「児童発達支援事業を続けてきたが、そろそろ出口を考えたい。ただ、いくらで売れるのか見当がつかない」「デューデリジェンスで何を突かれるのか、今から何を揃えておけばよいのか分からない」「大手グループに入るのがよいのか、地元の法人がよいのか、判断できない」——児童発達支援事業を運営する株式会社・合同会社のオーナーからは、こうしたご相談を数多くいただきます。
税金のことは何となく分かっていても、経営者保証がいつ外れるのか、売却後に何年残ることを求められるのか、といった点まで整理できている方は多くありません。
本記事では、仲介会社に相談する前の自己診断から、株式価値の決まり方、DDで求められる書類、買い手候補の類型ごとの一長一短、税負担、そして契約条件として必ず論点になる事項までを、オーナーの意思決定の順序に沿って解説します。
1. 売却を考え始めたときに押さえておく3つの前提
買い手が見るのは「決算書」より「指定が安全に承継できるか」
一般の事業会社のM&Aであれば、買い手はまず売上と利益の推移を見ます。しかし、児童発達支援事業では、買い手が最初に確認するのは「児童福祉法に基づく指定を、リスクなく引き継げるか」です。ここに不安があると、価格の話に進む前に検討自体が止まってしまいます。
理由は収益構造にあります。児童発達支援の売上は、保護者の自己負担分を除けばその大半が市町村から国民健康保険団体連合会(国保連)を経由して支払われる障害児通所給付費です。単価も加算の要件も国が定めており、基本報酬の単価そのものを事業者側で決めることはできません。収益を伸ばす手段は、稼働率を上げるか、要件を満たしたうえで加算を取得するかのほぼ2つに限られます。買い手から見れば、収益の源泉は「指定を維持できる体制」そのものであり、指定に瑕疵があれば事業価値はゼロにもなり得ます。
したがって、売り手が価格を高めるためにできることは、売上を伸ばすことだけではありません。むしろ「指定基準を確実に満たしていること」「過去の報酬請求に不備がないこと」を書面で示せる状態を作ることのほうが、短期間で価格に効きます。逆に、記録が散逸していたり減算の届出漏れがあったりすると、買い手はそのリスクを価格から差し引くか、そもそも撤退します。売却準備とは、財務を良く見せる作業ではなく、制度面の不安を消していく作業だと考えてください。
令和8年6月の制度変更で、株式譲渡が選ばれやすくなった
これは2026年時点で売却を検討するオーナーにとって、明確な追い風となる変化です。
令和8年度の障害福祉サービス等報酬改定(臨時応急的な見直し)により、児童発達支援・放課後等デイサービス・就労継続支援B型・共同生活援助については、令和8年6月1日以降に新たに指定を受ける事業所に限って基本報酬が引き下げられることになりました。児童発達支援は所定単位数の1000分の988に相当する単位数が適用されます。ただし、合併・分割・事業譲渡に伴う指定であって、その前後で事業所が実質的に継続して運営されると指定権者が認める場合には、既存事業所と同様の扱いとなります。
売り手にとって重要なのは、この例外に該当するかどうかの判断が指定権者に委ねられている、という点です。買い手からすれば、事業譲渡を選ぶと「引き下げ単価が恒久的に適用される」リスクを負うことになります。一方、株式譲渡・持分譲渡であれば法人格が存続し新規指定が発生しないため、そもそもこの論点が生じません。結果として、買い手が株式譲渡を選好する傾向が強まっています。
売り手にとって株式譲渡は、税負担の面でも事業譲渡より有利になるのが一般的です(詳細は第6章)。従来は「買い手が簿外債務を嫌って事業譲渡を求めてくる」という場合もありましたが、その圧力が一段弱まったと言えます。売却を検討しているなら、株式譲渡・持分譲渡を前提に条件を組み立てるのが基本線になります。
ポイント
買い手から事業譲渡を提案された場合は、「報酬単価の引き下げ特例について、指定権者にどう確認しているか」を必ず聞いてください。買い手が例外扱いを見込めていないなら、その分は買い手のコスト増となり、価格提示に反映されます。株式譲渡なら生じない論点ですので、スキームを株式譲渡に戻す交渉材料にもなります。
売り時をどう判断するか
「もう少し業績を伸ばしてから」と考えているうちに条件が悪化する、というのが最も多い失敗です。児童発達支援の場合、次の3つのシグナルのいずれかが出たら、少なくとも相談を始めるタイミングだと考えてください。
- オーナー自身が児童発達支援管理責任者(以下「児発管」)を兼務しており、体力面・時間面の負担が限界に近づいている。児発管の後任が育っていない状態が長引くほど、買い手から見たリスクは大きくなります。
- 報酬改定への対応が後手に回り、月次の実績が落ち始めている。改定後の減収が数字として固まる前のほうが、事業計画の説明はしやすくなります。
- 同一市町村内に競合事業所が増え、稼働率の頭打ちが見えてきた。地域の供給密度は買い手も必ず調べるため、飽和が進む前のほうが評価されます。
一方で、直近で実地指導を受けて指摘事項の改善報告が済んでいない、指定の更新時期が数か月後に迫っている、といった状況では、いったん整えてから動くほうが結果的に条件は良くなります。「急いで動くべき状況」と「整えてから動くべき状況」を切り分けることが最初の判断です。
2. 打診前の自己診断――「売れる状態」になっているか
株式・持分の帰属を整理する
意外に多いのが、株式や持分の帰属が曖昧なまま案件が動き出し、後から手続きが止まるケースです。買い手は「株主全員から確実に株式を取得できること」を大前提として動きますので、ここが不明確だと交渉が長期化します。
株式会社の場合、確認すべきは次の点です。設立時に名義を借りた株主(名義株)が残っていないか。連絡が取れない株主や、相続によって権利者が増えている株式がないか。株券発行会社かどうか(定款で確認)。過去の増資や自己株式の取得について、必要な決議と手続きが履行され議事録が残っているか。譲渡制限の内容と、承認機関が株主総会か取締役会か。
合同会社の場合は「持分譲渡」になります。会社法585条1項により、社員が持分を譲渡するには原則として他の社員全員の同意が必要とされ(業務を執行しない社員については同条2項により業務執行社員全員の承諾で足りるとされています)、社員の氏名・出資の価額が定款の記載事項であるため定款変更も伴います。定款変更は原則として総社員の同意によります(会社法637条)。まずは定款を取り出して、持分譲渡や定款変更について法定と異なる別段の定めが置かれていないかを確認してください。社員が複数いる場合、同意が取れるかどうかは案件成立の前提条件になります。
児発管がオーナー本人なら、まず後任の手当てから
小規模な児童発達支援事業所では、オーナー自身が児発管を務めているケースが非常に多く見られます。この状態は、売却においては最大の減額要因になります。
児発管が配置されていない場合、児童発達支援管理責任者欠如減算が適用されます。減算は欠如が生じた月の翌々月から配置されるに至った月までが対象で、1月目から4月目までは所定単位数の70%、5月目以降は50%を算定することになります(児童発達支援センターおよび主として重症心身障害児を通わせる事業所を除く)。買い手は「オーナーが抜けた瞬間に基準を満たさなくなる事業所」を買うことになるため、後任児発管の人件費を追加コストとして見込み、その分を価格から差し引いてきます。
しかも、児発管の要件は、一定年数の実務経験に加えて基礎研修・OJT期間・実践研修という段階的なプロセスを経る必要があり、外部から短期間で採用することは容易ではありません。売却を意識した時点で、社内の職員を児発管に育てる、あるいは有資格者を採用する動きを始めておくと、価格とロックアップ期間(残留義務)の両方で条件が改善します。「オーナーが抜けても回る事業所」であることは、児童発達支援の売却において最も効果の大きい価値向上策です。
仮に後任の確保が間に合わない場合でも、「誰を候補としてどのスケジュールで育成しているか」を書面で示せるだけで、買い手の不安はかなり軽減されます。何もしていない状態と、計画があって進行中の状態とでは、交渉での説得力がまったく違います。
減算が発生していないかを自分で点検する
DDで最も高い確率で指摘されるのが減算です。しかも減算は、届出をせずに通常どおり請求していた場合、事後に発覚すれば減算ではなく返還(過誤調整)として過去分がまとめて請求されます。買い手はこれを潜在債務として価格から差し引くため、自分で先に点検しておく価値が大きい項目です。
児童発達支援で確認すべき主な減算は次の4つです。
- 児童発達支援管理責任者欠如減算(過去に児発管が不在だった期間はないか)。
- 個別支援計画未作成減算(計画の更新に空白期間が生じていないか。減算適用1〜2月目は70%、3月目以降は50%を算定)。
- 支援プログラム未公表減算(5領域と関連づけた支援プログラムを公表し都道府県に届け出ているか。令和7年4月以降、未対応であれば所定単位数の85%を算定する15%の減算)。
- 情報公表未報告減算(障害福祉サービス等情報公表制度に基づく報告を行っているか。令和6年4月から所定単位数の5%の減算が設けられています)。
特に、③と④は対応漏れに気づいていない事業所が一定数あります。自社のホームページで支援プログラムが公表されているか、WAM NET上で自事業所の情報が最新に更新されているかは、今すぐ確認できます。もし未対応であれば、売却の相談を始める前に速やかに解消しておいてください。
オーナー個人と法人の資産・取引を分離する
中小企業では、オーナー個人と法人の資産や取引が混ざっているのが通例です。買い手はここを一つひとつ切り分けて評価しますので、先に整理しておくほど交渉はスムーズになります。
- 法人からオーナーへの貸付金、オーナーから法人への借入金の残高と返済方針
- 事業所の建物・土地がオーナー個人の所有である場合の、売却後の賃貸借条件
- 送迎車両や什器がオーナー個人名義になっていないか
- 法人契約の生命保険(解約返戻金の扱い、名義変更の要否)
- 家事関連費・私的な車両費用など、事業と関係のない費用の計上
- 親族を役員・従業員としている場合の、実際の勤務実態と報酬水準
注意点
整理は必要ですが、売却直前にまとめて動かすのは避けてください。買い手のDDでは直近数期分の帳簿を見ますので、譲渡の数か月前に資産の名義を変更したり役員報酬を大きく動かしたりすると、かえって不信感を招き、表明保証の交渉で不利になります。売却を意識し始めた時点から、1年程度をかけて段階的に正常化していくのが望ましい進め方です。
3. 株式価値はどう決まるのか――価格に直結する要素
「時価純資産+営業権」が基本形
中小の児童発達支援案件では、株式価値は「時価純資産+営業権(のれん)」で算定されるのが実務上の基本形です。営業権は年間の営業利益の数年分という形で示されることが多く、業界では2〜5年分といった幅で語られます。ただし、この「何年分か」という係数だけを見ても意味がありません。実際の交渉で価格が動くのは、係数ではなく、その基礎となる利益の算定方法だからです。
なお、時価純資産の算定では、国保連からの未収金を確実に反映させてください。サービス提供月の翌月に請求し、入金は請求した月の翌月中旬、つまりサービス提供月から見ると約2か月後になります。そのため常時2か月分程度の未収金が資産として計上されているはずですが、月次の管理が甘い事業所では計上漏れや金額のズレが生じていることがあります。これは児童発達支援の資金構造上の特徴であり、正しく計上すればそのまま株式価値に反映される項目です。
借入金の扱いについては、算定方式によって処理が異なる点に注意してください。時価純資産+営業権の方式では、負債はすでに純資産の計算に含まれていますので、そこからさらに借入金を差し引くことはありません。一方、EBITDAに倍率を掛けて事業価値を算出する方式では、事業価値からネットデット(有利子負債から現預金を控除した額)を差し引いて株式価値を求めます。買い手から提示された算定書を見るときは、どちらの方式なのか、そして借入金が二重に控除されていないかを必ず確認してください。ここは実務でも誤りが起きやすい箇所です。
また、役員退職金を支給する場合は、その支払いによって法人の純資産が減少しますので、株式の譲渡価額もその分下がります。総額としての手取りがいくらになるかは、退職金と譲渡代金の配分を含めて早い段階でシミュレーションしておくべきです(第6章で詳述します)。
価格が動くのは営業権ではなく「正常収益力の補正」
買い手は決算書の営業利益をそのまま使いません。「オーナーが抜けた後、この事業所は実際にいくら稼ぐのか」を推計するために、次のような補正を行います。これを正常収益力(調整後EBITDA)と呼びます。売り手として理解しておくべきは、この補正には利益を増やす方向のものと減らす方向のものの両方があるという点です。
| 補正項目 | 内容 | 価格への影響 |
|---|---|---|
| オーナー役員報酬 | 同等の職責を担う管理者の市場水準に引き直す | 報酬を高めに取っていた場合は利益が増え、価格は上がる |
| オーナーが児発管を兼務 | 後任児発管の人件費を追加コストとして控除 | 下がる。後任を先に確保しておけば回避できる |
| オーナー個人所有物件の賃料 | 相場との差額を補正 | 相場より高い賃料なら上がり、低ければ下がる |
| 非事業性費用 | 生命保険料、家事関連費、私的な車両費用を除外 | 上がる。ただし根拠資料の提示が必要 |
| 一時的・臨時的な補助金収入 | 継続性がないものを除外 | 下がる |
| 人員基準ぎりぎりの運営 | 買い手の運営水準に合わせる増員コストを見込む | 下がる |
| 設備更新・システム導入 | 承継後すぐに必要となる投資を織り込む | 下がる |
ポイント
役員報酬を高めに設定してきたオーナーの場合、補正によって正常収益力は決算書の営業利益より大きくなります。「当社は利益が出ていないから安くしか売れない」と思い込んでいる方が少なくありませんが、役員報酬・保険料・車両費を市場水準に引き直すと評価が変わるケースは珍しくありません。相談の際は、決算書だけでなく役員報酬の推移と経費の内訳も併せて提示してください。
評価が上がる要素・下がる要素
同じ利益水準でも、次の要素によって買い手の評価は大きく変わります。自社がどちらに当てはまるかを確認してください。
評価が上がる要素は、複数拠点を展開していること、放課後等デイサービスを併設していること(就学移行による児童の減少を内部で吸収できるため、児童発達支援単独より収益の安定性が高く評価されます)、有資格者が定着していること、個別支援計画や請求関係の記録が整理されICT化されていること、相談支援事業所や医療機関・保健センターからの紹介ルートが法人として構築されていること、実地指導で指摘事項がないこと、そして稼働率が安定していることです。
逆に、評価が下がるのは、1事業所のみであること、児発管がオーナー本人であること、加算依存度が高いこと(報酬改定の影響を受けやすいため)、紹介がオーナー個人の人脈に依存していること、記録が散逸していること、離職率が高いこと、そして同一市町村内の競合が過密であることです。
このうち、売却準備の期間内に改善できるのは「記録の整備」「児発管の後任確保」「減算の解消」の3つです。拠点数や地域の需給は短期間では変えられませんが、この3つは半年から1年で相当程度改善でき、しかも価格へのインパクトが大きい項目です。
赤字でも、1事業所でも売れるのか
結論から言えば、売れる可能性は十分にあります。ただし、価格の考え方が黒字案件とは変わります。
買い手が赤字の児童発達支援事業所を取得する動機は主に2つです。ひとつは指定そのものの価値です。地域によっては、都道府県知事等が市町村障害児福祉計画の達成に支障を生ずるおそれがあると認めるときに指定をしないことができる、いわゆる総量規制の仕組みが働いており、新規開設が容易ではありません。加えて令和8年6月以降は新規指定に報酬単価の引き下げ特例が適用されるため、「既に指定を持っている事業所」の相対的な価値は高まっています。もうひとつは稼働率の改善余地です。定員に空きがあり、買い手の集客力や送迎体制で埋められる見込みが立てば、赤字であっても買収の合理性は成立します。
ただし、赤字案件では営業権がつかず、時価純資産ベース、あるいは備忘価格に近い水準になることもあります。それでも、廃業を選んだ場合に発生する原状回復費用、職員の解雇に伴うコスト、解散・清算の費用と手間を考えれば、売却のほうが経済的に有利になるケースは多くあります。何より、通っている児童と職員の受け皿が確保されるという点は、廃業では実現できません。
1事業所のみの案件についても、同一地域でドミナント展開を進めている法人にとっては送迎ルートの効率化や職員の相互応援が可能になるため、十分に検討対象になります。「規模が小さいから相手が見つからない」と決めつける必要はありません。
4. DDで指摘される点と、先に揃えるべき書類
指摘の中心は財務ではなく制度面
デューデリジェンス(DD)と聞くと財務調査を思い浮かべる方が多いのですが、児童発達支援の案件で実際に指摘が集中するのは制度面です。買い手は「指定基準を過去に遡って満たしていたか」「加算の算定要件を実際に充足していたか」「記録が揃っているか」を確認します。ここで不備が見つかれば、返還リスクとして価格から差し引かれるか、契約上の補償対象として売り手が負担することになります。
典型的な指摘は次のようなものです。勤務形態一覧表に記載されている職員が実際にはほとんど出勤していない。送迎や休憩の時間帯に人員配置が基準を下回っている(児童発達支援の基準人員は常勤換算ではなく、サービス提供時間を通じて常に配置されていることが求められます)。加算の届出はしているが、根拠となる記録が残っていない。個別支援計画に保護者の同意署名がない、モニタリング記録が全児童でほぼ同一の定型文になっている。処遇改善加算の実績報告と実際の賃金支払が一致していない。
重要なのは、これらが「今どうか」ではなく「過去に遡ってどうだったか」で見られる点です。直近だけ整えても、12か月分・24か月分の記録を突合されれば過去のズレは見つかります。だからこそ、不備がある場合は隠すのではなく、先に把握して自分から開示するほうが結果的に有利になります。
準備書類チェックリスト
求められてから探すと交渉が長引き、その間に買い手の熱量が下がります。次の書類は、相談を始める段階で揃え始めておくことをおすすめします。
| 領域 | 準備する書類 | 見られるポイント |
|---|---|---|
| 指定関係 | 指定通知書、これまでの変更届の控え一式、運営規程、重要事項説明書 | 指定の有効性、届出漏れの有無 |
| 人員 | 勤務形態一覧表、シフト表、タイムカード、賃金台帳、資格証(直近12〜24か月分) | 基準人員の常時配置、資格要件の充足 |
| 児発管 | 資格証・研修修了証、雇用契約書、勤務実績、他事業所との兼務状況 | 欠如期間の有無、承継後の残留可否 |
| 加算 | 各加算の体制届、送迎記録、面談記録、会議録、専門的支援の実施記録 | 届出だけでなく要件を実際に満たしているか |
| 個別支援計画 | アセスメント、計画書、保護者の同意書、モニタリング記録(全児童・時系列) | 空白期間の有無、記載内容の実質 |
| 行政対応 | 実地指導の通知・結果通知、改善報告書、返還金の記録、処分歴の有無 | 未履行の指摘、過去の返還 |
| 稼働実態 | 月次の契約児童数・実利用日数・稼働率(24か月分)、国保連請求データ | 収益の安定性、加算依存度 |
| 労務 | 就業規則、賃金規程、36協定、処遇改善加算の計画書と実績報告、離職者一覧 | 未払残業、加算と賃金の整合 |
| 体制整備 | 虐待防止指針・研修記録、身体拘束記録、BCP、安全計画、事故・苦情記録 | 体制系減算の有無、運営の質 |
| 契約関係 | 賃貸借契約書(チェンジ・オブ・コントロール条項の有無)、リース契約、車両の名義と保険証券 | 承継の可否、賃貸人の承諾要否 |
このうち、買い手が特に時間をかけて見るのは「人員」「加算」「個別支援計画」の3領域です。逆に言えば、この3つが整理されている事業所は、DDが短期間で終わり、価格交渉でも減額の口実を与えずに済みます。
不備が見つかったときにダメージを小さくする対応
完璧な事業所は存在しません。DDで何らかの不備が見つかることは前提として、その扱い方で最終的な手取りは大きく変わります。
最も避けるべきは、不備を隠したまま契約し、後から発覚することです。この場合、表明保証違反として補償を請求され、しかも「知りながら開示しなかった」と評価されれば、補償上限の適用を受けられないおそれもあります。売却代金を受け取った後に返金を求められる事態は、オーナーにとって最悪の結末です。
対して、DDの前あるいはDDの過程で自ら開示した不備は、価格交渉の材料にはなるものの、金額を確定させたうえで処理できます。買い手としても「分かっているリスク」であれば、特別補償(判明している具体的なリスクを個別にカバーする条項)や価格調整で対応でき、案件を止める理由にはなりません。開示のタイミングは早いほど有利です。
注意点
減算に該当する事実があったのに届出をせず通常どおり請求していた場合、DDで発覚すれば返還(過誤調整)として過去分の全額が価格から差し引かれる前提で交渉が進みます。心当たりがある場合は、売却の相談を始める前に自治体に相談し、必要な届出と精算を済ませておいてください。自主的に是正した実績があるほうが、買い手の評価は明らかに良くなります。
5. 買い手候補の類型と、それぞれのメリット・デメリット
6つの買い手類型を比較する
「大手グループに入る」と一口に言っても、相手の類型によって価格水準も、雇用や支援方針の扱いも、オーナーに求められる残留期間もまったく違います。自分が何を優先したいのかを決めてから、相手を選ぶ順序が正解です。
| 買い手の類型 | 価格傾向 | メリット | デメリット |
|---|---|---|---|
| 障害福祉の大手・中堅グループ | 中〜高 | 制度理解が早くDDがスムーズ/雇用が維持されやすい/指定承継の実務に慣れている/採用力と研修体制が強化される | 運営方針や記録様式の統一が早期に入る/給与制度の統合で現場が動揺しやすい |
| 保育・学習塾・介護など隣接領域の事業者 | 中〜高 | シナジーを説明しやすく高評価になりやすい/複数拠点展開の受け皿になる/子ども関連事業の理解がある | 障害福祉制度の理解が浅くDDが長引くことがある/統合方針が固まっていない場合がある |
| 異業種の事業会社(人材・不動産・IT等) | 中 | 新規参入の足がかりとして高く評価する場合がある/既存事業の方針を尊重しやすい | 制度リスクを過大に見て条件が厳しくなりがち/PMIで現場と齟齬が生じやすい |
| PEファンド・投資会社 | 案件規模次第 | プロセスが整然としている/複数拠点なら高い評価が出やすい/再成長の資金を投じてもらえる | 1〜2事業所規模だと検討対象外となることが多い/数値管理が厳格/ロックアップが長期になりやすい |
| サーチファンド・独立志向の個人 | 低〜中 | 経営を丁寧に承継してくれる/地域密着の運営を維持しやすい/オーナーの理念が尊重されやすい | 資金調達力に制約がある/児発管を確保できないと成立しない/実行までの期間が読みにくい |
| 従業員・役員(MBO・EBO) | 低 | 現場の連続性が最も高い/保護者の不安が小さい/支援方針が変わらない | 買収資金の調達が最大の壁/個人保証の引継ぎが難航しやすい/価格は抑えられる |
価格以外に必ず確認すべき3つの軸
トップ面談の場では、条件面の話に入る前に次の3点を必ず確認してください。この3つが曖昧なまま基本合意に進むと、後の交渉で必ず揉めます。
- 児発管の手当てをどう考えているか:買い手が自社で有資格者を用意できるのか、現児発管(オーナー本人を含む)の残留を前提としているのか。ここが売却後の自由度を決めます。
- オーナーに何年の残留を求めるのか、その間の役職・報酬・裁量はどうなるのか:「しばらく手伝ってください」という曖昧な合意が最も危険です。
- 雇用条件と支援方針をどこまで維持するのか:給与水準、処遇改善加算の配分方法、支援プログラムの内容、事業所名の継続。すべてを約束させることは難しくても、方針として確認しておく価値があります。
ポイント
面談では買い手から質問される側になりがちですが、聞くべきことを事前にメモして臨んでください。特に「PMIで最初の3か月に何をする予定か」を尋ねると、相手が児童発達支援の実務をどこまで理解しているかがはっきり分かります。制度に詳しい買い手は、変更届の期限、国保連への口座変更、保護者への説明順序といった具体論をすぐに挙げてきます。
相手選びで後悔しやすいポイント
成約後に後悔するオーナーの声で最も多いのは、価格ではなく「職員と保護者への対応」に関するものです。売却額が数百万円高い相手を選んだ結果、統合後に主要職員が退職し、利用児童が減り、地域での評判が落ちてしまった、というケースがあります。オーナーとしては金銭を受け取って離脱しているとはいえ、自分が育てた事業所と職員のことですから、精神的な負担は小さくありません。
もうひとつは、複数の買い手候補を比較しないまま1社と進めてしまうケースです。最初に打診してきた相手が最も良い条件を出すとは限りません。基本合意で独占交渉権を与えると他社との交渉ができなくなりますので、独占交渉権を付与する前に、少なくとも複数社と面談して条件を比較する期間を確保してください。
逆に、価格を追求しすぎて交渉を長引かせるのも得策ではありません。児童発達支援は職員の離職や制度改定によって短期間で価値が変動する事業です。交渉が半年、1年と延びるうちに、当初の提示額を維持できなくなることもあります。「納得できる水準に達したら決める」という基準を、動き出す前に自分の中で決めておくことをおすすめします。
6. 税負担の整理――スキームによって手取りが変わる
株式譲渡・持分譲渡は分離課税20.315%
個人株主が株式を譲渡した場合、譲渡益に対して所得税・復興特別所得税・住民税を合わせて20.315%の申告分離課税となります。給与所得など他の所得と合算されない分離課税であるため、税率が上がらない点が大きな利点です。譲渡益は「譲渡価額-取得費-譲渡費用」で計算され、取得費には設立時の出資額や増資の払込額が含まれます。M&Aの仲介手数料やFA報酬は、株式の譲渡のために直接要した費用として譲渡費用に算入できるのが一般的ですが、契約内容によって扱いが変わる場合がありますので、事前に税理士に確認しておくと確実です。
合同会社の持分についても、租税特別措置法上の「株式等」には合名会社・合資会社・合同会社の社員の持分が含まれるため、譲渡益は同様に20.315%の申告分離課税の対象となります。株式会社と合同会社で、譲渡による課税の扱いに大きな差はありません。
設立時の資本金が少額であるほど取得費は小さくなり、譲渡益はほぼ譲渡価額そのものになります。手取りの目安としては、譲渡価額から譲渡費用を引き、そこから譲渡益に20.315%を掛けた税額を差し引いた金額です。取得費がごく小さい場合、ごく大まかには譲渡価額の8割前後が手元に残るとイメージしておくとよいでしょう。なお、法人の借入金は株式譲渡後も法人に残りますので、オーナー個人の手取りから返済する性質のものではありません。借入金の存在は、譲渡価額そのものに織り込まれる形で反映されます。
事業譲渡は法人課税と二重課税に注意
事業譲渡では、譲渡の対価を受け取るのは法人です。法人に譲渡益が生じれば法人税等が課され、その後にオーナー個人が資金を受け取るには、配当(総合課税)または法人を清算して残余財産の分配を受ける(みなし配当を含む)という段階を踏むことになります。結果として、法人段階と個人段階の二重課税が生じ、手取りは株式譲渡より小さくなるのが一般的です。
また、事業譲渡では消費税の課税関係も生じます。営業権(のれん)や什器備品などの課税資産の譲渡には消費税が課され、土地は非課税です。買い手との間で税抜・税込のどちらで金額を合意したのかが曖昧だと、後でトラブルになります。
一方で、法人に繰越欠損金がある場合や、複数事業のうち児童発達支援だけを切り出したい場合には、事業譲渡が合理的な選択になることもあります。第1章で述べたとおり、令和8年6月以降は事業譲渡だと買い手側に報酬単価の論点が生じるため、税務と制度の両面から比較したうえで決めるべきです。
注意点
「買い手が事業譲渡を希望しているから」という理由だけでスキームを決めると、税負担の差で手取りが大きく変わります。事業譲渡と株式譲渡で手取り額がいくら違うのかを、必ず数字で試算してから交渉に臨んでください。差額が大きい場合、その分を価格に上乗せしてもらうか、株式譲渡に変更してもらう交渉の根拠になります。
役員退職金と組み合わせて手取りを最適化する
株式譲渡において、譲渡代金の一部を役員退職金として受け取る設計は、実務でよく用いられます。退職所得は、退職所得控除を差し引いた後の金額の2分の1に対して課税される(勤続年数5年以下の役員等については2分の1課税の適用がない点に注意)ため、勤続年数が長いオーナーほど有利になりやすい仕組みです。あわせて、法人側では適正な範囲の退職金は損金となるため、買い手にとっても受け入れやすい提案になります。
ただし、不相当に高額と判断された部分は損金に算入されません。実務では功績倍率法(最終報酬月額×勤続年数×功績倍率)によって適正額を検討します。株式の譲渡価額を下げて退職金を増やす設計は、買い手にとっては支払総額が変わらなくても損金の分だけ有利になるため、交渉材料としても機能します。
どの配分が最適かは、勤続年数、役員報酬の水準、株式の取得費、借入金の有無によって変わります。総額が同じでも手取りが数百万円単位で変わることがあるため、基本合意の前に税理士を交えて試算しておくことをおすすめします。
合同会社は「持分譲渡」と「退社」で課税がまったく違う
合同会社のオーナーが見落としやすいのが、この論点です。買い手に持分を譲渡するのか、自分が退社して持分の払戻しを受け、買い手が新たに社員として加入するのかで、課税関係がまったく変わります。
持分譲渡であれば、前述のとおり譲渡益に対する20.315%の申告分離課税です。一方、退社に伴う持分の払戻しでは、払戻額のうち資本金等の額に対応する部分を超える金額がみなし配当として扱われ、配当所得として総合課税の対象になります。総合課税では他の所得と合算され累進税率が適用されるため、配当控除を考慮しても税負担が大幅に重くなることがあります。支払時には源泉徴収も行われます。なお、資本金等の額に対応する部分については譲渡所得等として分離課税の対象となり、1回の払戻しが2つの所得に分解されることになります。
手続きの見た目は似ていても、税負担は大きく異なります。合同会社の売却では、契約書の文言が「持分譲渡」になっているか「退社および加入」になっているかを必ず確認してください。買い手が手続きの簡便さから後者を提案してくることもありますが、税務上の帰結を踏まえて交渉すべき点です。
| スキーム | 課税される主体 | 税率の考え方 | 手取りの傾向 |
|---|---|---|---|
| 株式譲渡(株式会社) | 個人株主 | 譲渡益に20.315%の申告分離課税 | 最も有利になりやすい |
| 持分譲渡(合同会社) | 個人社員 | 譲渡益に20.315%の申告分離課税 | 株式譲渡と同等 |
| 退社による持分払戻し(合同会社) | 個人社員 | みなし配当部分は総合課税(累進) | 重くなりやすい。要注意 |
| 事業譲渡 | 法人(その後に個人) | 法人税等+配当または清算時の課税。課税資産には消費税 | 二重課税により小さくなりやすい |
7. 税金以外で必ず論点になること
経営者保証はいつ、どうやって外れるのか
借入金がある場合、オーナー個人が連帯保証人になっているのが通例です。ここで誤解が多いのですが、株式を譲渡して経営から退いたとしても、金融機関との保証契約が自動的に終了するわけではありません。保証を外すには、金融機関との個別の交渉と手続きが必要です。
実務上の対応は2つあります。ひとつは、クロージングと同時に買い手が借入金を一括返済し、保証を消滅させる方法。もうひとつは、買い手(またはその代表者)が保証を引き継ぎ、金融機関の承諾を得て前オーナーの保証を解除してもらう方法です。いずれにしても金融機関の同意が要りますので、最終契約の前に打診を始めておく必要があります。
交渉の後ろ盾となるのが「経営者保証に関するガイドライン」です。事業承継時については、原則として前経営者と後継者の双方から二重に保証を求めないこととする特則が定められており(令和元年12月公表、令和2年4月適用開始)、金融機関に対して前経営者の保証解除を適切に判断することが求められています。ガイドラインおよび特則は法的拘束力を持つものではなく、関係者による自発的な尊重が期待される準則ですが、金融機関との交渉において根拠として示す価値は十分にあります。制度の概要は中小企業庁のウェブサイト(https://www.chusho.meti.go.jp/kinyu/keieihosyou/191225jigyoshokei.html)で確認できます。
あわせて確認しておきたいのが、連帯保証以外の担保提供です。オーナーの自宅などの個人資産に抵当権や根抵当権が設定されているケースは少なくありません。保証が解除されても抵当権が残っていれば、実質的にリスクを抱え続けることになります。登記事項証明書を取り寄せて設定状況を確認し、抹消のタイミングまで含めて金融機関と交渉してください。
ポイント
最終契約には「クロージング後速やかに買い手が経営者保証の解除手続きを行うこと」「解除されるまでの間に売り手が保証債務の履行を求められた場合は買い手が補償すること」を明記してください。この一文があるかどうかで、万一のときの立場がまったく変わります。金融機関との交渉が難航する可能性がある場合は、クロージングの前提条件として保証解除の内諾を得ておく方法もあります。
ロックアップ(残留義務)と競業避止義務
オーナーが児発管や管理者を兼務している場合、売却後も一定期間残ることを求められるのが通常です。期間は1年から3年程度が多く、児発管の後任が確保できているかどうかで大きく変わります。第2章で後任確保を強調したのは、価格だけでなくこの残留期間にも直結するためです。
注意すべきは、残留の条件を曖昧にしたまま契約してしまうことです。役職、報酬、勤務日数、意思決定の裁量範囲、そして期間満了後の扱い。これらを具体的に定めておかないと、「経営者だったはずが実質的に一従業員の扱いになった」といった不満が生じます。買い手側も悪意があるわけではなく、単に決めていなかっただけというケースがほとんどですので、事前に文書化しておくことが双方のためになります。
競業避止義務についても、期間・地域・業務範囲の3点を具体化してください。「同種事業を営まない」という抽象的な条項のままだと、将来的に別の福祉事業や研修・コンサルティング業務を行う際に解釈の争いになりかねません。特に、地域で長く支援に関わってきたオーナーが、引退後に相談員やアドバイザーとして活動したいと考えている場合は、その活動が許容されるかを明確にしておくべきです。
表明保証違反による「売った後の返金」
売却して代金を受け取れば終わり、ではありません。最終契約には表明保証条項が置かれ、そこで保証した内容に事実と異なる点があれば、買い手は補償を請求できます。児童発達支援の案件では、報酬請求の適正性、指定基準の充足、未払残業代の不存在などが典型的な表明保証の対象になります。
特に注意が必要なのが補償期間です。報酬の返還は行政が過去に遡って請求してくる性質のものであるため、買い手は一般的な期間(12〜24か月程度)より長い補償期間を求めてくることがあります。売り手としては、いつまでリスクを抱えるのかを明確にしておく必要があります。
交渉すべきは次の4点です。補償の上限額(キャップ。譲渡価額の何割までとするか)。免責額(一定額以下の損害は請求しないという下限)。補償期間(項目ごとに設定できます)。そして、売り手が知らなかった事項についてまで責任を負うのか、すなわち「売り手の知る限り」といった知識による限定(ナレッジ・クオリファイヤー)を付すかどうか。これらは価格と同じ重みで交渉すべき条件です。
注意点
「価格は満足だが、補償が青天井で期間も無制限」という契約は、実質的に価格が確定していないのと同じです。買い手が代金の一部を留保する仕組みを求めてくることもあります。海外ではエスクロー(第三者預託)が一般的ですが、日本の中小案件では代金の一部を一定期間後に支払うホールドバック方式が用いられることが多く見られます。いずれの場合も、留保の金額・期間・解放条件を明確にしておいてください。なお、表明保証保険を利用して売り手の補償責任を填補する方法もありますが、保険料と最低引受金額の関係から、一定以上の取引規模でなければ現実的でない点に留意が必要です。
個人所有の不動産・車両をどうするか
事業所の建物や土地がオーナー個人の所有で、法人に賃貸しているケースは珍しくありません。この場合、売却後の扱いには主に3つの選択肢があります。①賃貸を継続する(賃料収入が残る)。②法人または買い手に売却する(一時に資金化できるが譲渡所得税が生じる)。③退去してもらう(買い手が移転先を確保する必要があり、案件成立の障害になり得る)。
賃貸を継続する場合、賃料水準が相場から乖離していると正常収益力の補正対象になり、株式価値に影響します。相場より高い賃料を取っていた場合は、承継後に賃料の引き下げを求められる可能性を織り込んでおいてください。逆に相場より安く貸していた場合、その分は株式価値にプラスに評価されている可能性がありますので、売却後に賃料を上げると買い手との関係がこじれます。賃貸借契約の条件は、株式譲渡契約と一体で交渉するのが実務です。
送迎車両が個人名義になっている場合も同様です。名義を法人に移すのか、無償で提供し続けるのか、買い手が新たに調達するのかを整理しておいてください。児童の送迎に使う車両は保険の付保状況も重要になりますので、名義と保険契約者・被保険者の関係も確認が必要です。
従業員・保護者への開示タイミング
情報開示のタイミングは、価格を守るうえでも、統合後の運営を守るうえでも重要です。最終契約の前に情報が漏れると、不安を感じた職員の離職や利用児童の転所が起こり、稼働率が下がります。稼働率の低下は価格調整の口実になり得ますし、買い手が撤退する事態にもなりかねません。
原則は、最終契約を締結した後に、買い手と協力して説明することです。ただし例外があります。児発管や管理者といったキーパーソンについては、買い手が継続勤務の確約を求めてくるため、最終契約の前に個別に話をするのが実務です。誰に、いつ、どう伝えるかは、買い手と事前に握っておいてください。
保護者への説明では、「変わらないこと」を最初に、はっきり伝えることが最大の防衛策になります。運営法人は変わるが、事業所の名称・場所・職員・支援内容は変わらないこと。利用契約や受給者証の手続きに影響がないこと。問い合わせ窓口はどこか。この4点を書面で示し、必要に応じて説明会を開きます。オーナーが一定期間残る場合は、その旨を伝えることも保護者の安心につながります。
事業所名と支援方針は残るのか
長く地域で支援に関わってきたオーナーほど気にされるのが、この点です。事業所の名称、独自の支援プログラム、行事、職員の処遇。これらが売却後にどうなるかは、価格には表れませんが、オーナーの満足度を大きく左右します。
法的には、株式を譲渡した時点で経営権は買い手に移りますので、これらを完全に保証させることはできません。しかし、基本合意書に方針として記載しておくことには意味があります。法的拘束力がなくとも、その後の交渉や統合の場面で拠り所になりますし、買い手側も明文化された方針には配慮するのが通常です。
実務的には、次のような形で残すことが多くあります。事業所名を当面変更しない旨の確認。支援プログラムの内容を承継後一定期間維持する旨の方針。職員の雇用条件について、承継後一定期間は不利益変更を行わない旨の誓約。これらは最終契約の誓約事項(コベナンツ)として一定程度は条項化することも可能です。何を守りたいのかを自分の中で整理し、優先順位をつけて交渉に臨んでください。
8. 売却プロセスの流れと、専門家の使い方
相談から実行までの流れと所要期間
一般的な流れは、①専門家への相談と秘密保持契約、②アドバイザリー契約、③案件化(ノンネームシートと企業概要書の作成)、④買い手候補への打診とマッチング、⑤トップ面談、⑥意向表明書の受領、⑦基本合意、⑧デューデリジェンス、⑨最終契約、⑩クロージング、という順序です。
所要期間は、相談開始からクロージングまで6か月から1年程度を見ておくのが現実的です。買い手候補が早期に見つかれば短縮できますが、児童発達支援の場合はDDで制度面の確認に時間がかかるため、資料が整っていないとここで数か月延びます。第4章で挙げた書類を先に揃えておくことが、期間短縮に直結します。
売り手として意識すべきは、この期間中も通常どおり運営を続けなければならないという点です。稼働率が落ちたり職員が離職したりすれば、価格が見直されます。売却活動に気を取られて現場が疎かになると本末転倒ですので、実務の大半は専門家に任せ、オーナーは意思決定と面談に集中する体制を作ってください。
仲介・FAの選び方と手数料の見方
選定で最も重要なのは、障害福祉制度に精通しているかどうかです。指定の承継可否、加算の算定要件、減算のリスクといった論点を理解していないアドバイザーが担当すると、買い手からの指摘に対応できず、価格交渉で不利になります。過去の障害福祉分野での成約実績を具体的に確認してください。
手数料については、着手金・中間金の有無、報酬の算定基準(譲渡価額基準か、負債を含む移動総資産基準か)、最低報酬額を確認します。同じ料率でも算定基準が違えば金額は大きく変わります。また、仲介(売り手・買い手双方と契約)とFA(一方のみと契約)では立場が異なりますので、どちらの形態かも把握しておいてください。
あわせて、中小企業庁のM&A支援機関登録制度に登録されているかを確認しておくとよいでしょう。次項の補助金を利用する際、登録事業者への支払いであることが要件になります。
9. まとめ
児童発達支援事業の売却は、「相談してから考える」のではなく「相談する前に整える」ことで、価格も条件も大きく変わります。本記事の要点を整理します。
- 買い手が見るのは決算書より「指定が安全に承継できるか」。制度面の不安を消す作業が、そのまま価格向上策になる
- 令和8年6月以降、新規指定に報酬単価の引き下げ特例が適用されるため、買い手は株式譲渡を選好しやすい。売り手にとって税務上も有利な株式譲渡が通りやすくなっている
- 打診前に整えるべきは、株式・持分の帰属、児発管の後任、減算の自己点検、個人資産と法人の分離の4点。特に児発管の後任確保は価格と残留期間の双方に効く
- 価格が動くのは営業権の年数ではなく正常収益力の補正。役員報酬や非事業性費用の補正で、決算書の営業利益より評価が上がることもある
- DDの指摘は「人員」「加算」「個別支援計画」に集中する。書類を先に揃えるほどDDは短く済み、減額の口実を与えずに済む
- 買い手は6類型あり、価格・雇用維持・残留期間の条件が異なる。面談では児発管の手当て、残留条件、雇用と支援方針の維持の3点を必ず確認する
- 税金以外では、経営者保証の解除、ロックアップと競業避止、表明保証違反による事後の補償、個人資産の扱いが手取りと生活に直結する
児童発達支援をはじめとする障害福祉領域のM&Aについて、売却の事前準備から買い手候補の選定、企業価値評価、契約条件の設計、クロージングまで一貫してご支援しています。「まだ売ると決めたわけではないが、いくらくらいになるのか知っておきたい」という段階でのご相談も歓迎しております。お気軽にお問い合わせください。
【参考・一次情報】
- こども家庭庁「令和8年度障害福祉サービス等報酬改定について」https://www.cfa.go.jp/policies/shougaijishien/shisaku/r8hoshukaitei
- こども家庭庁「令和6年度障害福祉サービス等報酬改定について」https://www.cfa.go.jp/policies/shougaijishien/shisaku/hoshukaitei
- 中小企業庁「事業承継に焦点を当てた「経営者保証に関するガイドライン」の特則が公表されました」https://www.chusho.meti.go.jp/kinyu/keieihosyou/191225jigyoshokei.html
- 中小企業庁(ミラサポplus)「事業承継・M&A補助金」https://mirasapo-plus.go.jp/subsidy/syokei/
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