「エンジニアは確保できているのに、次の経営者がいない」「採用に投資しても人が集まらず、いっそ会社ごと人材を獲得したい」「成長は続いているが、単独よりも大手の傘下やアライアンスで伸ばすべきか迷っている」——SES事業のM&Aを検討するとき、経営者の立場によって悩みは大きく異なります。
本記事では、SES業界で実際に行われたM&A事例を「買収目的別」に4つのタイプへ整理し、それぞれの狙いと背景を実務目線で読み解きます。あわせて、規模別の売却相場・企業価値評価の考え方、買収目的と企業規模の相関、そしてエンジニアの離職を防ぐ統合のポイントまで解説します。自社がどのような買い手に、いくらで評価されるのか——その輪郭をつかむための材料としてご活用ください。
1. SES業界でM&Aが活発化する背景と最新動向
深刻なIT人材不足がM&Aを後押ししている
SES業界のM&Aを語るうえで、まず押さえておきたいのが構造的なエンジニア不足です。経済産業省の「IT人材需給に関する調査」では、需要の伸びが高位で推移した場合、2030年にはIT人材が最大で約79万人不足すると試算されています。採用競争も激しく、2025年11月時点の「情報処理・通信技術者」の有効求人倍率は1.43倍と、全職業平均の1.12倍を大きく上回りました。こうした環境では、求人広告や採用チャネルを増やすよりも、優秀なエンジニアが在籍するSES企業を丸ごと取得したほうが、育成の時間もコストも一気に短縮できます。「人を採るためのM&A」がSES業界で目立つのは、この需給ギャップが背景にあります。
(出典:経済産業省「IT人材需給に関する調査(概要)」https://www.meti.go.jp/policy/it_policy/jinzai/gaiyou.pdf)
後継者不在による第三者承継の増加
2つ目の背景は、経営者の高齢化と後継者不足です。優れた技術力と安定した顧客基盤を持ちながら、親族内にも社内にも後継者が見つからず、事業の存続に不安を抱える中小SES企業は少なくありません。実際、業績が黒字であっても後継者不在を理由に廃業を検討する企業は多く、M&Aによる第三者承継はその有力な解決策となっています。第三者承継であれば、長年培った技術やノウハウを次世代に引き継ぎ、従業員の雇用や顧客との関係も維持したまま経営をバトンタッチできます。近年は株式譲渡で他社に引き継ぐ中小SES企業が増え、買い手側の需要も高まっており、承継目的のディールは今後も継続的に発生すると見られます。
異業種参入とアライアンス目的の台頭
3つ目は、異業種からの参入とアライアンス志向の高まりです。自社のDXを加速させたい非IT企業が、安定したエンジニア供給網を確保するためにSES企業を取り込む動きが増えています。ゼロから開発体制を立ち上げるより、人材・ノウハウ・取引先が揃った状態で参入できるため、新規事業としての参入障壁が下がるからです。また、完全な売却ではなく資本業務提携やアライアンスによって独立性を保ちながら協業する形も広がっています。譲渡理由が「後継者不足」から「アライアンスによる成長」へと変化しているとの調査もあり、SESのM&Aは単なる出口戦略から成長戦略の手段へと役割を広げています。
ポイント
SESのM&Aは「人材獲得」「上流進出」「顧客・領域獲得」「事業承継」という4つの目的に大別できます。次章から、それぞれの目的別に実際の公表事例を読み解いていきます。自社が売り手なら、どの目的の買い手に自社が響くかを意識しながら読み進めると、想定すべき相手像が具体化します。
2. 【目的別①】エンジニア・人材獲得/内製化を狙うM&A事例
事例:トランザクション・メディア・ネットワークス × フォー・ジェイ(3億円)
2025年9月、決済関連事業を展開するトランザクション・メディア・ネットワークスは、自己株式を除く発行済株式の全部を取得する形でフォー・ジェイを子会社化しました。売却価格は3億円です。買収の狙いは明快で、これまで派遣・業務委託に頼っていた開発リソースの一部を内製化することで外部支出を抑え、利益改善を図ること。同時に、多様なスキルセットを持つ人材を獲得し、事業拡大を加速させる目的も掲げています。外部委託中心の体制から自社エンジニアを抱える体制へ移行したい事業会社にとって、稼働中のエンジニアと契約をまとめて取得できるSES企業の買収は、内製化を一気に進める合理的な手段です。
事例:働楽ホールディングス × ヘルメスシステムズ(約1.9億円)
2025年2月には、働楽ホールディングスがヘルメスシステムズの発行済株式の全部を取得しました。売却価格はアドバイザリー費用などを含めて約1億9,000万円です。買い手が期待したのは、ソフトウェア開発力の強化と受注対応力のアップ、そして両社が持つ営業力・顧客基盤・経営管理ノウハウを掛け合わせたシナジー創出でした。売り手側にとっても、グループの経営資源やネットワークを活用することで、単独では難しかった規模の案件や品質向上に取り組める利点があります。人材とその稼働力そのものを「事業の中核資産」として評価するのが、この人材獲得型M&Aの特徴です。
なぜ「人材獲得型」が最も多いのか
SESのM&Aで人材獲得型が最も多い理由は、SES企業の価値が、「エンジニアの人数×単価」というシンプルな式で捉えられるためです。採用・育成に時間とコストをかけても、優秀な人材が採れるとは限らない現状では、稼働中のエンジニアチームを一括で取得できるM&Aは即効性の高い選択肢になります。特に、AI・クラウド・セキュリティといった先端領域に強いエンジニアが在籍していれば、買い手の評価は大きく高まります。逆に売り手の視点では、少人数でも先端スキルを備えたチームであれば複数の買い手から引き合いを受けられる可能性があり、規模が小さくても高い評価につながり得ます。
注意点
人材獲得型では、買収後にエンジニアが離職すると買収目的そのものが崩れます。キーパーソンの残留意思や属人化の度合いは、買い手が最も慎重に見るポイントです。売り手側も、誰がどの案件を支えているかを整理しておくと交渉を有利に進められます。
3. 【目的別②】上流工程への進出・サービス拡充を狙うM&A事例
事例:テモナ × サックル
2022年4月、サブスクリプションビジネス向けクラウド型システム「サブスクストア」を展開するテモナは、サックルの全株式を取得し子会社化しました。サックルはシステム受託開発、SES、プログラミング学習事業の3本柱を持ち、一元的・包括的なサポート体制を強みとする企業です。テモナは本件により、グループ全体の開発力を強化し、サブスクリプションビジネスを支援する多様なソリューションを開発・提供できる体制の構築を狙いました。自社プロダクトを持つ事業会社が、開発の内製力とサービスの幅を同時に広げるためにSES・受託開発企業を取り込む、典型的なサービス拡充型のディールです。
事例:cotta × TERAZ(株式66.7%取得)
2024年10月、製菓・製パン関連のEC事業を手がけるcottaは、システム受託開発やSES事業を展開するTERAZの発行済株式の66.7%を取得し、連結子会社化しました。TERAZはリモートワークに特化した人材マッチングサービスを運営し、高い技術力を持つエンジニアによる受託開発も手がけています。cottaの狙いは、EC化・DX化が遅れがちな製菓業界において、TERAZの技術力とノウハウを取り込み、自社システムの拡充と業界全体のデジタル化を加速させることでした。全株式ではなく3分の2超の取得にとどめている点も特徴で、経営の一体化を進めつつ、被取得企業の自律性を一定程度残す設計といえます。
上流シフトで売り手・買い手が得るもの
上流進出・サービス拡充型のM&Aは、買い手・売り手の双方にメリットがあります。買い手は、自社プロダクトやサービスに開発の内製力を組み込むことで、外注依存から脱却し、企画から開発・運用までを一気通貫で提供できるようになります。売り手(SES企業)は、大手やプロダクト企業の傘下に入ることで、これまで受注しにくかった上流工程の案件や高単価のプロジェクトに関与できる可能性が広がります。単価の低い二次請け・三次請けの構造から抜け出したいSES企業にとって、上流を持つ買い手との統合は、エンジニアのキャリアと処遇を改善する契機にもなります。
4. 【目的別③】顧客基盤・特定領域/地域の獲得を狙うM&A事例
事例:アピリッツ(子会社Y’s) × JUTJOY(教育カリキュラムの獲得)
2025年3月、アピリッツの連結子会社である株式会社Y’sは、JUTJOYの全株式を取得し子会社化することを決定しました。Y’sはIT人材派遣やWebサイト・動画制作を手がけ、JUTJOYはエンジニア教育やSES、受託開発を展開する企業です。このM&Aによって、アピリッツグループはIT派遣・受託開発の事業拡大を進めるとともに、JUTJOYが持つ教育カリキュラムを活用し、未経験者でも即戦力となる人材を育てる体制の強化を図りました。単にエンジニアを取得するだけでなく、「人材を継続的に生み出す仕組み」を獲得している点が、このディールの特徴です。
事例:レバレジーズ × FNC(外国人材のノウハウ獲得)
2025年4月、レバレジーズは発行済株式の全部を取得する形でFNCをグループ化しました(売却価格は非公表)。狙いは、FNCが持つ外国人材派遣のノウハウと、自社が有する顧客基盤を融合させ、顧客企業に対して包括的な人材ソリューションを提供できる体制を築くことでした。国内のエンジニア不足が深刻化するなか、外国人材という供給源を確保できる企業は、他社にはない差別化要素を持ちます。特定の専門領域やチャネルに強みを持つSES・人材企業は、その領域を欲する買い手にとって高い戦略価値を持つ好例です。
事例:サイネックス × リーディ(自治体・地方基盤の獲得)
2024年12月、サイネックスは大阪市中央区に本社を置くリーディの全株式を取得し、子会社化することを発表しました。SESによる技術者派遣と開発力の内製化を組み合わせることで、自治体や地域企業へのデジタル支援体制を一層強化する狙いです。地方創生とITの融合という文脈での戦略的な事業拡張であり、地域や特定顧客セグメントに深く根ざしたSES企業が、その基盤ごと評価されたディールといえます。首都圏依存から脱却し、地域密着型のソリューション力を取り込みたい買い手にとって、地場に強いSES企業は魅力的な対象となります。
注意点
顧客・領域獲得型では、特定顧客への依存度が高いことがプラスにもリスクにもなります。主要顧客との契約が安定していれば強みですが、契約更新やキーパーソン退職で失注する懸念があると評価は割り引かれます。取引先との契約状況やチェンジ・オブ・コントロール条項の有無は、事前に確認しておきましょう。
5. 【目的別④】事業承継・出口戦略としてのM&A事例
事例:ITソフトジャパン × インフォメーションサービスフォース(3,200万円)
2019年3月、主に大手企業を顧客に持つSES事業会社のITソフトジャパンは、インフォメーションサービスフォースへ全株式を譲渡しました。売却価額は3,200万円です。ITソフトジャパンは約15年にわたりシステム開発事業を展開し、優良な顧客基盤と優秀な技術者を抱えていましたが、経営者の高齢化により事業承継を経営課題として抱えていました。M&Aによって、親会社側は両社の技術力と取引基盤を融合して情報技術事業の拡大を目指し、売り手側は培ってきた事業を存続させることができました。小規模ながら安定した顧客と技術者を持つ企業が、承継を主目的に譲渡する典型的なパターンです。
黒字廃業を避ける「第三者承継」という選択
承継型M&Aの本質は、「まだ十分に価値のある事業を、後継者不在で終わらせないこと」にあります。技術力も顧客もあるのに、引き継ぐ人がいないという理由だけで廃業してしまえば、従業員は職を失い、顧客はサービスを失い、経営者も長年の努力を現金化できません。第三者承継であれば、これらをすべて回避しつつ、経営者は株式の対価を受け取って次のステージへ進めます。SES業界では、承継型は比較的小規模なディールが中心で、価格は数百万円〜数千万円規模になることが多い一方、先端スキルや優良顧客を抱える企業は規模以上の評価を得られるケースもあります。早めに準備を始めるほど、選べる買い手の幅は広がります。
6. 【規模別】SES企業M&Aの相場とバリュエーション
相場の目安:営業利益の3〜5年分/エンジニア数×単価
SES企業の売却価格は、一般に「営業利益の3〜5年分」が目安とされます。これは、時価純資産に数年分の営業利益(のれん)を上乗せする年買法(年倍法)の考え方に基づくもので、中小M&Aで広く用いられます。加えてSES業界では、「エンジニアの人数×単価」で企業価値を捉える見方も定着しています。稼働中のエンジニアが生む将来キャッシュフローそのものが価値の源泉だからです。ただし、これらはあくまで簡便な目安であり、実際の価格は稼働率、利益率、顧客の質、技術領域、契約形態などを総合して決まります。最終的にはDCF法やマーケットアプローチも併用しながら、複数の観点で評価するのが実務の基本です。
規模別の価格帯(数千万円〜/億円〜/数十億円〜)
取引価格は企業規模と概ね連動します。数名規模の小規模企業は数百万円〜数千万円、承継目的のディールが中心です。10〜30名規模の中小企業になると数千万円〜1億円前後で、人材獲得・内製化を狙う事業会社が主な買い手になります。30〜100名規模の中堅では1〜数億円となり、上流進出や顧客基盤獲得を狙う上場企業やファンドが関与します。100名を超える大規模企業では数億円〜数十億円規模のディールとなり、グループ再編や事業拡大を目的とした大手SIer・上場企業が買い手の中心です。前章までの公表事例も、承継系の数千万円台から人材・開発力獲得系の1〜3億円台まで、この傾向とよく整合しています。
| 企業規模(目安) | 想定される売却価格帯 | 多い買収目的 | 主な買い手 |
|---|---|---|---|
| 〜10名程度(小規模) | 数百万〜数千万円 | 事業承継・人材獲得 | 同業SES・地場IT企業 |
| 10〜30名(中小) | 数千万〜1億円前後 | 人材獲得・内製化 | 事業会社・SIer |
| 30〜100名(中堅) | 1〜数億円 | 上流進出・顧客基盤獲得 | 上場企業・PEファンド |
| 100名〜(大規模) | 数億〜数十億円 | 事業拡大・グループ再編 | 大手SIer・上場企業 |
企業価値を左右する評価指標(稼働率・利益率・技術領域)
同じ規模でも、評価が大きく変わる要因があります。第一に、稼働率と利益率で、一般に稼働率85%以上・営業利益率10%以上が優良企業の目安とされます。遊休人員が少なく効率的に運営されている企業ほど、収益性の観点から高く評価されます。第二に、技術領域で、AI・クラウド・セキュリティなど先端スキルを持つエンジニアの在籍は企業価値を大きく押し上げます。第三に、顧客基盤の質で、大手企業との長期契約や複数の優良顧客を持つ企業は安定収益が見込めるため高評価につながります。加えて、外注に頼らず自社の直接雇用エンジニアが中心の体制は、品質管理や統合のしやすさの面で評価されやすい傾向があります。
ポイント
自社の価値を高めたいなら、まず稼働率・利益率・主要顧客との契約状況・エンジニアのスキル構成を数値で可視化しておくことが有効です。買い手はこれらを根拠に価格を提示するため、説明できる材料が揃っているほど交渉で不利になりません。
7. 買収目的と企業規模は連動する:自社がどの買い手に刺さるか
目的×規模の相関マトリクス
ここまで見てきたように、買収目的と企業規模は独立ではなく、強く連動しています。純粋な人材獲得(いわゆるアクハイヤー的なディール)は小〜中規模に多く、上流進出や顧客基盤の獲得を狙うディールは中堅以上の規模になりやすい傾向があります。事業承継は小規模が中心です。この相関を理解しておくと、「自社の規模ならどの目的の買い手が現れやすく、何を評価軸に見られるのか」を先回りして準備できます。下表は、目的ごとに典型的な売り手規模・価格の出やすさ・評価の主軸を整理したものです。
| 買収目的 | 典型的な売り手規模 | 価格の出やすさ | 評価の主軸 |
|---|---|---|---|
| 人材獲得・内製化 | 小〜中規模 | 中 | エンジニア数×単価・スキル |
| 上流進出・サービス拡充 | 中堅以上 | 高 | 開発力・案件の質 |
| 顧客・領域/地域獲得 | 中小〜中堅 | 中〜高 | 顧客基盤・専門領域 |
| 事業承継・出口 | 小規模中心 | 低〜中 | 収益安定性・技術者定着 |
自社のタイプ別に想定すべき買い手像
先端スキルを持つエンジニアが10〜20名在籍する中小SESなら、内製化を進めたい事業会社やSIerが有力な買い手候補です。特定業界(金融・自治体など)に強い中堅SESなら、その業界への参入・強化を狙う企業が高く評価する可能性があります。後継者不在で安定顧客を抱える小規模企業なら、同業や地場IT企業による承継型が現実的です。
重要なのは、自社の強みが「どの目的の買い手にとって価値になるか」を見極めること。同じ会社でも、当てる相手を変えれば評価は大きく変わります。だからこそ、複数の買い手候補を比較検討できる状態をつくることが、納得のいく条件を引き出す鍵になります。
8. SES特有のM&Aリスクと成功のポイント
最大のリスクはエンジニアの離職(キーパーソン維持)
SESのM&Aで最も注意すべきは、買収後のエンジニア離職です。SES企業の価値の大半は人材にあるため、優秀なエンジニアが流出すれば、支払った対価に見合う価値を得られなくなります。所属企業の変更にともなって待遇や働き方、企業文化が変わることへの不安から、キーパーソンが離れてしまうケースは珍しくありません。対策としては、キーパーソンへのインセンティブ設計、キャリアパスの明確化、一定期間の在籍を条件とするロックアップ(キーマン条項)の設定、そしてM&A後も自律的に働ける環境の維持などが有効です。買い手・売り手の双方が、統合後の人の定着を最優先課題として設計に織り込む必要があります。
多重下請け・偽装請負など労務・法務のチェック
SES事業は契約形態が論点になりやすい業態です。SESの契約は本来「準委任」であり、指揮命令権は自社にあるのが原則ですが、実態として客先が直接指揮命令していると偽装請負と判断されるリスクがあります。また、労働者派遣として行う場合は労働者派遣事業の許可が必要で、無許可派遣や二重派遣は法令違反となります。買い手はデューデリジェンスでこれらの契約実態・許認可・多重下請け構造を精査するため、売り手側も契約区分や許可の状況、未払残業・未消化有給などの労務債務を事前に整理しておくことが重要です。ここが曖昧だと、価格の減額や交渉の頓挫につながりかねません。
注意点
契約が準委任か派遣かの区別、労働者派遣事業許可の有無、二重派遣の有無は、専門家(弁護士・社会保険労務士)を交えて必ず確認してください。適法性に懸念があると、買い手のリスク評価が一気に厳しくなります。
PMIで処遇・文化統合を設計する
M&Aは契約成立がゴールではなく、統合後(PMI:Post Merger Integration)の運営で初めて成果が決まります。特に、SESでは、給与・評価制度・稼働管理・案件アサインの方針が統合前後で変わると、現場のエンジニアの納得感に直結します。急激に制度を一本化するのではなく、一定期間は既存の処遇を尊重しながら段階的にすり合わせる設計が有効です。研修や資格取得支援でエンジニアの成長機会を示し、統合の目的や将来像を丁寧に共有することも、定着率の向上につながります。人が資産である以上、PMIの巧拙がM&A全体の成否を左右すると言っても過言ではありません。
9. M&Aだけが選択肢ではない:アライアンス・資本業務提携との使い分け
完全売却か、資本業務提携か
「会社を手放したくはないが、単独での成長には限界を感じる」——そうした経営者にとって、完全売却だけが答えではありません。株式の一部を譲渡して経営権を保ちながら協業する資本業務提携や、資本移動をともなわないアライアンス(業務提携)という選択肢があります。完全売却は、事業承継や明確な出口を求める場合に適し、対価を一括で得やすいのが特徴です。一方、資本業務提携は経営の独立性を保ちつつ、資金・案件・人材といった経営資源を相手から取り込めるため、成長を加速させたい局面に向いています。自社の目的が「出口」なのか「成長」なのかによって、選ぶべき手段は変わります。
| 観点 | M&A(株式譲渡など) | アライアンス・資本業務提携 |
|---|---|---|
| 経営権 | 原則として買い手へ移転 | 維持しやすい(一部出資にとどめる) |
| 資金化 | 対価を一括で実現しやすい | 限定的(配当・一部譲渡など) |
| シナジー | 統合により最大化を狙える | 段階的・柔軟に構築できる |
| 適する局面 | 事業承継・完全な出口 | 独立性を保った成長加速 |
アライアンスで人材・案件シナジーを得る
SES業界では、アライアンスや資本業務提携が特に有効に働く場面があります。たとえば、案件は豊富だが人材が足りない企業と、人材はいるが上流案件へのアクセスが弱い企業が提携すれば、双方の弱みを補い合えます。エンジニアの相互活用、共同での採用・育成、上流案件の共同受注など、統合せずとも大きなシナジーを生み出せるのです。前述のとおり、近年は譲渡理由が「後継者不足」から「アライアンスによる成長」へと変化しているとの調査もあります。完全売却を検討する前に、まず提携で何が実現できるかを検討することは、経営の選択肢を広げるうえで有意義です。
10. SES企業のM&Aを成功させる進め方
準備段階でやるべき「磨き上げ」
納得のいく条件でM&Aを成立させるには、事前の「磨き上げ」が欠かせません。買い手は将来のリスクと収益力を数字で見極めるため、財務・労務・契約の状態を整理し、説明できる状態にしておくことが評価と交渉力を高めます。以下は、SES企業が売却準備で押さえておきたい基本チェックリストです。
- エンジニア別の稼働率・単価・契約形態(準委任/派遣)を一覧化しているか
- 労働者派遣事業の許可など、必要な許認可を適正に取得しているか
- 主要顧客への依存度と契約更新状況・契約期間を説明できるか
- キーパーソンの定着見込みと業務の属人化の度合いを整理しているか
- 直近3期の月次業績と営業利益率を可視化しているか
- 未払残業・未消化有給などの潜在的な労務債務を把握しているか
仲介とFA(フィナンシャル・アドバイザー)の違いと専門家の選び方
M&Aを支援する専門家には、大きく「仲介」と「FA」があります。仲介は売り手と買い手の間に立ち、双方の合意形成を中立的に進める形態で、中小M&Aで広く使われます。FAは売り手または買い手の一方に付き、依頼者の利益最大化を目的に助言する形態です。それぞれ立場と報酬構造が異なるため、自社がどちらを重視するか(早期成約か、条件の最大化か)で選ぶとよいでしょう。いずれの場合も、SES・IT業界の実務や契約論点に精通しているか、そして利益相反の説明が明確かを確認することが大切です。
中小M&Aガイドラインの活用
中小企業のM&Aでは、中小企業庁が策定した「中小M&Aガイドライン」が、支援機関の行動指針や手数料の考え方、進め方の標準を示しています。初めてM&Aに臨む経営者にとっては、何が適正な手続き・報酬なのかを判断する拠り所になります。また、事業承継・引継ぎ支援センターなどの公的支援も活用できます。信頼できる専門家を選び、公的な指針や支援制度を上手に使いながら進めることが、トラブルを避け、納得のいく着地に至るための近道です。
ポイント
税務・法務・労務の論点が複雑に絡むため、早い段階で専門家に相談し、自社の状況に合ったスキームと進め方を設計することをおすすめします。準備に着手するタイミングが早いほど、選べる買い手も条件の幅も広がります。
11. まとめ
本記事では、SES業界のM&A事例を買収目的別に整理し、規模別の相場や成功のポイントまで解説しました。要点は次のとおりです。
- SESのM&Aは「人材獲得・内製化」「上流進出・サービス拡充」「顧客・領域/地域獲得」「事業承継」の4目的に大別できる
- 売却相場は営業利益の3〜5年分やエンジニア数×単価が目安で、実際は稼働率・利益率・技術領域・顧客基盤で変動する
- 買収目的と企業規模は連動しており、自社の強みがどの目的の買い手に響くかを見極めることが重要
- 最大のリスクはエンジニアの離職。キーパーソン維持とPMI設計が成否を分ける
- 完全売却だけでなく、資本業務提携・アライアンスという成長のための選択肢もある
自社がどのタイプの買い手に、どの程度で評価されるのか——それを見極める第一歩は、自社の強みと数字を整理することです。SES・IT領域のM&Aや事業承継、アライアンスの検討でお悩みの際は、専門家に相談しながら、複数の選択肢を比較して最適な道筋を描くことをおすすめします。
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