「複数の事業のうち、採算の合わない1事業だけを手放したい」「本業に経営資源を集中させたいが、会社ごと売るつもりはない」「顧問税理士から会社分割という方法もあると言われたが、事業譲渡と何が違うのか分からない」。複数の事業を営む中小企業の経営者から、こうしたご相談を数多くいただきます。
一部の事業だけを第三者に売却する場合、選択肢は事業譲渡と会社分割の2つに絞られますが、両者は法的性質・許認可の扱い・従業員対応・税金の取扱いが異なり、選択を誤ると数か月単位のスケジュール遅延や想定外の税負担が発生します。
この記事では、事業譲渡と会社分割の違いを比較したうえで、非上場の中小企業が資本関係のない第三者に一部事業を売却する場面で、実際にどちらが選ばれているのか、その理由は何かを実務の視点から解説します。読み終えたときには、自社がどちらのスキームを軸に検討すべきか、専門家に相談する際に何を確認すべきかが整理できているはずです。
1. 一部の事業だけを売却する方法は「事業譲渡」か「会社分割」
事業譲渡は「事業の売買」、会社分割は「会社法上の組織再編」
事業譲渡と会社分割の最も本質的な違いは、法的性質です。事業譲渡は、事業を構成する資産・負債・契約上の地位をひとつのまとまりとして売買する取引行為であり、その本質は売買契約にあります。会社法には事業譲渡に関する規定(会社法467条以下)が置かれていますが、これは当事者や株主を保護するための手続規定であって、事業譲渡そのものは組織再編行為ではありません。
一方、会社分割は会社法が定める組織再編行為です(会社法2条29号・30号)。会社の事業に関する権利義務の全部または一部を、他の会社に包括的に承継させる制度として設計されています。合併・株式交換・株式移転と同じカテゴリーに属し、分割計画書または分割契約書の作成、株主総会の特別決議、債権者保護手続、登記といった一連の法定手続を経て効力が生じます。
この「売買か、組織再編か」という違いが、以下で述べるすべての差異の出発点になります。売買であれば当事者が自由に対象範囲を決められる一方、移転には相手方の同意が必要です。組織再編であれば法律の効果として権利義務がまとめて移りますが、その代わりに債権者や労働者を保護するための厳格な手続が課されます。どちらが優れているという話ではなく、制度の設計思想が異なると理解することが出発点になります。
特定承継と包括承継という決定的な違い
事業譲渡は「特定承継」です。譲渡対象となる資産・負債・契約を、事業譲渡契約書のなかで一つひとつ列挙して特定します。列挙されなかったものは移転しません。不動産であれば所有権移転登記、債権であれば債権譲渡の対抗要件具備、契約上の地位であれば取引先の承諾、雇用契約であれば従業員本人の同意というように、対象ごとに個別の移転手続が必要になります。
会社分割は「包括承継」です。分割計画書または分割契約書に「承継させる権利義務」として記載した範囲が、分割の効力発生日に法律上当然に移転します。個々の契約について相手方の同意を得る必要は原則としてありません。契約書に記載漏れがあった場合でも、承継対象事業に属する権利義務であれば承継されると解釈される余地があり、逆に言えば把握していなかった債務まで移ってしまうリスクもあります。
実務上、この差は買い手のリスク評価に直結します。事業譲渡なら「契約書に書いていないものは引き継がない」と言い切れますが、会社分割ではそうはいきません。中小企業のM&Aでは、未払残業代・社会保険の未加入期間・過去の税務処理の不備・係争に至っていないクレームといった簿外債務や偶発債務が潜んでいる可能性が相対的に高く、買い手はここを最も警戒します。
ポイント
特定承継と包括承継の違いは、単なる手続の違いではなく「引き継ぐ範囲の確定方法」の違いです。事業譲渡は契約書で足し算をするイメージ、会社分割は事業という塊から引き算をするイメージで捉えると整理しやすくなります。どちらを選ぶかは、対象事業に紐づく契約や従業員の数と、買い手がどの程度のリスクを許容できるかのバランスで決まります。
株式譲渡が使えないのが「一部事業売却」の出発点
中小企業のM&A全体で見れば、最も件数が多いスキームは株式譲渡です。オーナーが保有する株式を買い手に譲渡するだけで、会社が営むすべての事業・資産・契約・許認可がそのまま買い手の傘下に移ります。手続がシンプルで、法人格が変わらないため許認可も原則として維持され、オーナー個人が売主となるため譲渡所得は20.315%の申告分離課税で済みます。
しかし、複数事業のうち1事業だけを売却したい場合、株式譲渡は使えません。株式を譲渡すれば会社ごと移転してしまい、残したい事業まで買い手のものになるからです。そこで、対象事業だけを法人から切り出す手段として、事業譲渡または会社分割が必要になります。この「カーブアウト」と呼ばれる場面に限定した比較が、本記事のテーマです。
なお、会社分割を使う場合でも、最終的には株式譲渡と組み合わせるパターンがあります。対象事業を新設会社に移したうえで、その新設会社の株式を買い手に譲渡するという二段階の設計です。この場合、買い手から見れば取引の形は株式譲渡になります。会社分割は「事業を切り出す手段」であって、それ自体が必ずしも第三者への売却を完結させるわけではない点に注意してください。
2. 事業譲渡と会社分割の違いを比較
一覧比較表で全体像をつかむ
事業譲渡と会社分割の違いを、実務で判断材料になる10項目に整理しました。この表は本記事全体の見取り図にあたります。以降の章では、それぞれの項目について中小企業の実務でどのような意味を持つのかを掘り下げていきます。
| 比較項目 | 事業譲渡 | 会社分割 |
|---|---|---|
| 法的性質 | 取引法上の売買(組織再編ではない) | 会社法上の組織再編行為 |
| 承継の方法 | 特定承継(契約書に列挙した範囲のみ) | 包括承継(記載した権利義務が当然に移転) |
| 簿外債務 | 原則として引き継がない | 引き継ぐ可能性がある |
| 取引先との契約 | 相手方の個別同意が必要 | 原則として同意不要(COC条項に注意) |
| 従業員 | 本人の個別同意が必要 | 労働契約承継法に基づく協議・通知が必要 |
| 債権者保護手続 | 不要 | 原則として必要(官報公告+個別催告、1か月以上) |
| 株主総会 | 原則として特別決議(会社法467条1項) | 原則として特別決議(簡易・略式の例外あり) |
| 対価 | 現金が一般的 | 株式・現金いずれも可能 |
| 消費税 | 課税(土地・のれん等の区分に応じる) | 不課税 |
| 登記 | 移転対象資産ごとに個別登記 | 分割登記が必要 |
買い手にとって最大の違いは簿外債務リスクの遮断
買い手の立場に立つと、10項目のうち圧倒的に重いのが簿外債務の扱いです。事業譲渡であれば、譲渡契約書に記載した資産・負債だけを引き継ぐため、未知の債務が付いてくることは原則としてありません。デューデリジェンスで発見できなかったリスクが後から顕在化しても、それは売り手側の法人に残ります。
会社分割では、承継対象事業に紐づく債務が包括的に移転します。さらに会社法は、分割によって債務の履行を請求できなくなる債権者を保護するため、一定の場合に残存債権者が承継会社へ直接請求できる仕組みを設けています(会社法759条4項、764条4項)。詐害的な会社分割として分割自体の効力が争われる可能性もゼロではありません。買い手側のアドバイザーが事業譲渡を推す最大の理由がここにあります。
中小企業では、労務管理や税務処理が大企業ほど整備されていないケースが少なくありません。管理職の残業代未払い、パート従業員の社会保険適用漏れ、役員報酬の期中変更、外注費と給与の区分といった論点は、規模の大小を問わず頻出します。買い手がこれらのリスクを引き受けたくないと考えるのは合理的な判断であり、売り手側の交渉力が相対的に弱い中小M&Aでは、買い手の意向がスキーム選択を決定づけることが多いのが実情です。
注意点
「簿外債務リスクは表明保証条項でカバーすればよい」と考える方がいますが、中小企業の売り手は表明保証違反が生じた際の支払原資が限られることが多く、買い手にとって実効性のある担保になりません。表明保証保険も一定規模以上の案件でなければコストが見合わないため、契約でリスクを移転するより、スキームでリスクを遮断するほうが確実だと判断されることが多いです。
売り手にとって最大の違いは手続負担とスケジュール
売り手の立場では、手続の重さが判断を左右します。事業譲渡で法律上必須なのは、原則として株主総会の特別決議(会社法467条1項1号・2号)です。中小企業では株主がオーナー一族に限られることが多く、この決議自体は大きな負担になりません。あとは移転対象ごとの個別手続を粛々と進めるだけです。
会社分割は、これに加えて多くの法定手続が積み上がります。分割計画書または分割契約書の作成、事前開示書類の本店備置き、株主総会の特別決議、債権者保護手続(官報公告と知れている債権者への個別催告、異議申述期間1か月以上)、労働契約承継法に基づく通知・協議、分割登記、事後開示書類の備置きという流れです。とくに債権者保護手続は法定期間があるため、当事者の努力では圧縮できません。
さらに、これらの手続には弁護士・司法書士・税理士の関与が実質的に必須となり、専門家報酬が上乗せされます。譲渡対価が数千万円から数億円という中小M&Aの規模感では、この固定費が対価に占める比率は無視できません。手続コストと得られるメリットを天秤にかけた結果、事業譲渡が選ばれるという構図です。
3. 会社分割には「吸収分割」と「新設分割+株式譲渡」の2ルートがある
会社分割は、承継先が既存会社か新設会社かによって「吸収分割」と「新設分割」に分かれ、さらに対価を受け取るのが分割会社か分割会社の株主かによって「分社型分割」と「分割型分割」に分かれます。理屈のうえでは4類型ありますが、資本関係のない第三者へのカーブアウトで実際に検討されるのは、次の2ルートに絞られます。
吸収分割:買い手に事業を直接承継させる
吸収分割は、既存の会社である買い手に事業を直接承継させる方法です。売り手(分割会社)と買い手(承継会社)が吸収分割契約を締結し、効力発生日に対象事業の権利義務が買い手に移転します。対価は買い手の株式でも現金でも構いません。現金対価の吸収分割は、経済的には事業譲渡とよく似た効果を生みますが、承継が包括的である点が異なります。
実務上の難点は、買い手側も当事会社になるという点です。買い手にも株主総会の特別決議(簡易吸収分割の要件を満たせば省略可)、債権者保護手続、事前・事後開示書類の備置き、分割登記といった手続が発生します。買い手が上場企業であれば適時開示の検討も加わります。売り手が「会社分割で進めたい」と提案しても、買い手側が自社の手続負担を理由に難色を示すことは珍しくありません。
また、分割無効の訴えや残存債権者からの直接請求といった法的リスクを、買い手が当事者として直接負うことになります。売り手の過去の行為に起因するリスクが自社に及ぶ構造を、買い手は嫌います。結果として、第三者間の吸収分割は、対価を買い手株式とする資本提携型の案件や、買い手が事業を自社に直接取り込みたい統合志向の案件に限られる傾向があります。
新設分割+株式譲渡:受け皿会社を作ってから株式を売る
もう一つのルートが、新設分割で受け皿会社を設立して対象事業を移し、その新設会社の株式を買い手に譲渡する二段階の設計です。第一段階の新設分割は売り手が単独で実行できるため、買い手を巻き込まずにスケジュールを組めます。第二段階の株式譲渡は、買い手にとって最も一般的な取引形態です。
この設計の利点は明確です。分割に伴う債権者保護手続や労働契約承継法の対応は売り手側で完結し、買い手は株式譲渡契約を締結して代金を払うだけで済みます。買い手側の意思決定も、株式取得であれば取締役会決議で足りることが多く、株主総会や債権者保護手続は不要です。分割の瑕疵に関するリスクも、買い手から見れば売り手の表明保証と補償責任で処理する対象になります。
さらに、新設会社で必要な許認可の取得、契約の巻き直し、システムの分離といった準備を、株式を渡す前に完了させておけます。買い手はクリーンな状態の会社を引き取れるため、クロージング後の混乱が起きにくいという実務上のメリットもあります。
ポイント
「新設分割+株式譲渡」を選ぶ場合、分割の効力発生から株式譲渡までの期間設計が重要です。期間が短すぎると税務上の適格判定に影響し、長すぎると新設会社を単独で運営するコストが売り手負担で膨らみます。分割後クロージングまでの対象事業の収支をどちらが負担するかも、株式譲渡契約で明確に定めておく必要があります。
第三者売却では「新設分割+株式譲渡」が使われることが多い理由
資本関係のない第三者へのカーブアウトで会社分割を使う場合、実務上は「新設分割+株式譲渡」が選ばれるケースが大半です。理由は前項で述べた手続負担の配分に加えて、税務上の理由があります。
「現金対価の吸収分割」は、税制適格要件のうち対価要件(分割承継法人の株式のみが交付されること)を満たさないため、非適格分割となることが確定します。非適格であれば移転資産は時価で譲渡したものとされ、分割会社に譲渡損益が計上されます。同時に、不動産取得税の非課税措置(地方税法73条の7第2号)も対価要件を満たせず使えません。つまり、事業譲渡と課税関係がほぼ同じでありながら、手続だけが重いという結果になります。
「新設分割」では、対価は新設会社の株式なので対価要件は満たします。もっとも、分割後に新設会社株式を第三者へ譲渡することが見込まれている場合、完全支配関係の継続要件を満たさず非適格となるのが原則です。ただし、非適格であっても、単独の新設分割は自らが100%出資する会社への移転であり、第三者間のような価格形成の契機がありません。そのため、帳簿にない自己創設の営業権まで移転資産として時価評価しないのが通常の実務です。この整理では、分割時に実現するのは既存資産の含み損益にとどまり、のれん相当は後続の株式譲渡の時点で益として実現します。通算した課税所得は同額で、違いは含み益部分の課税が前倒しされるかどうかだけです。適格判定を外しても税負担の総額が跳ね上がらないという頑健性が、この設計が選ばれる実務的な理由です。
| 比較項目 | 吸収分割 | 新設分割+株式譲渡 |
|---|---|---|
| 買い手の手続負担 | 株主総会・債権者保護手続・登記が必要 | 株式譲渡契約のみ(取締役会決議で足りることが多い) |
| 売り手の手続 | 分割手続を買い手と共同で実施 | 分割手続を単独で先行実施できる |
| 対価 | 買い手株式または現金 | 現金(株式譲渡代金) |
| 税制適格性 | 現金対価なら非適格が確定 | 非適格が原則(ただし課税総額への影響は限定的) |
| 分割の瑕疵リスク | 買い手が当事者として直接負う | 売り手側で完結(表明保証で処理) |
| クロージング前の準備 | 買い手側で対応が必要 | 新設会社で許認可取得・契約整備が可能 |
4. 中小企業の第三者M&Aで事業譲渡が選ばれやすい4つの理由
ここまで会社分割の仕組みを見てきましたが、実際の中小M&Aの現場では、一部事業のカーブアウトは事業譲渡で進めるケースが多数を占めます。単に「会社分割が難しいから」ではなく、構造的な理由が4つあります。
理由1:買い手が簿外債務・偶発債務の遮断を要求する
最も大きな理由が、買い手側の要求です。中小企業の売り手は、大企業と比べて労務・税務・法務の管理体制が整っていないことが多く、デューデリジェンスで発見しきれないリスクが残ります。買い手のアドバイザーである弁護士や公認会計士は、包括承継によって未知の債務を引き受ける構造を避けようとします。
特に、買い手が上場企業や投資ファンドの場合、社内の投資委員会や監査法人への説明責任があるため、スキーム選択の自由度は低くなります。「なぜリスクを遮断できる事業譲渡ではなく、包括承継の会社分割を選んだのか」を説明できなければ稟議が通りません。売り手側が会社分割のメリットをいくら主張しても、買い手が受け入れなければ成立しないのがM&Aです。
この点は、売り手側アドバイザーの知識量とは無関係に決まります。会社分割の実務に精通したアドバイザーが付いていても、買い手が事業譲渡を求めれば、そちらで進めるほかありません。逆に言えば、売り手として会社分割を実現したいのであれば、買い手候補の選定段階からスキームの前提をすり合わせておく必要があります。
理由2:現金対価の吸収分割は税制非適格が確定する
前章で触れたとおり、買い手が現金で対価を支払う前提では、吸収分割は税制適格要件の対価要件を満たさず、非適格分割となります。非適格分割では移転資産が時価で評価され、分割会社に譲渡損益が生じます。これは事業譲渡と同じ課税結果です。
さらに、会社分割のメリットとしてよく挙げられる不動産取得税の非課税措置(地方税法73条の7第2号)も、分割対価が分割承継法人の株式のみであることなどを要件としているため、現金対価では適用されません。登録免許税についても、土地の売買による所有権移転登記には租税特別措置法72条1項の軽減税率1.5%が適用され(適用期限は令和11年3月31日まで延長されています)、会社分割の本則2.0%より低くなります。土地を含む事業の移転では、むしろ事業譲渡のほうが登録免許税は安くなるのです。
結果として、現金対価の吸収分割に残るメリットは、包括承継による契約の巻き直し不要と、消費税が不課税になる点のみです。この2点のために債権者保護手続と労働契約承継法対応を追加するのは、多くの中小案件で割に合いません。
注意点
「会社分割は税制優遇が受けられる」という一般的な説明は、グループ内再編や株式対価を前提としたものです。資本関係のない第三者に現金で売却する場面では、この前提が崩れます。ネット上の解説記事の多くはこの区別をしていないため、自社のケースに当てはまるかを必ず税理士に確認してください。
理由3:譲渡対価に対して会社分割の手続コストが重い
会社分割を実行するには、分割計画書の作成、事前・事後開示書類の準備、官報公告の掲載、知れている債権者への個別催告、労働契約承継法に基づく通知と協議、分割登記といった作業が発生します。官報公告費用に加え、弁護士・司法書士・税理士への報酬を合わせると、案件規模にかかわらず一定の固定費が乗るのが一般的です。
中小企業の一部事業売却では、譲渡対価が数千万円から数億円というレンジに収まることが多く、この固定費が対価に占める比率は無視できません。事業譲渡であれば、同じ案件で契約書作成と個別移転手続の実費に収まる可能性があります。
加えて、債権者保護手続の異議申述期間が1か月以上と法定されているため、会社分割はスケジュールが2〜3か月延びます。M&Aは時間が経つほど情報漏洩リスクと交渉決裂リスクが高まるため、期間の長期化そのものがコストです。売り手・買い手双方が早期クロージングを望むケースでは、この点も事業譲渡を後押しします。
理由4:買い手がのれんを税務上償却できる
「事業譲渡」では、買い手が支払った対価と受け入れた資産・負債の時価純額との差額が、税務上の資産調整勘定(いわゆる税務上ののれん)として認識され、5年間の均等償却によって損金に算入できます(法人税法62条の8)。買い手にとっては、買収後5年間にわたって課税所得を圧縮できるため、実質的な買収コストが下がります。
「新設分割+株式譲渡」のスキームでは、買い手は株式を取得するだけなので、原則としてこの償却メリットを得られません。のれん相当額は株式の取得価額に含まれ、将来その株式を売却するまで損金になりません。この差は買い手の支払可能額に直結し、バリュエーションの交渉で減額方向に働きます。
実際の交渉では、買い手が「事業譲渡ならこの金額、株式譲渡なら税務メリットがない分これだけ下げてほしい」と提示してくることがあります。売り手側としては、消費税負担や手続コストと合わせて、手取り額ベースで比較する視点が不可欠です。スキーム選択は税務・法務・交渉が絡み合う総合判断であり、単独の論点で決めるべきではありません。
ポイント
スキームを比較する際は、譲渡価格そのものではなく「売り手の税引後手取り額」と「買い手の税引後実質負担額」で並べてください。消費税・法人税・のれん償却・手続コストをすべて織り込むと、額面の高いオファーが必ずしも有利ではないケースが出てきます。この試算は交渉の初期段階で作っておくべきです。
5. 許認可は「会社分割なら承継できる」とは限らない
許認可の承継可否はスキームではなく業種の根拠法令で決まる
事業譲渡と会社分割を比較する解説の多くは、「事業譲渡では許認可を取り直す必要があるが、会社分割なら原則として承継される」と説明しています。これは実務上、誤解を招く単純化です。許認可が承継できるかどうかを決めるのは会社法ではなく、各業種の根拠法令だからです。事業譲渡でも承継できる業種があり、会社分割でも承継できない業種があります。主な業種の取扱いを整理すると次のとおりです。
| 業種 | 事業譲渡 | 会社分割 |
|---|---|---|
| 建設業 | 事前の認可で承継可(建設業法17条の2)。ただし許可業種の全部が対象 | 事前の認可で承継可(建設業法17条の2) |
| 一般貨物自動車運送事業 | 認可で承継可(貨物自動車運送事業法30条1項)。事業の全部が対象 | 認可で承継可(同法30条2項) |
| 産業廃棄物処理業 | 承継不可。譲受側が新規許可を取得 | 自治体の運用により異なるため個別確認が必要 |
| 宅地建物取引業 | 承継不可。新規免許が必要 | 承継不可。新規免許が必要 |
| 貸金業 | 承継不可。新規登録が必要 | 承継不可。新規登録が必要 |
| 介護保険・障害福祉サービス | 承継不可。新規指定が必要 | 承継不可。新規指定が必要 |
自社の許認可がどこに位置づけられるかを、スキーム検討の最初の段階で確認してください。ここを取り違えると、スキーム比較の前提そのものが崩れます。
事業譲渡でも許認可を承継できる業種がある
典型例が建設業です。令和2年10月1日施行の改正建設業法により、事業譲渡・合併・分割のいずれについても、あらかじめ事前の認可を受けることで、許可の空白期間を生じさせずに建設業者としての地位を承継できる制度が新設されました(建設業法17条の2)。それ以前は、事業譲渡でも会社分割でも従前の許可を廃業して新規申請し直す必要があり、その間は軽微な工事しか請け負えないという不利益がありました。参照:国土交通省関東地方整備局「事業承継等の事前認可制度」https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000877209.pdf
ただし、この認可には実務上の重要な制約があります。事業譲渡による承継では、譲渡人が有している建設業許可を全業種まとめて譲渡する必要があり、一部業種のみの譲渡は認められません。カーブアウトで特定の工事業種だけを切り出したいという設計は、この制度では実現できないということです。一般貨物自動車運送事業の譲渡譲受認可も同様に、事業の全部を対象とすることが前提とされています。承継規定があるからといって、切り出したい範囲を自由に設計できるわけではない点に注意が必要です。
また、中小企業等経営強化法に基づく経営力向上計画の認定を受けることで、事業譲渡でも許認可を承継できる特例があります。対象は、旅館業・建設業・火薬類製造業および火薬類販売業・一般旅客自動車運送事業・一般貨物自動車運送事業・一般ガス導管事業の6業種です。この特例は中小企業間の事業承継を想定した制度であり、当事者のいずれかが大企業に該当する場合は適用されません。また、事業譲渡の実行前に計画の認定を受けていることが絶対条件で、契約締結後に申請しても間に合いません。
ポイント
経営力向上計画の許認可承継特例と、建設業法17条の2の承継制度は別の仕組みです。承継対象に建設業以外の許認可(運送業・旅館業など)も含まれる場合は、経営力向上計画のほうが一度に処理できて有利になることがあります。いずれも所管行政庁への事前相談が出発点です。
会社分割でも承継できない業種がある
逆に、会社分割であっても許認可が承継されない業種があります。宅地建物取引業免許や貸金業登録は、その代表例です。これらは会社分割による承継の規定が置かれておらず、承継先が新規に免許・登録を取得しなければなりません。
産業廃棄物処理業も、事業譲渡では承継できません。譲受側が自ら許可を取得する必要があり、審査には収集運搬業で1〜2か月程度、処分業では半年前後を要するのが一般的です。役員の講習受講が要件となるため、その日程確保も含めて早期に着手しなければ、クロージング日に事業を継続できません。
介護保険サービスや障害福祉サービスの指定も同様です。厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部障害福祉課とこども家庭庁支援局障害児支援課が連名で発出した令和6年6月21日付事務連絡「障害福祉サービス事業者等の吸収合併等に伴う事務の簡素化について」は、吸収合併・吸収分割・新設合併・新設分割・事業譲渡の5類型すべてについて、承継先の法人の事業所として新規に申請・指定を行う必要があると明記しています。参照:https://www.mhlw.go.jp/content/12200000/001267463.pdf
もっとも、同事務連絡は、承継の前後で事業所が実質的に継続して運営されると指定権者が認める場合には、提出書類を変更部分のみに絞る手続簡素化や、報酬上の実績通算といった柔軟な取扱いを行うとしています。さらに、会社法に基づき旧法人の権利義務を承継する場合、すなわち合併や会社分割の場合には、利用者との利用契約の再締結を不要とするとも定めています。事業譲渡では利用契約を一件ずつ締結し直す必要があるため、利用者数が多い事業ではこの差が会社分割を選ぶ理由になり得ます。
注意点
「会社分割にすれば許認可がついてくる」という前提でスケジュールを組むと、クロージング日に事業を継続できないという最悪の事態を招きます。許認可の要否と手続期間は、価格交渉より先に確定させるべき事項です。特に、指定・登録の申請には管理者や有資格者の要件確認が含まれるため、キーパーソンの残留意向とセットで確認してください。
許認可の空白期間を作らないスケジュール設計
許認可が承継できない業種では、旧法人の廃止届と新法人の許可・指定取得の日付を1日もずらさないスケジュール設計が求められます。1日でも空白が生じれば、その日は事業を適法に行えず、売上を計上できません。
行政手続には固有のリードタイムがあります。指定を受けようとする日の前月10日頃までに申請書を提出させる運用、廃止する日の1か月前までに廃止届を求める運用など、自治体ごとの取扱いを事前に確認しておく必要があります。逆算すると、クロージング日の2〜3か月前には所管官庁との協議を開始しておかなければ間に合いません。
この点は、事業譲渡が会社分割より手続が軽いという一般論を覆すことがあります。会社分割の債権者保護手続に1か月以上かかるとしても、許認可の申請リードタイムのほうが長ければ、そちらがボトルネックになるからです。全体スケジュールは、法務手続と行政手続の両方を並べたうえでクリティカルパスを特定して組むべきです。
6. 税金の違いを正しく整理する
消費税:事業譲渡は課税、会社分割は不課税
事業譲渡は資産の売買であるため、消費税の課税対象になります。課税されるのは、建物・機械・車両などの有形固定資産(土地を除く)、特許権や商標権などの無形固定資産、棚卸資産、そしてのれんです。土地や有価証券、金銭債権は課税対象外または非課税となります。
会社分割は組織再編行為であり、資産の譲渡等に該当しないため、消費税は課されません。ここで注意したいのは、正しくは「不課税」であって「非課税」ではないという点です。解説記事の多くが会社分割を「非課税」と表記していますが、非課税取引と不課税取引は消費税法上の位置づけが異なり、課税売上割合の計算への影響も変わります。専門家に確認する際は用語を正確に使ってください。
実務上のインパクトは、買い手が仕入税額控除を受けられるかどうかで大きく変わります。買い手が原則課税の課税事業者であれば、支払った消費税は控除できるため、最終的な負担は資金繰り上の一時的なものにとどまります。しかし、買い手が免税事業者や簡易課税適用事業者である場合、あるいは非課税売上が中心の事業者である場合、消費税は控除しきれないコストとして残ります。この場合、消費税が不課税となる会社分割を選ぶ経済合理性が生まれます。
ポイント
消費税の負担が問題になるのは、買い手が仕入税額控除を受けられないケースです。医療・福祉・住宅賃貸・金融保険など非課税売上が中心の業種、あるいは免税事業者や簡易課税適用事業者が買い手となる場合は、課税資産部分に対する10%が純粋なコストになります。この点は買い手の課税区分を確認しなければ判断できません。
法人税:譲渡益課税と適格判定
事業譲渡では、譲渡対価と譲渡した資産・負債の帳簿価額との差額が譲渡損益となり、売り手法人の益金または損金に算入されます。売り手が法人である以上、この譲渡益には法人税・地方法人税・法人住民税・法人事業税および特別法人事業税が課されます。法定実効税率は、期末資本金1億円以下の中小法人が標準税率で33.58%、外形標準課税の対象となる資本金1億円超の法人が30.62%です。東京都のように超過税率を設けている自治体では、一定規模以上の中小法人に34.59%が適用されます。
会社分割では、税制適格要件を満たすかどうかで扱いが分かれます。適格分割であれば資産は帳簿価額で引き継がれ、譲渡損益の計上が繰り延べられます。非適格分割であれば時価で移転したものとされ、事業譲渡と同様に譲渡損益が計上されます。
ただし、第三者への売却を前提とする場合、適格になる方が必ずしも有利とは限りません。適格分割では新設会社株式の取得価額が移転した純資産の帳簿価額となるため(法人税法施行令119条1項7号)、その株式を第三者に譲渡すれば差額がまるごと譲渡益になります。非適格分割では既存資産の含み損益が分割時に実現し、その分だけ株式の取得価額が上がるため、株式譲渡時の益はその分小さくなります。いずれの場合も通算した課税所得は同額で、違いは含み益部分の課税が前倒しされるかどうかだけです。
登録免許税・不動産取得税:どちらが有利かは資産構成次第
「会社分割なら流通税の軽減措置が受けられる」という説明が広く流布していますが、これは正確ではありません。税目ごとに有利・不利が分かれます。
| 税目 | 事業譲渡 | 会社分割 |
|---|---|---|
| 登録免許税(土地の所有権移転) | 1.5%(租特法72条1項、令和11年3月31日まで) | 2.0%(本則) |
| 登録免許税(建物の所有権移転) | 2.0% | 2.0% |
| 不動産取得税 | 課税(土地・住宅3%、住宅以外の家屋4%。宅地評価土地は課税標準1/2。いずれも令和9年3月31日まで) | 一定の要件を満たせば非課税(地方税法73条の7第2号) |
| 消費税 | 課税(土地・のれん等の区分に応じる) | 不課税 |
登録免許税については、土地を含む場合はむしろ事業譲渡のほうが安くなります。国税庁が公表しているリーフレットのとおり、土地の売買による所有権移転登記には軽減税率が適用され、その適用期限は令和8年度税制改正で令和11年3月31日まで延長されました。参照:国税庁「登録免許税の税率の軽減措置に関するお知らせ」https://www.nta.go.jp/publication/pamph/sonota/0020003-124_01.pdf
会社分割が明確に有利なのは不動産取得税です。事業譲渡では、土地および住宅は税率3%、住宅以外の家屋は本則の4%が課され、宅地評価土地については課税標準が2分の1に軽減されます(3%への軽減と2分の1特例はいずれも令和9年3月31日まで)。工場・事務所・店舗といった非住宅の家屋が中心の事業では、4%の負担がそのまま残ります。
一方、会社分割は一定の要件を満たせば不動産取得税が非課税となります。地方税法73条の7第2号および同法施行令37条の14が定める要件は、分社型分割の場合、分割対価として分割承継法人の株式以外の資産が交付されないこと、分割事業に係る主要な資産・負債が移転すること、分割事業が分割後も引き続き営まれる見込みであること、分割事業の従業者のおおむね80%以上が承継法人の業務に従事する見込みであることの4つです。分割型分割ではこれに按分交付の要件が加わります。
ここで押さえておくべきなのは、この要件のなかに「支配関係の継続」が含まれていないという点です。法人税法上の適格要件では、単独新設分割は完全支配関係が継続する見込みであることが求められ、分割後に株式を第三者へ譲渡する予定があれば非適格になります。しかし、地方税法の非課税要件はそれを問いません。したがって、新設分割で対価を株式とし、その後に株式を譲渡する設計であれば、法人税法上は非適格でありながら不動産取得税は非課税という組み合わせが成立します。一方、買い手が現金で対価を支払う吸収分割では、金銭等不交付要件を満たせないため非課税措置は使えません。
注意点
流通税の有利・不利は、移転する不動産が土地中心か建物中心か、そして分割の対価が株式か現金かで逆転します。「会社分割のほうが税金が安い」という一般論を鵜呑みにせず、自社の資産構成に基づいた試算を必ず行ってください。不動産を含まない事業であれば、そもそもこの論点は発生しません。また、分割対象事業と無関係な不動産(賃貸中の物件や本社土地など)を分割に含めた場合、他の要件を満たしていても課税されることがあります。判断は都道府県ごとに分かれるため、税理士への事前相談が必須です。
のれん(資産調整勘定)の5年均等償却
買い手の税務メリットとして最も大きいのが、税務上ののれんの償却です。「事業譲渡」によって事業の移転を受けた場合、支払対価が受け入れた資産・負債の時価純額を上回る部分は資産調整勘定として計上され、5年間の均等償却で損金に算入されます(法人税法62条の8)。買い手が現金対価で受け入れる吸収分割も、非適格分割として同じ扱いになります。
例えば、対価1億円のうち、時価純資産が4,000万円で残り6,000万円がのれんであれば、買い手は5年間にわたり毎期1,200万円を損金算入できます。実効税率を33.58%とすれば、5年間で約2,015万円の税負担軽減になります。買収資金の約2割に相当し、買い手のキャッシュフローに直結する価値です。その分だけ支払える対価が上がります。
一方、「新設分割+株式譲渡」で買い手が株式を取得する場合、のれん相当額は株式の取得価額に含まれ、償却できません。会計上ののれん償却は行われますが、税務上は損金になりません。売り手としては、スキームの違いが買い手のバリュエーションにどう跳ね返るかを理解したうえで、価格交渉に臨む必要があります。
7. 手続きとスケジュールの違い
事業譲渡の手続きフロー
事業譲渡は、相手先の探索・交渉から始まり、秘密保持契約、基本合意、デューデリジェンス、最終条件交渉、取締役会決議、株主総会の特別決議、事業譲渡契約の締結、クロージングという流れで進みます。会社法上の必須手続は株主総会の特別決議のみです。しかも、事業の重要な一部の譲渡であっても、譲り渡す資産の帳簿価額が譲渡会社の総資産額の5分の1(定款で引き下げ可)を超えない場合は、決議が不要となります(会社法467条1項2号括弧書)。複数事業のうち小規模な1事業を切り出すケースでは、この簡易事業譲渡に該当することが少なくありません。
実務上の負担は、契約締結後の個別移転手続に集中します。取引先契約の巻き直し、従業員との雇用契約再締結、リース契約の名義変更、賃貸借契約の承諾取得、金融機関との調整、不動産の移転登記、許認可の取得といった作業を、クロージング日に間に合うように並行して進める必要があります。移転対象が多いほど、この段階の工数が膨らみます。
また、事業を譲渡した会社には会社法21条に基づく競業避止義務が課され、原則として同一市町村および隣接市町村の区域内において20年間、同一の事業を行うことができません。契約でこれを排除・修正することも可能ですが、売り手が同種事業を継続する予定がある場合は、契約段階で明確に手当てしておく必要があります。
会社分割の手続きフロー
会社分割では、上記の交渉プロセスに加えて、法定の組織再編手続が重なります。分割計画書または分割契約書の作成、事前開示書類の本店備置き(効力発生日後6か月を経過する日まで)、労働契約承継法に基づく労働者への通知、株主総会の特別決議、債権者保護手続、反対株主の株式買取請求への対応、効力発生、分割登記、事後開示書類の備置きという順序です。
このうちスケジュールを規定するのが債権者保護手続です。官報に公告を掲載し、知れている債権者には個別に催告したうえで、1か月以上の異議申述期間を設けなければなりません。官報公告は掲載申込みから掲載まで数日から2週間程度を要するため、実際には1か月半程度を見込む必要があります。
| フェーズ | 事業譲渡 | 会社分割(新設分割+株式譲渡) |
|---|---|---|
| 相手先探索・交渉 | 2〜4か月 | 2〜4か月 |
| デューデリジェンス | 1〜2か月 | 1〜2か月 |
| 法定手続 | 株主総会特別決議のみ | 分割計画書作成・事前開示・株主総会・債権者保護手続(1か月以上)・登記で計2〜3か月 |
| 個別移転手続 | 契約巻き直し・登記・許認可で1〜3か月 | 分割により包括承継(許認可は別途) |
| 合計目安 | 4〜8か月 | 6〜10か月 |
ポイント
上記はあくまで目安です。実際のクリティカルパスは、許認可の申請リードタイム、金融機関の担保解除交渉、キーパーソンの引継ぎ期間など、案件固有の事情で決まります。逆算スケジュールを最初に引き、どの工程が全体を律速するかを特定してから着手することが、期限管理の基本になります。
8. 従業員・取引先への対応の違い
事業譲渡は従業員一人ひとりの同意が必要
事業譲渡では、雇用契約も特定承継の対象です。譲渡会社と従業員の雇用契約を合意解約し、譲受会社との間で新たに雇用契約を締結するという形をとります。民法625条1項により、使用者は労働者の承諾がなければ第三者に権利を譲渡できないため、本人の同意なしに転籍させることはできません。
実務上のリスクは、同意が得られない従業員が出ることです。買い手が期待していたキーパーソンが転籍を拒否すれば、事業価値そのものが毀損します。また、転籍に伴って労働条件を変更する場合は、変更内容を明示したうえで個別の同意を得る必要があり、勤続年数の通算、退職金の取扱い、有給休暇の引継ぎといった論点を整理しなければなりません。
従業員への開示タイミングも難しい判断です。早く伝えすぎれば動揺や離職を招き、遅すぎれば同意取得が間に合いません。一般的には、最終契約の締結後、クロージングまでの間に説明会を開催し、個別面談で同意を取得する進め方が採られます。買い手の担当者が同席して事業方針や処遇を直接説明することが、同意率を高めるうえで有効です。
会社分割は労働契約承継法に基づく手続が必要
会社分割では雇用契約も包括承継の対象となるため、個別の同意は不要です。その代わり、会社分割に伴う労働契約の承継等に関する法律(労働契約承継法)に基づく手続が課されます。
手続は、7条措置・5条協議・2条通知という順序で進みます。まず労働契約承継法7条に基づき、雇用する労働者全体の理解と協力を得るよう努める措置を講じます。次に、平成12年商法等改正法附則5条に基づく協議(いわゆる5条協議)として、承継される事業に従事する労働者と個別に協議を行います。ここでは、勤務することになる会社の概要、その労働者が承継対象に当たるかどうか、承継後の業務内容・就業場所・就業形態を説明し、本人の希望を聴取します。
そのうえで、承継される事業に主として従事する労働者、承継対象に含まれるその他の労働者、および労働協約を締結している労働組合に対し、書面で個別に通知します(2条通知)。通知期限は、分割契約等について株主総会の承認を要する場合は株主総会の日の2週間前の日の前日まで、承認を要しない場合は分割契約の締結日または分割計画の作成日から起算して2週間を経過する日までです。承継される事業に主として従事する労働者が承継対象から外れている場合や、主として従事していない労働者が承継対象に含まれている場合、その労働者は異議を申し出ることができ、異議が認められれば承継の有無が逆転します。
最高裁判所は、5条協議が全く行われなかった場合や著しく不十分だった場合には、労働者が承継の効力を争えるとの判断を示しています。5条協議と7条措置は2条通知に先立って実施する必要があるため、逆算すると分割契約の締結や分割計画の作成よりもかなり前の段階から準備を始めなければ間に合いません。会社法上の債権者保護手続と合わせると、会社分割のスケジュールはタイトになりがちです。
注意点
「会社分割なら従業員の同意は不要」という理解は正しいものの、労働契約承継法の手続を軽視すると承継自体の効力が争われるリスクがあります。5条協議は形式的な説明会では足りず、対象労働者一人ひとりに対して勤務先・業務内容・労働条件の変更点を説明し、意見を聴く必要があります。手続の記録も必ず残してください。
取引先との契約とチェンジオブコントロール条項
「事業譲渡」では、取引先との契約上の地位を移転するために、相手方の承諾が必要です(民法539条の2)。取引先が多い事業では、この承諾取得が最大の実務負担になります。承諾を得る過程でM&Aの事実が広く知れ渡るため、情報管理の観点でも難しさがあります。
「会社分割」では包括承継により契約上の地位が移転するため、原則として承諾は不要です。ただし、契約書にチェンジオブコントロール条項(支配権の異動があった場合に相手方が解除できる旨の条項)や、組織再編を解除事由とする条項が置かれている場合は、包括承継であっても相手方に解除権が発生します。主要な取引先の契約書は、デューデリジェンスの段階で必ず確認が必要です。
また、新設分割+株式譲渡のスキームでは、分割段階では承諾不要でも、その後の株式譲渡がチェンジオブコントロール事由に該当する可能性があります。二段階のスキームでは、どちらの段階でどの条項が発動するかを整理しておかなければなりません。
9. 会社分割が有利になるケースと「逆方向」の設計
契約・従業員が大量で個別同意が現実的でない場合
ここまで事業譲渡が選ばれやすい理由を述べてきましたが、会社分割が明確に優位となる場面もあります。
- 第一に、承継対象となる契約や従業員の数が多く、個別同意の取得が現実的でない場合です。取引先が数百社ある卸売事業、会員契約が大量にあるサービス事業、多数の賃貸借契約を抱える事業などでは、事業譲渡による契約の巻き直しは事実上不可能です。従業員が数十名を超え、そのうち一定数が転籍に難色を示す可能性がある場合も同様です。この場合、包括承継の効果が手続コストを上回ります。
- 第二に、買い手が仕入税額控除を受けられず、消費税が純粋なコストとして残る場合です。
- 第三に、移転する不動産が多く、不動産取得税の非課税措置を使える設計が組める場合です。
- 第四に、許認可について会社分割による承継の規定が置かれており、事業譲渡では承継できない業種の場合です。
これら4つのいずれかに該当するかを確認することが、会社分割を検討する出発点になります。
売る事業を残し、残す事業を切り出すという発想
実務で見落とされがちなのが、切り出す方向を逆にする設計です。通常は「売りたい事業を新設会社に移して、その株式を売る」と考えますが、「残したい事業を新設会社に移して、元の会社の株式を売る」という組み方もできます。
この逆方向の設計には、税務上の大きなメリットがあります。残したい事業を分割型分割で新設会社に切り出し、オーナーがその新設会社の株式を継続保有すれば、税制適格を維持できる可能性が高まります。平成29年度税制改正により、単独新設分割型分割の支配関係継続要件について、分割後の分割法人との関係継続は不要とされたためです。そのうえで元の会社の株式をオーナー個人が譲渡すれば、譲渡所得は20.315%の申告分離課税で済みます。
売主が法人となる分社型分割+株式譲渡では、譲渡益に法人税の実効税率33.58%が課され、その資金を個人に移すには配当や役員退職金という二重課税の関門があります。逆方向の設計なら、対価が直接オーナー個人に入り、税率差は約13ポイントに達します。なお、新設分割型分割に伴う剰余金の配当については分配可能額の規制が適用されないため(会社法812条)、剰余金の少ない会社でも実行できます。
| 比較項目 | 通常の設計(売る事業を切り出す) | 逆方向の設計(残す事業を切り出す) |
|---|---|---|
| 切り出す対象 | 売却対象事業 | 継続保有したい事業 |
| 売却する株式 | 新設会社の株式 | 元の会社の株式 |
| 売主 | 分割法人(法人) | オーナー個人 |
| 税制適格性 | 非適格が原則 | 適格を維持しやすい |
| 適用税率 | 法人税の実効税率33.58% | 20.315%(申告分離課税) |
| 資金の着地 | 会社(個人化には二重課税) | オーナー個人に直接 |
逆方向の設計が使えない場合
税率面で有利な逆方向の設計ですが、実行できないケースが多いのも事実です。最大の障害は、買い手が元の会社を丸ごと取得することを受け入れるかどうかです。元の会社には過去の債務・税務リスク・係争がすべて残るため、買い手はまさに簿外債務の包括承継を引き受けることになります。事業譲渡を求める買い手が、この設計に応じる可能性は高くありません。
第二の障害が許認可です。残したい事業に許認可が必要で、それが新設会社で新規取得できない、あるいは取得に長期間を要する業種の場合、この設計は実行不能です。許認可の承継可否が、切り出す方向の選択を制約するのです。
第三に、元の会社に売却対象外の資産(本社不動産、他事業と共用する設備、保険契約など)が残っている場合、それらを事前に新設会社側へ移す整理が必要になります。移転自体に課税が生じる可能性もあり、全体設計の複雑さが増します。実現可能性は案件ごとに大きく異なるため、初期段階で買い手候補に打診し、可否を確認する価値があります。
ポイント
逆方向の設計は、税務上の最適解と買い手の要求が正面から衝突する典型例です。だからこそ、買い手候補を打診する初期の段階でスキームの選択肢を提示し、条件交渉のテーブルに乗せておくことが重要になります。最終契約の直前になってスキームを変更するのは、実務上ほぼ不可能です。
10. 事業譲渡と会社分割の選び方チェックリスト
スキーム選択チェックリスト
自社のケースでどちらを軸に検討すべきかを、次の10問で整理してください。「はい」が多いほど、そのスキームが適合する可能性が高まります。
| No. | 確認事項 | はいの場合に適するスキーム |
|---|---|---|
| 1 | 買い手は簿外債務の遮断を強く求めているか | 事業譲渡 |
| 2 | 承継対象の取引先契約が数十件以下に収まるか | 事業譲渡 |
| 3 | 転籍対象の従業員が少数で、同意取得の見通しが立つか | 事業譲渡 |
| 4 | 買い手は課税事業者で、消費税の仕入税額控除を受けられるか | 事業譲渡 |
| 5 | 移転する不動産が土地中心、または不動産を含まないか | 事業譲渡 |
| 6 | 買い手がのれんの税務償却を価格に織り込むと有利か | 事業譲渡 |
| 7 | 承継対象の契約・従業員が大量で、個別同意が現実的でないか | 会社分割 |
| 8 | 買い手が免税事業者・簡易課税適用事業者、または非課税売上中心か | 会社分割 |
| 9 | 移転する不動産が多く、不動産取得税の負担が重いか | 会社分割 |
| 10 | 許認可について会社分割による承継規定が置かれている業種か | 会社分割 |
このチェックリストはあくまで一次的な絞り込みのためのものです。実際には、買い手の意向、許認可の申請期間、金融機関との交渉、キーパーソンの残留意向といった案件固有の事情が加わります。特に、1番の買い手の意向は、他の9項目を覆すだけの重みを持つことが多い点に留意してください。
スキーム設計に弁護士・税理士が関与する意味
スキーム選択は、会社法・税法・労働法・業法という4つの領域が交差する論点です。事業譲渡か会社分割かという入口の判断だけでなく、分割の類型、対価の設計、切り出す方向、クロージング日の設定、契約条項の手当てまで、すべてが連動しています。どれか一つの領域だけを見て決めると、他の領域で不利益が生じます。
実務でよく見られるのが、税務メリットを優先した設計が法務リスクを高めてしまうケース、あるいは手続の簡便さを優先した結果、許認可の空白期間が生じてしまうケースです。逆に、法務リスクを避けようとして税負担が数千万円単位で増えるケースもあります。これらは、それぞれの専門家が自分の領域だけを見て助言することから生じます。
11. まとめ
複数事業のうち一部を第三者に売却する場合のスキーム選択について、要点を整理します。
- 事業譲渡は特定承継、会社分割は包括承継。この違いが簿外債務・契約・従業員・税金のすべての差異の出発点になる。
- 非上場の中小企業が資本関係のない第三者に売却する場面では、買い手のリスク遮断要求・現金対価の吸収分割が非適格になること・対価に対する手続コストの重さ・のれんの税務償却という4つの理由から、事業譲渡が選ばれやすい。
- 許認可の承継可否は会社法ではなく各業種の根拠法令が定めている。建設業や一般貨物自動車運送事業のように事業譲渡でも認可で承継できる業種がある一方、宅地建物取引業や介護・障害福祉サービスのように会社分割でも承継できない業種もある。スキーム検討の最初に確認すべき事項。
- 税金は「会社分割のほうが有利」とは限らない。土地の登録免許税は事業譲渡が有利、不動産取得税は会社分割が有利、消費税は買い手の課税区分次第で判断が変わる。
- 承継対象の契約・従業員が大量な場合、買い手が仕入税額控除を受けられない場合、不動産取得税の負担が重い場合、許認可の承継規定がある場合は、会社分割を積極的に検討する価値がある。
最も避けるべきは、買い手候補との交渉が進んでからスキームを見直すことです。スキームは価格・税負担・スケジュール・リスク配分のすべてに影響するため、後から変更すると条件交渉を一からやり直すことになりかねません。買い手候補への打診を始める前の段階で、法務・税務の両面から選択肢を洗い出し、自社にとっての最適解と譲れない条件を整理しておくことをおすすめします。
弁護士・税理士がスキーム設計の段階から一体で関与し、手取り額とリスクの両面から最適な進め方をご提案しています。一部事業の売却をご検討の際は、初期の構想段階からお気軽にご相談ください。
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