従業員への事業承継とは?|方法・流れ・メリット・デメリット・支援制度を徹底解説

従業員への事業承継!MBOとEBOの手順

「後継者が見つからない」「子供には継がせたくない」「長年一緒に働いてきたあの従業員に継いでほしい」——事業承継の課題は、多くの中小企業経営者が共通して抱える問題です。実際、中小企業庁の調査によれば、後継者不在率は50代経営者で約50%に上り、そのうち多くが廃業を検討しているとされています。しかし、「信頼できる従業員」への承継、すなわち従業員承継(内部承継)は、企業文化を守りながら事業を継続させる有力な選択肢です。

一方で、従業員承継には資金調達の困難、個人保証の問題、親族との関係調整など、解決すべき課題も多く存在します。また、「後継者に選んだが、経営者としてうまくいかなかった」という失敗事例も少なくありません。

本記事では、従業員承継の基本的な意味から、具体的な方法・流れ・メリット・デメリット、そして資金調達スキームや国の支援制度まで、実務に役立つ情報を網羅的に解説します。さらに、競合記事では取り上げられることの少ない「承継後の経営引き継ぎ(PMI)」についても詳しく解説します。事業承継を検討している経営者の方はもちろん、後継者候補の方にも役立てていただける内容です。

目次

1. 事業承継を従業員へ行う「従業員承継」とは

従業員承継の基本的な意味・定義

従業員承継とは、現経営者(オーナー)が保有する会社の経営権や株式を、社内の役員・従業員に引き継ぐ事業承継の手法です。「社内承継」「内部承継」とも呼ばれます。親族以外の第三者への承継であるため、「親族外承継」の一形態に分類されます。

日本の中小企業において、かつては経営者の子供や親族への「親族内承継」が主流でしたが、近年は「子供に会社を継がせることができない」「継ぐ気のある親族がいない」という状況が広がっています。そのため、長年一緒に働いてきた役員・従業員を後継者とする従業員承継が、事業継続のための重要な選択肢として注目を集めています。

従業員承継を行う場合、後継者となる従業員は単に「仕事の引き継ぎ」を行うのではなく、会社の経営権そのもの(株式)を取得して経営者に就任することが一般的です。この点が、単なる役職の引き継ぎや内部昇格とは大きく異なります。

親族内承継・M&Aとの違い(比較表)

事業承継には大きく分けて3つの方法があります。それぞれの特徴を以下の表で比較します。

比較項目従業員承継親族内承継M&A(第三者承継)
後継者社内の役員・従業員子供・配偶者・親族社外の企業・ファンド
後継者選定の幅広い(社内全体)狭い(親族のみ)非常に広い
企業文化の継承しやすいしやすい変化する可能性あり
資金調達の必要性後継者に必要(大きな課題)相続税対策が必要売却代金が入る(売り手)
対外的な信頼性得やすい(顔なじみ)得やすい不安視される場合あり
外部シナジーなしなし大きく期待できる
承継コスト後継者の株式取得コスト相続税・贈与税M&A仲介手数料等

上記の通り、従業員承継は「後継者候補の幅広さ」と「企業文化の継承しやすさ」が特長である一方、「後継者の資金調達負担」が最大の課題となります。各方法の特性をよく理解した上で、自社の状況に合った方法を選択することが重要です。

2. 従業員承継の種類(MBO・EBO)

MBO(マネジメント・バイアウト)とは

MBO(Management Buy-Out:マネジメント・バイアウト)とは、会社の役員(経営陣)が自社の株式を現オーナーから買い取り、経営権を取得する手法です。「経営陣による自社買収」とも表現されます。

MBOは、現経営者の右腕として経営に関与してきた専務・常務・取締役などの役員が後継者となる場合に多く選択されます。すでに経営の実態を把握しており、財務・法務・組織マネジメントの基礎知識を持つことが多いため、承継後の経営が比較的スムーズになりやすい点が特徴です。

実務上は、役員個人が直接株式を取得するケースのほか、SPC(特別目的会社)を設立し、そのSPCが対象会社の株式を買い取る形をとることもあります(後述のファイナンス手法参照)。後者の場合、株式取得後にSPCと対象会社を合併させる手順が一般的です。

EBO(エンプロイー・バイアウト)とは

EBO(Employee Buy-Out:エンプロイー・バイアウト)とは、役員ではなく一般の従業員(エンプロイー)が株式を取得して経営権を得る手法です。MBOと似ていますが、後継者となるのが経営陣ではなく一般社員である点が異なります。

EBOは、将来性のある優秀な若手従業員や、特定分野で卓越した技術・ノウハウを持つ従業員が後継者として抜擢される場合に用いられます。ただし、経営者としての経験がゼロの状態からスタートすることになるため、後継者教育に十分な時間をかける必要があります。

また、EBOの場合は後継者個人の資力がさらに限られるため、金融機関融資や国の支援制度の活用が不可欠となります。現経営者が株式の一部を持ち続けて段階的に移転するケースや、従業員持株会を経由するケースなど、様々な工夫が用いられます。

内部昇格との違い

MBO・EBOと混同されやすい概念として「内部昇格(内部登用)」があります。内部昇格とは、現経営者が株式を保有したまま社長の地位のみを従業員に譲る方法です。この場合、後継者は「代表取締役」の肩書きを持ちますが、株式は現経営者が持ち続けるため、実質的な所有権は移転しません。

内部昇格は後継者に資金的な負担がかからないメリットがある一方で、「所有と経営の分離」が生じるという深刻な問題を抱えています。株主(旧経営者)と経営者(後継者)の利害が一致しない場面では、経営判断が滞るリスクがあります。中小企業においては、所有と経営が一体であることが安定経営の基本であるため、最終的には株式の移転(MBO・EBO)を目指すことが望ましいとされています。

ポイント:MBO・EBOと内部昇格の使い分け
資金面の準備が整っていない場合、まずは内部昇格(経営権のみ移転)でスタートし、後継者が経営に慣れながら資金を積み立て、段階的に株式を移転していく「ハイブリッドアプローチ」も現実的な選択肢です。ただし、所有と経営の分離が長期化すると経営の混乱リスクが高まるため、明確なスケジュールを定めておくことが重要です。

3. 従業員承継のメリット

後継者候補の選択肢が広い

親族内承継では後継者候補が子供・兄弟・配偶者など限られた人物に絞られます。一方、従業員承継では社内の役員・従業員全員が後継者候補となります。これは規模の小さな中小企業でも同様で、「血縁に関係なく、最も経営者にふさわしい人材を後継者に選べる」という大きなメリットをもたらします。

実際、帝国データバンクの調査(2024年)によれば、後継者不在企業のうち「社内承継」を希望する経営者が一定数存在することが示されており、候補者の幅広さは事業承継の選択肢を大幅に広げます。特に「優秀な右腕がいる」「創業当初から共に事業を作り上げてきた社員がいる」といった場合に、従業員承継は最適な手段となりえます。

企業文化・経営理念をそのまま引き継げる

後継者となる従業員は、その会社に長年勤務し、企業文化・経営理念・業務ノウハウを深く理解しています。M&Aで社外の第三者が後継者となる場合と比べて、承継後も経営方針や社風が大きく変わるリスクが低く、事業の連続性が保たれやすい点が大きなメリットです。

また、現経営者の「この会社をどうしたいか」「何を大切にしてほしいか」という思いも、直接伝わりやすい関係性にあります。たとえば、地元との関係を大切にしてきた企業や、特定の技術・サービス品質にこだわりを持つ企業では、従業員承継によって「会社らしさ」が守られるケースが多く報告されています。

従業員・取引先・金融機関から理解を得やすい

他の従業員の視点から見ると、全く知らない人物が外部からやってきて突然「新社長」になるよりも、「あの人が社長になるなら」と受け入れやすいのが従業員承継の強みです。日常の業務を通じて築かれた信頼関係や人間関係が、承継後の組織の安定に大きく寄与します。

取引先・仕入先に対しても、旧知の人物が後継者になることで、「取引関係はどうなるのか」「方針は変わるのか」という不安を最小化できます。金融機関においても、過去の取引実績・事業内容を熟知した人物が経営者になることは、融資判断においてプラスに働く場合があります。

後継者の適性を見極めてから承継できる

従業員承継の大きな利点の一つは、後継者候補を「一緒に仕事をしながら見極める」時間があることです。中小企業白書の調査によれば、従業員承継を経験した企業が後継者決定において特に重視した要素として、「自社の事業に関する実務経験」「社内でのコミュニケーション能力(従業員からの信頼、リーダーシップ、統率力等)」が上位に挙げられています。

つまり、日常の業務や困難なプロジェクトへの対応を通じて、経営者としての素質・実力・人格を見極めた上で後継者を選定できる点が、従業員承継の独自の強みです。「承継してみたら能力が全く足りなかった」という事後的なミスマッチリスクを低減できます。

4. 従業員承継のデメリットと課題

後継者の資金調達が困難(最大の壁)

従業員承継における最大のハードルは、後継者となる従業員の「資金力」の問題です。中小企業の株式であっても、その価値は数千万円から億単位に上るケースが珍しくありません。一般の従業員がこれほどの資金を自己資金で準備するのは、現実的に非常に困難です。

金融機関からの融資が主な調達手段となりますが、後継者個人の信用力・担保力だけでは融資限度額に限界があります。また、会社の資産を担保に入れるためには会社側の協力が不可欠です。この問題を解決するために、後述するSPCを活用したLBOスキームや、国の融資制度・補助金の活用が有効です(詳細は第6章・第7章を参照)。

注意点:株式を安く譲渡すると「低廉譲渡」と見なされる場合があります
後継者の資金負担を軽くしようとして、株式を時価よりも著しく低い価格で譲渡した場合、税務上は「低廉譲渡」とみなされます。市場価格との差額部分が「贈与」と判断され、後継者に高額の贈与税が課される可能性があります。株式の適正な評価と適法な承継スキームの設計は、税理士・公認会計士・弁護士などの専門家に必ず相談してください。

経営者保証(個人保証)の引き継ぎ問題

多くの中小企業では、金融機関からの借入に際して現経営者が個人保証(連帯保証)をしています。従業員承継の場面では、金融機関から後継者への保証付け替えを求められることが一般的です。しかし、これが後継者にとって大きな心理的・経済的ハードルとなります。

中小機構の調査によれば、後継者候補が事業承継を拒否する理由の約6割が個人保証の問題にあるとされています。個人保証を引き継ぐということは、会社が経営不振に陥った場合に自分の個人資産を差し出す可能性を受け入れることを意味します。これを敬遠する候補者は多く、後継者確保の大きな障壁となっています。

一方で、近年は「経営者保証ガイドライン」の普及や「経営者保証コーディネーター」制度の活用により、一定の要件を満たせば個人保証なしで融資を維持・継続できるケースが増えています(詳細は第7章参照)。

注意点:個人保証問題には早期に手を打つことが重要
承継の直前になってから個人保証の解除を交渉しようとすると、金融機関との交渉が難航するケースがほとんどです。財務内容の改善・担保の整理など、個人保証解除に向けた地道な取り組みを、承継の5〜10年前から始めておくことが理想です。「経営者保証コーディネーター」(各都道府県の事業承継・引継ぎ支援センターに配置)への早期相談をお勧めします。

優秀な従業員≠優れた経営者のリスク

従業員として卓越した成果を上げている人物が、必ずしも優れた経営者になるとは限りません。現場の業務を遂行するスキルと、会社全体の舵取りを行う経営者に求められるスキルは、根本的に異なります。

経営者に求められる能力として、事業戦略の立案・財務管理(資金繰り・融資交渉)・人材マネジメント・リスク管理・取引先・行政・金融機関との折衝・意思決定力・将来ビジョンの策定・発信力などが挙げられます。これらのスキルは、一朝一夕に身につくものではありません。後継者の育成には最低でも3〜5年、理想的には5〜10年の準備期間を設けることが不可欠です。

また、同じ組織の中で長年「部下」として働いてきた人物が「経営者」に転換することには、心理的な障壁も伴います。他の従業員からの目線も変わりますし、元上司・先輩社員との関係も変化します。こうした「立場の変化」への適応も、重要な課題の一つです。

現経営者の親族との関係調整

長年同族経営を続けてきた企業では、「会社は一族のものである」という意識が親族に根強く残っている場合があります。現経営者が従業員への承継を決断しても、配偶者や子供・兄弟などの親族から強い反対を受けるケースは珍しくありません。

また、現経営者の相続発生時には、生前贈与した株式について遺留分の問題が生じる可能性があります。民法上、相続人には一定の遺留分(最低限の相続分)が保障されており、この遺留分を侵害するような株式の承継は、後日、相続人から遺留分侵害額請求をされるリスクがあります。こうしたリスクに対しては、「経営承継円滑化法」の民法特例(除外合意・固定合意)の活用が有効です。

抜本的な経営改革が起こりにくい

M&Aによる第三者承継の場合、外部から新経営者が入ることで、組織の体制・事業ポートフォリオ・営業方針などが大きく刷新されるケースがあります。これは時として「しがらみ」を断ち切った経営改革につながります。一方、従業員承継では後継者が「社内の人間」であるため、先代経営者の手法や既存の文化・慣行を踏襲する傾向が強くなります。

変化の激しい経営環境の中では、時代の変化に合わせた大胆な改革が必要になる場面もあります。後継者には、企業文化を守りながらも、必要な変革を恐れずに推進できるリーダーシップが求められます。

5. 従業員承継の方法(3つのスキーム)

従業員承継を実現する方法は大きく3つに分類されます。それぞれの仕組みとメリット・デメリットを理解した上で、自社の状況(株価・後継者の資力・親族との関係等)に合った方法を選択することが重要です。

①株式譲渡(売却)

現経営者が保有する株式を、後継者となる従業員に適正な対価で売却する方法です。最もオーソドックスかつ税務上のリスクが少ない方法で、適正な価格での取引であれば贈与とみなされる問題も生じません。

後継者には株式取得資金の準備が必要となりますが、これに対しては金融機関融資・国の制度融資・ファンド活用など様々な資金調達手段があります(詳細は第6章)。株式譲渡を選択した場合、後継者は「株主+経営者」の両方の立場を持ち、所有と経営が一致した経営を行えます。これが最も安定した従業員承継の形とされています。

なお、株式の評価方法(非上場株式の場合は「取引相場のない株式の評価」として国税庁の通達に基づき計算)については、税理士・公認会計士に相談することが必須です。

②株式の贈与・遺贈

贈与とは、現経営者が生前に後継者へ株式を無償で譲渡することです。後継者に資金的な負担はかかりませんが、受け取った後継者に贈与税が課されます。贈与税の税率は最高55%に達するため、場合によっては贈与税額が株式の価値を上回ることもあります。

この問題を緩和するために有効なのが「事業承継税制(法人版)」の特例措置です。一定の要件を満たした場合、後継者が受け取った株式にかかる贈与税・相続税の全額(特例措置)の納税が猶予され、将来的に免除される可能性があります(詳細は第7章)。

遺贈とは、現経営者が亡くなった際に遺言により後継者へ株式を譲る方法です。遺言書の作成が必要であり、遺言の内容次第では相続人(親族)との遺留分問題が生じるリスクがあります。公正証書遺言の作成と、民法特例の活用を組み合わせることで、こうしたリスクを最小化できます。

③経営権のみの譲渡(所有と経営の分離)

現経営者が株式を保有したまま「代表取締役」の地位だけを後継者に譲る方法です。後継者に株式取得の資金は不要ですが、「所有と経営の分離」が発生します。中小企業においてこの状態が長く続くと、様々な問題が生じやすくなります。

具体的には、配当方針・設備投資・役員報酬などの経営判断について、株主(旧経営者)と経営者(後継者)の意見が食い違った場合に会社の意思決定が停滞する恐れがあります。また、旧経営者が株主として影響力を持ち続けることで、後継者が「名ばかり社長」になるリスクも否定できません。

この方法は、後継者の育成段階や承継の移行期には有効ですが、最終的には株式の移転を目指すことが望ましいとされています。段階的な株式移転の計画を最初から明確にしておくことが重要です。

3つの方法の比較(比較表)

比較項目①株式譲渡②贈与・遺贈③経営権のみ
後継者の資金負担大(株式取得費用)小(贈与税が発生)なし
税務リスク低(適正価格なら問題なし)高(贈与税・相続税)なし(株式未移転)
所有と経営の一致一致する一致する分離する(問題あり)
親族との遺留分問題発生しにくい発生リスクあり発生しにくい
一般的な選択頻度最も多い中程度移行期のみ

ポイント:スキームの組み合わせが有効な場合も
実務では、一つの方法だけで承継を完結させるのではなく、複数のスキームを組み合わせるケースも多くあります。たとえば「まず経営権のみを移転して後継者を育成し、5年後に株式の一部を贈与、残りを徐々に売却する」といった段階的な承継も現実的な選択肢です。どのスキームが最適かは、株式の評価額・後継者の資力・親族との関係・税務状況によって異なります。必ず弁護士・税理士・公認会計士などの専門家と連携して設計してください。

6. MBO・EBOの資金調達:実務スキームを徹底解説

従業員承継の最大の障壁である「後継者の資金調達」。この問題を解決するための実務スキームは複数存在します。以下では、代表的な4つのアプローチを詳しく解説します。

金融機関融資(LBOローン)の活用

最もシンプルな資金調達方法は、金融機関(銀行・信用金庫・政策金融機関等)から事業承継目的の融資を受けることです。中でも「LBO(レバレッジド・バイアウト)ローン」と呼ばれる手法では、買収対象会社のキャッシュフローや資産を担保に、個人の信用力を超えた融資を受けることが可能になります。

LBOローンの仕組みは以下の通りです。①後継者(または後継者が設立したSPC)がLBOローンを借り入れ、株式を取得する。②株式取得後、SPC(持株会社)と対象会社を合併する。③対象会社の事業収益からローンを返済していく——というものです。要は「買収した会社の収益力で借入を返済する」スキームです。

金融機関はキャッシュフロー(主にEBITDA)の一定倍率を融資限度額の目安とするため、対象会社の収益力が高いほど調達できる額が大きくなります。実務上は、銀行の事業承継担当者や、事業承継に精通したファイナンシャルアドバイザーに相談することが出発点となります。

SPC(特別目的会社)を活用した買収スキーム

SPC(Special Purpose Company:特別目的会社)を活用した買収スキームは、中規模以上のMBO・EBOで多く用いられます。具体的な流れは以下の通りです。

  • 後継者がSPC(例:○○ホールディングス合同会社)を設立する
  • SPCが金融機関・ファンドから資金を調達する
  • SPCが現経営者から対象会社の株式を取得する(これでSPCが株主となる)
  • その後、SPCと対象会社を合併させ、一つの会社にまとめる(逆さ合併も可能)

このスキームのメリットは、後継者個人の信用力・資産を超えた規模の資金を調達できる点です。また、SPC段階で複数の出資者(共同出資者・ファンド等)を入れることで、後継者一人に資金負担が集中するリスクを分散させることもできます。

ただし、スキームの組成には弁護士・M&Aアドバイザー・税理士の連携が不可欠です。法的リスク・税務リスクの確認なしに進めることは避けてください。

ファンド・投資家の活用(PE・事業承継ファンド)

後継者一人で資金を賄えない場合、プライベートエクイティ(PE)ファンドや事業承継専門ファンドを活用する方法があります。ファンドが買収資金の一部または全部を出資し、後継者(経営陣)と共同で会社を保有・経営していくスキームです。

ファンドは一般的に3〜7年程度の保有期間の後にExitします(IPO・M&A売却・後継者への再売却等)。この間、ファンドからは経営支援・財務支援・ネットワーク提供などが受けられることがあり、単なる資金の出し手以上の価値を提供する場合もあります。

日本では近年、中小企業の事業承継を支援することを専門とした「事業承継ファンド」が増加しています。後継者の資金力が限られている場合でも、「後継者が少額を出資してファンドと共同経営」という形での承継が可能になるケースがあります。ただし、ファンドの経営方針への関与・Exit時のスキームについては、事前に詳細な条件交渉が必要です。

現経営者からの後払い・分割払い(アーンアウト)

現経営者が後継者の資力不足を考慮して、株式代金の支払いを分割払いにするケースもあります。たとえば「5年間にわたり毎年○○円ずつ支払う」という形で株式の移転を段階的に行う方法です。現経営者としては一括での現金化はできませんが、後継者側の資金調達ハードルを大幅に下げることができます。

また「アーンアウト条項」として、承継後の業績目標の達成度合いに応じて追加の支払いが発生する仕組みを盛り込むこともあります。これにより、現経営者は「経営が継続して成功することへの意欲」を後継者に与え、後継者側も「達成すれば問題ない」という動機づけになります。ただし、アーンアウト条項は業績目標の設定・測定方法・紛争解決手続き等を契約書に明確に定めないと、後日トラブルの原因になりかねないため、法律の専門家への相談が必須です。

ポイント:資金調達スキームは組み合わせが鍵
実務では「銀行融資+事業承継ファンドの出資+分割払い」など、複数の調達手段を組み合わせることが一般的です。資金調達の規模・対象会社の収益力・後継者の属性によって最適な組み合わせは異なります。M&Aアドバイザー・弁護士・税理士・公認会計士がワンチームで当たることが、スムーズな承継の実現につながります。

7. 従業員承継で活用できる支援制度・補助金一覧

国・地方自治体・金融機関は、中小企業の事業承継を後押しするための様々な制度・補助金を用意しています。従業員承継においても活用できるものが多いため、積極的に利用することで承継のコスト・リスクを大幅に軽減することが可能です。

事業承継税制(法人版・特例措置)

法人版事業承継税制は、後継者が先代経営者から株式等を贈与・相続によって取得した際に、一定の要件のもとで贈与税・相続税の納税が猶予される制度です。(参考:国税庁「法人版事業承継税制」

特に、平成30年度税制改正で創設された「特例措置」(2018年1月〜2027年12月末の贈与・相続が対象)では、以下の点で従来の一般措置から大幅に拡充されています。

  • 納税猶予の対象株式数:従来は総株式数の3分の2まで → 特例は全株式が対象
  • 納税猶予割合:従来は80% → 特例は100%(実質全額猶予)
  • 後継者の数:従来は1名 → 特例は最大3名まで可能
  • 雇用確保要件:従来は5年平均で雇用の8割維持が必要 → 特例では一定の条件で緩和

この特例措置を活用するには、2024年3月31日までに「特例承継計画」を都道府県に提出する必要があります(提出期限は延長される可能性があるため最新情報を確認してください)。事業承継税制は手続きが複雑なため、税理士・中小企業診断士などの専門家のサポートが不可欠です。

ポイント:親族以外の後継者でも事業承継税制を活用できます
事業承継税制は、後継者が親族である必要はありません。従業員承継(MBO・EBO)においても、所定の要件を満たせば活用することが可能です。具体的には、後継者が会社の代表取締役であること、一定数以上の株式を保有すること等の要件があります。詳細は都道府県の商工・産業担当部署や税務署にご確認ください。

事業承継・引継ぎ補助金

「事業承継・引継ぎ補助金」は、中小企業・小規模事業者が事業承継・M&Aを機に行う取り組みを支援するための補助金制度です。毎年度公募されており、補助対象・補助率・上限額は公募回ごとに変動します。

補助金の対象は大きく「経営革新」「専門家活用」「廃業・再チャレンジ」の3タイプに分かれており、従業員承継の場面では主に「専門家活用枠」(M&Aアドバイザー・弁護士・税理士等の専門家費用が対象)や「経営革新枠」(承継後の新事業展開に向けた設備投資・販路開拓等が対象)が活用できます。補助率は最大3分の2〜4分の3程度、補助上限額は数百万円が目安です(公募回ごとに確認が必要)。

最新の公募情報は、中小企業庁のウェブサイト(https://www.chusho.meti.go.jp/)または各都道府県の事業承継・引継ぎ支援センターにてご確認ください。

日本政策金融公庫の事業承継向け融資

日本政策金融公庫は、事業承継に特化した融資制度「事業承継・集約・活性化支援資金」を提供しています。(参考:日本政策金融公庫「事業承継・集約・活性化支援資金」)この融資制度の特長は以下の通りです。

  • 対象:事業承継・事業の集約・廃業を伴う事業の活性化を図る中小企業者
  • 融資限度額:7億2,000万円(別枠)
  • 都道府県知事の認定(経営承継円滑化法)があれば、後継者個人への融資も可能
  • 金利は一般の事業融資より優遇される場合がある

従業員承継の後継者が株式取得資金を調達する際に活用できる可能性があります。事業計画の策定・財務状況の整理を行った上で、日本政策金融公庫の担当窓口に相談することをお勧めします。

経営者保証コーディネーター・事業承継特別保証

前述の「個人保証問題」を解決するための制度として、「経営者保証コーディネーター」と「事業承継特別保証」があります。

経営者保証コーディネーターは、各都道府県の「事業承継・引継ぎ支援センター」に配置された専門家で、金融機関との交渉を含む経営者保証の解除に向けた総合的な支援を行います。承継前・承継後どちらの段階でも相談が可能です。

事業承継特別保証は、信用保証協会が提供する制度で、事業承継時に後継者が経営者保証なしで融資を受けるための信用保証制度です。一定の財務要件(債務超過でない、金融機関との良好な関係等)を満たした企業が対象となります。この制度を活用することで、後継者が個人保証なしで金融機関から資金調達できる道が開けます。

事業承継・引継ぎ支援センターへの相談

全国47都道府県に設置されている「事業承継・引継ぎ支援センター」は、中小企業・小規模事業者の事業承継に関する相談を無料で受け付ける国の機関(中小機構が運営)です。事業承継に関する情報提供・専門家マッチング・金融機関との連携など、幅広いサポートを提供しています。

従業員承継を検討し始めた段階で、まずは無料相談として事業承継・引継ぎ支援センターに問い合わせることをお勧めします。

制度・支援策概要対象者窓口・問い合わせ先
事業承継税制(特例措置)贈与税・相続税の全額猶予・免除(一定要件)先代→後継者への株式承継税務署・都道府県・税理士
事業承継・引継ぎ補助金専門家費用・新事業展開費用の補助(最大数百万円)承継後の取組を行う中小企業中小企業庁・支援センター
日本政策金融公庫融資事業承継目的の優遇融資(7.2億円まで)後継者個人・対象会社日本政策金融公庫各支店
事業承継特別保証個人保証なしで融資を受けられる信用保証財務要件を満たす企業の後継者信用保証協会・金融機関
経営者保証コーディネーター個人保証解除に向けた総合支援(無料)保証解除を目指す中小企業経営者事業承継・引継ぎ支援センター
事業承継・引継ぎ支援センター承継全般の無料相談・専門家紹介すべての中小企業・小規模事業者各都道府県の支援センター

8. 従業員承継の流れ(6ステップ)

従業員承継は、思い立ったらすぐに実行できるものではありません。理想的には10年前後の準備期間を設け、段階的に進めることが求められます。以下に、従業員承継の標準的な6つのステップを解説します。

STEP1:自社の経営状況・課題の見える化

事業承継の第一歩は、「自社の現状を正確に把握すること」から始まります。財務状況(貸借対照表・損益計算書・キャッシュフロー)、保有資産・負債の内容、株主構成、経営者の個人保証の有無、知的財産・技術ノウハウ・顧客リスト等の知的資産——これらを網羅的に見える化します。

経済産業省が公開している「ローカルベンチマーク」や、内閣府が提供する「経営デザインシート」を活用すると、自社の経営状況・強み・弱みを整理しやすくなります。見える化の目的は、現経営者自身が自社の現状を深く理解することに加え、後継者候補や金融機関・専門家に対して自社の実態を開示・説明できる状態を作ることです。実態を把握しないまま承継を進めると、承継後に「想定外の負債」「把握していなかったリスク」が露見し、新経営者が困惑するケースもあります。

STEP2:後継者候補の選定と意思確認

経営状況の把握と並行して、後継者候補の選定を開始します。「誰が経営者にふさわしいか」という視点で、役員・従業員の中から候補者を絞り込みます。経営者としての資質・業務経験・対人関係・リーダーシップ・意欲・覚悟等を総合的に評価します。

後継者候補が決まったら、できるだけ早い段階で本人に打診し、意思確認を行います。経営者になることへの意欲・覚悟・個人保証のリスクへの理解・家族(配偶者等)の同意——これらを確認した上で、正式な合意を得ることが大切です。

ポイント:後継者の選定は「早く・丁寧に・秘密裏に」
後継者候補に打診する際は、他の役員・従業員に知られないよう、慎重に進めることが重要です。特に役員が複数いる場合、後継者候補以外の人物が知れば、派閥争いや対立に発展するリスクがあります。まず現経営者と後継者候補の間で合意を固め、その後のタイミングで段階的に関係者に開示していくアプローチが現実的です。

STEP3:事業承継計画書の策定

後継者候補の承諾を得たら、具体的な「事業承継計画書」の策定に取り掛かります。事業承継計画書には、承継のスケジュール・方法・株式の移転計画・後継者の育成計画・資金調達計画・税務対策・関係者への対応方針などを盛り込みます。

一般的には「10年間の事業承継計画表」として作成することが推奨されており、中小企業庁がフォーマットを提供しています。計画書はあくまでも「道しるべ」であり、状況の変化に応じて随時見直しを行うことが前提です。重要なのは、計画書の「完成」を目的にするのではなく、現経営者・後継者・関係者が計画策定のプロセスを通じて認識を共有することです。

STEP4:関係者への周知・合意形成

事業承継計画が固まったら、従業員・取引先・金融機関・親族等の関係者への周知と合意形成を進めます。誰に、いつ、どのような内容を伝えるかの「コミュニケーション計画」を事前に立てておくことが重要です。

社内従業員への説明では、後継者の選定理由・今後の経営方針・処遇への影響(給与・待遇に変化があるか否か)などを丁寧に伝えます。取引先・金融機関への挨拶は、新経営者と旧経営者が一緒に出向き、「変わらず宜しくお願いします」というメッセージを伝えることが基本です。親族には、承継の背景・理由・今後の方針を誠実に伝え、理解を得る努力を惜しまないことが大切です。

STEP5:株式譲渡・法的手続きの実行

事業承継計画に基づき、具体的な法的手続きを実行します。主な手続きは以下の通りです。

  1. 株式譲渡契約の締結(株式の種類・数・価格・支払方法・引渡日等を記載)
  2. 取締役会・株主総会での承認決議(会社法上の手続き)
  3. 代表取締役の変更登記(法務局への申請)
  4. 株主名簿の書換え
  5. 贈与税・所得税等の申告・納付(税務署)
  6. 金融機関への経営者変更届出・保証人変更手続き
  7. 各種許認可・届出の名義変更(業種によって異なる)

これらの手続きは弁護士・司法書士・税理士などの専門家のサポートを受けながら進めることで、ミスや漏れを防ぐことができます。特に、株式譲渡契約書の内容や税務申告の正確性については、専門家のチェックが必須です。

STEP6:承継後のフォローアップ

法的な手続きが完了しても、事業承継のプロセスはまだ終わりません。新経営者が経営の舵取りに慣れるまでの移行期間(一般的に1〜2年程度)には、旧経営者がアドバイザーとしてサポートに回ることが理想的です。ただし、旧経営者が口を出しすぎると、新経営者のリーダーシップが損なわれるため、役割分担を明確にすることが大切です(詳細は第10章)。

また、承継後の経営状況を定期的にモニタリングし、当初の事業承継計画との乖離を確認しながら、必要に応じて計画を修正していくことが重要です。

9. 後継者選定のポイントと育成の進め方

経営者に必要な資質チェックリスト

後継者候補を選定する際には、「優秀な従業員」と「優れた経営者」を切り離して評価することが重要です。以下のチェックリストは、経営者としての適性を評価するための参考にしてください。

評価項目確認内容の具体例
事業理解・実務経験業界の商慣習・競合状況・自社の強み弱みを深く理解しているか
財務・数字への理解損益計算書・貸借対照表・キャッシュフローを読み解ける能力があるか
リーダーシップチームをまとめ、困難な状況でも方向性を示して引っ張れるか
コミュニケーション力社内外の関係者と信頼関係を構築・維持できるか
意思決定力不確実な状況下でも自分で判断を下せるか(優柔不断でないか)
ビジョン・戦略立案力中長期の事業の方向性を描き、社内外に発信できるか
変革への姿勢現状維持にこだわらず、必要な変化を恐れずに推進できるか
誠実さ・人格従業員・取引先・金融機関から信頼される人格を持っているか
経営への意欲・覚悟リスクを負って会社を担う強い意志・覚悟があるか
健康・体力経営者としての激務に耐えられる精神的・身体的な健康状態か

上記の全てを最初から満たす人物は稀です。「現時点で不足している部分を、計画的に育成できるか」という視点も合わせて評価することが現実的なアプローチです。

後継者育成の具体的プログラム

後継者として選定した人物に対しては、経営者としての能力を体系的に育成するプログラムを設計・実行することが重要です。具体的な育成施策として以下が挙げられます。

  • 部門横断的な業務経験:営業・製造・財務・人事・経営企画など、経営の全体を俯瞰できる経験を積ませる
  • 幹部会議・役員会への参加:経営判断の場に同席させ、経営課題・意思決定プロセスを学ぶ
  • 財務・会計の学習:税理士や公認会計士による勉強会、MBAプログラムへの参加
  • 外部経営者との交流:経営者塾・商工会議所・業界団体等を通じた人脈づくり
  • 重要プロジェクトの責任者への任命:実際に「責任を持った意思決定」の経験を積ませる
  • 子会社・関連会社での経営経験:独立した経営の責任を担う機会を与える

育成期間の目安(5〜10年計画)

後継者育成に必要な期間は、候補者の現在の経験・スキルレベルと、経営者に求めるレベルのギャップによって異なります。一般的な目安として、以下のような段階的なプランが考えられます。

  • 1〜2年目:経営状況の見える化・後継者候補の選定・育成計画の策定
  • 3〜5年目:部門横断的な経験・幹部会議への参加・外部研修への参加・サブリーダーとしての経験
  • 6〜8年目:副社長・専務などの役職への就任・現経営者との共同経営期間・段階的な意思決定権限の委譲
  • 9〜10年目:代表取締役への就任・株式の移転完了・旧経営者はアドバイザーとして後方支援

経営者が60歳に達した頃から準備を開始することが推奨されていますが、70歳代で現役の経営者も多い現状を踏まえれば、「何歳になっても遅くはない」という意識で、今すぐ着手することが重要です。

10. 承継後の経営引き継ぎ(PMI):スムーズに軌道に乗せる方法

PMI(Post Merger Integration:経営統合後のプロセス管理)は、M&Aの文脈でよく使われる言葉ですが、従業員承継においても同様の考え方が重要です。法的な手続きが完了した「承継後」こそが、事業承継の本番です。承継後100日間の対応が、その後数年間の経営の安定に大きく影響します。

承継直後100日間に行うべきこと

新経営者が就任した直後の100日間は、「経営者としての姿勢と方針を社内外に示す」極めて重要な時期です。この期間の過ごし方が、その後の組織の信頼形成・事業の安定に直結します。

  • 就任の挨拶と方針の発信:社内全従業員に対して、自分のビジョン・経営方針・大切にすること等を直接伝える機会を設ける
  • 従業員との個別面談:主要な従業員・管理職と1対1の面談を実施し、現場の声・課題・期待を聴く
  • 主要取引先への挨拶回り:旧経営者と共に主要取引先を訪問し、関係継続を確認する
  • 金融機関への挨拶と報告:主要取引金融機関に新経営者として挨拶し、今後の経営方針・資金計画を説明する
  • 当面の経営課題の洗い出し:緊急に対処すべき課題(売上不振部門・人材不足・財務リスク等)を特定し、優先順位をつける
  • 経営会議の体制整備:意思決定の仕組み・頻度・参加メンバーを明確にする

注意点:「何でも変える」は禁物。最初は「聴くこと」から
就任直後に「大改革を断行する」と宣言する新経営者が多いですが、組織が混乱するリスクがあります。最初の100日間は「聴くこと」「理解すること」に重点を置き、変革は十分な情報収集と合意形成の後に進めるのが賢明です。従業員・取引先・金融機関との信頼関係を築くことが、長期的な経営安定の基盤になります。

社内コミュニケーション・組織固め

従業員承継後の組織運営において、最もデリケートな課題の一つが「選ばれなかった人材」との関係です。後継者候補が複数いた場合、選ばれなかった役員・従業員が不満を抱えるケースがあります。こうした不満が放置されると、優秀な人材の離職・組織の分断・派閥対立といった深刻な問題に発展します。

新経営者は、「なぜ自分が選ばれたか」を透明性をもって説明し、選ばれなかった人材に対しても「あなたの貢献を大切にしている」という誠実な姿勢を示すことが重要です。また、重要なポジションや職責を適切に割り当て、意欲ある人材が活躍できる場を確保することも組織安定に欠かせません。

定期的な全体ミーティング・部門ミーティングを通じて経営情報を積極的に共有することで、従業員の不安を軽減し、新体制への信頼を醸成することができます。

取引先・金融機関への挨拶と関係維持

主要な取引先・仕入先・金融機関に対しては、旧経営者と新経営者が揃って挨拶に出向くことが基本です。この「引き継ぎの挨拶」を丁寧に行うことで、「会社は変わらずに存続する」「従来通りの取引をお願いしたい」というメッセージを伝えることができます。

特に金融機関に対しては、単なる挨拶だけでなく、新経営者の経営方針・中期事業計画・財務状況の説明を行うことが重要です。金融機関側は、新経営者の経営能力・人柄・ビジョンを注視しています。定期的な情報提供・報告を継続することで、金融機関との信頼関係を維持・強化できます。

先代との役割分担と権限移譲の進め方

従業員承継後、旧経営者(先代)がどのような立場で関わり続けるかは、非常に重要な問題です。旧経営者が引き続き会長や顧問として在籍するケースは多いですが、その役割と権限を明確にしておかないと、「二重権力」「社内の混乱」の原因になります。

理想的な先代の関わり方は「相談役に徹すること」です。日常的な経営判断には口を出さず、必要に応じて相談に乗る。重要な取引先・金融機関との関係維持には協力するが、社内の人事・方針決定には関与しない——こうしたルールを、承継の前段階から合意しておくことが大切です。

旧経営者と新経営者の間で「役割分担書」「引き継ぎ覚書」等を作成し、文書化しておくことも有効です。暗黙の了解だけに頼らず、明確な取り決めを共有することで、後からの摩擦を防ぐことができます。

ポイント:承継後PMIの失敗パターンと回避策
承継後によくある失敗パターン①:先代が「アドバイス」と称して日常的に口出しを続け、新経営者が決断できなくなる → 先代の関与ルールを事前に文書化する。失敗パターン②:新経営者が周囲の意見を聴かず独断的に動き、社内の信頼を失う → 就任初期は「聴くこと」を優先する。失敗パターン③:取引先への挨拶を怠り、関係が冷える → 承継後3ヶ月以内に主要取引先への挨拶を完了させる。

11. まとめ

本記事では、事業承継を従業員(役員・社員)に行う「従業員承継」について、基本的な意味・種類(MBO・EBO)・メリット・デメリット・方法・資金調達スキーム・支援制度・流れ・後継者育成・承継後のPMIまで、幅広く解説しました。要点を以下に整理します。

  • 従業員承継とは、社内の役員・従業員に経営権・株式を引き継ぐ方法で、MBO(経営陣による買収)・EBO(従業員による買収)・内部昇格(経営権のみ移転)の形があります。
  • 最大のメリットは「後継者候補の幅広さ」と「企業文化・経営理念の継承のしやすさ」。最大の課題は「後継者の資金調達」と「個人保証の引き継ぎ」です。
  • 資金調達手段としては、金融機関融資(LBOローン)・SPC活用・ファンド・分割払いなどがあり、状況に応じた組み合わせが有効です。
  • 国の支援制度(事業承継税制・補助金・政策金融公庫融資・経営者保証コーディネーター等)を積極的に活用することで、承継コスト・リスクを大幅に軽減できます。
  • 承継の準備は最低5年、理想は10年前から着手することが重要。後継者育成・合意形成・法的手続きまで、段階的に進める計画が必要です。
  • 法的手続き完了後の「承継後PMI」こそが経営安定の鍵。100日間の行動・先代との役割分担・社内組織固め・取引先への挨拶を丁寧に進めることが成功の要件です。

従業員承継は、適切な準備と専門家のサポートがあれば、中小企業が事業を継続させるための有力かつ現実的な選択肢です。「いつかやらなければ」と思っているうちに経営者が高齢化し、手遅れになるケースも少なくありません。今すぐ、事業承継の第一歩を踏み出すことをお勧めします。

執筆者

京都大学経済学部在学中、旧司法試験合格。最高裁判所司法研修所を経て弁護士登録(日本弁護士連合会・東京弁護士会)。その後、京都大学経営管理大学院修了(MBA)。
長島大野常松法律事務所を経て独立し、千代田中央法律事務所を設立。独立行政法人中小企業基盤整備機構(中小機構)では国際化支援アドバイザーとしても活動。上場企業の組織再編、IPO法務DD、スタートアップの資本政策支援、再生型M&Aなど、法務・戦略両面からの総合支援に実績を持つ。