譲渡が実質的な唯一の選択肢になる。
- 売却価格の目安は「時価純資産+営業利益×2〜5年分」。固定資産をほとんど持たないため、価格のほぼ全額がのれんで構成される。したがって、正常収益力の整理が価格に直結する。
- 価格を左右する最大の要素は看護師の定着、とりわけ管理者の後任問題。管理者は保健師または看護師でなければならず、この設計ができていない案件はクロージングに至りにくい。
- 令和8年度改定は、機能強化型の評価を厚くする一方、同一建物への集中には逓減を効かせた。併設型ステーションは改定後ベースで収益を再計算しておく必要がある。
- 同じ1億円の譲渡でも、株式譲渡なら手取り約7,631万円、事業譲渡から配当で個人が受け取る場合は約3,491万円と、4,000万円以上の差が生じ得る。税務の設計は価格交渉の前に済ませておく。
訪問看護は、収益性の面でも制度の方向性の面でも、介護分野のなかでは相対的に恵まれた立ち位置にあります。同時に、人件費の上昇と2027年度・2028年度と続く報酬改定を単独で乗り越えるのは、年々難しくなっています。売却するかどうかを決める前に、まず自社が今いくらの価値を持っているのかを知っておくことには、それ自体に意味があります。
弁護士・税理士が連携して、M&Aの初期検討から法務・税務の設計、クロージングまでを一貫してご支援しています。訪問看護ステーションの譲渡をご検討されている方、あるいはまだ具体的ではないが将来の選択肢として知っておきたいという方も、お気軽にご相談ください。
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