「会社を売ったらすぐに引退できると思っていたのに、買い手から『3年は社長として残ってほしい』と言われた」。M&Aの交渉で、売り手の経営者がこうした条件を初めて示されて戸惑うことは珍しくありません。これがロックアップです。
ロックアップは契約書の一条項にすぎませんが、期間・肩書・報酬・途中で辞めた場合の扱いを詰めずに合意すると、売却後数年間の働き方だけでなく、受け取れる対価そのものが左右されます。
本記事では、①ロックアップの意味と期間の目安、②売り手にとってのメリットと負担、③役員・顧問・従業員という残り方の違い、④途中離脱・解任時の取扱い、⑤役員退職金との関係と交渉前のチェックポイントを、売り手の経営者の立場から整理します。
M&Aにおけるロックアップとは
ロックアップは「売却後も一定期間、会社に残る約束」
M&Aにおけるロックアップとは、株式や事業を譲渡した後も、売り手の経営者などのキーパーソンが一定期間会社にとどまり、経営や引継ぎに関与することを約束する契約条件です。特定の人物に着目した条件であることから「キーマン条項」とも呼ばれます。通常は株式譲渡契約書(SPA)などの最終契約の中に、「売主は、クロージング後◯年間、対象会社の代表取締役として職務を継続する」といった形で定めます。中小企業では、取引先との関係、技術やノウハウ、従業員の信頼が社長個人に集中していることが多く、買い手はそれを引き継ぐ期間を確保するためにロックアップを求めます。
期間の目安と、長さを決める要素
ロックアップの期間は、実務上1〜3年程度で設定されることが多く、2〜3年を目安として紹介する解説も多く見られます。ただし、一律の相場があるわけではなく、引継ぎの難しさによって大きく変わります。社長が営業の大半を担っている会社や、主要取引先が社長個人との関係で成り立っている会社では長めになりやすく、組織的に運営され、番頭格の幹部が育っている会社では半年〜1年程度で足りることもあります。社長の年齢も考慮され、若い経営者には5年以上を打診されることもあります。期間は買い手の希望だけで決まるものではありません。引継ぎに何が必要かを具体的に洗い出し、それに見合う長さを交渉するものと考えてください。
「ロックアップ」の別の意味と混同しない
ロックアップという言葉は、ほかの場面でも使われます。代表的なのはIPO(新規上場)で、上場後の一定期間、大株主や経営陣が保有株式を売却しないと約束することを指します。また、M&Aの交渉段階で、売り手が他の買い手候補に乗り換えないよう独占交渉権や違約金を定める取決めをロックアップと呼ぶこともあります。売り手の経営者が買い手や仲介会社から「ロックアップ」と言われた場合、多くは本記事で扱う「売却後に会社に残る条件」の意味ですが、書面上どの意味で使われているかを最初に確認しておくと、話のすれ違いを防げます。
ポイント
ロックアップは「残るか残らないか」ではなく、「どの立場で、何年、何をして、いくらもらい、辞めたらどうなるか」の組み合わせです。基本合意の段階で期間だけを決め、残りを最終契約に先送りすると、後の交渉で売り手の選択肢が狭まります。期間と一緒に、役職・報酬・業務範囲の大枠まで合意しておくことをおすすめします。
ロックアップが売り手にもたらすメリットと負担
メリット|引継ぎの質を上げ、条件交渉でも有利に働く
売り手にとって最大のメリットは、自分が築いた取引関係や社内の信頼を、時間をかけて新体制に渡せることです。社長が突然いなくなると、取引先が発注を見直したり、幹部が転職を考えたりしやすくなりますが、一定期間社長が残ることでこうした離反を抑えられます。買い手から見ると、社長が残ることは買収後に業績が崩れるリスクを下げる材料になるため、譲渡価格やその他の条件の交渉で売り手に有利に働くこともあります。さらに、ロックアップ期間中の業績に応じて追加の対価を受け取るアーンアウトを組み合わせれば、残る期間を経済的なリターンに結び付けることもできます。
デメリット|自由の制約と「オーナーではない社長」への変化
一方で、ロックアップ期間中は引退や新しい事業の開始が制約されます。見落とされやすいのは、同じ「社長」でも立場が根本から変わる点です。株式を100%譲渡した後は、経営の最終決定権は株主である買い手にあり、予算、人事、設備投資などに親会社の承認や報告が求められるのが一般的です。これまで自分の判断で即決できたことが、稟議や月次報告を通さなければ進まなくなり、そのギャップに強いストレスを感じる経営者は少なくありません。役員報酬も買い手が決める立場になるため、売却前と同じ水準が保証されるわけではありません。こうした変化を事前に具体的に想像し、受け入れられる範囲かを見極めることが大切です。
注意点
「今までどおり自由にやってよい」という口頭の説明は、契約上の保証になりません。決裁権限、報告の頻度、報酬の水準と改定ルールは、事前に合意し認識の齟齬が無いようにしておくことが重要です。親会社側の担当者が異動すれば、口頭の約束は引き継がれないこともあります。
残り方で変わる売り手の立場|役員・顧問・従業員の違い
ロックアップで「会社に残る」といっても、法的な立場は役員・顧問(業務委託)・従業員の3つに分かれ、辞めさせられやすさや報酬の守られ方が異なります。
役員として残る場合|株主はいつでも解任できる
代表取締役や取締役として残る場合、会社との関係は委任です(会社法330条)。会社法339条1項は、役員はいつでも株主総会の決議で解任できると定めており、100%株主となった買い手は、ロックアップ期間中でも売り手を解任できます。その代わり、正当な理由のない解任であれば、解任された役員は会社に損害賠償を請求できます(同条2項)。この損害は、一般に残りの任期中に得られたはずの報酬相当額と考えられており、名古屋国税局の文書回答事例(会社法第339条第2項に基づく損害賠償金)でも、判決で解任翌月から任期満了までの報酬相当額が損害とされた例が紹介されています。例えば、月額報酬100万円で残任期が18か月なら、請求の目安は1,800万円です。逆にいえば、ロックアップ期間より任期が短いと、請求できる額も小さくなります。なお、取締役会設置会社では、取締役の地位はそのままに代表取締役だけを取締役会決議で解職することもでき、この場合は同項による損害賠償の対象にならないと解されています。
顧問・業務委託として残る場合|解除しやすい契約である
代表権を後任に譲り、顧問や相談役として業務委託契約で残る形もよく使われます。会社の機関ではないため、関与は助言が中心になり、役員としての責任も負いません。反面、こうした契約は民法の委任・準委任にあたり、民法651条により当事者はいつでも解除できます。解除した側が損害賠償を負うのは相手方に不利な時期に解除した場合などに限られ、やむを得ない事由があれば賠償も不要です。つまり、買い手が「顧問はもう不要」と判断すれば、契約は比較的容易に終わります。顧問として残る場合は、契約期間、報酬の最低保証、中途解除時に残期間分の報酬を支払うかどうかを契約書に明記し、ロックアップの約束と実際の契約内容を一致させることが重要です。
従業員として残る場合|解雇規制で守られるが例は少ない
役員を退き、雇用契約を結んで従業員として残るケースもあります。雇用契約には労働契約法16条が適用され、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当と認められない解雇は無効となるため、地位の面では最も守られます。ただし、元オーナーが一従業員として指揮命令を受ける形は双方にとって運用が難しく、中小企業のM&Aでは例外的です。技術者として現場に残りたい、引継ぎ期間だけ部長職で関与したいといった事情がある場合の選択肢と考えてください。
| 残り方 | 法的な関係 | 買い手からの終了 | 売り手の守られ方 |
|---|---|---|---|
| 役員(代表取締役・取締役) | 委任 | 株主総会決議でいつでも解任できる | 正当な理由のない解任は、残任期の報酬相当額を損害賠償請求できる |
| 顧問・相談役 | 準委任(業務委託) | 原則としていつでも解除できる | 契約で報酬の最低保証や解除時の支払を定めて補う |
| 従業員 | 雇用 | 解雇には客観的に合理的な理由が必要 | 解雇権濫用法理(労働契約法16条)で地位が守られる |
ポイント
役員として残る場合、ロックアップ期間と役員の任期の確認・調整が重要です。取締役の任期は原則2年ですが、非公開会社であれば定款で選任後10年以内まで延ばせます(会社法332条1項・2項)。定款で任期を1年にしている会社などでは、買い手は次の定時株主総会で再任しないだけで関係を終えられ、損害賠償も請求しにくくなります。
途中で辞めたら・辞めさせられたら|離脱時の取扱いを設計する
売り手側の離脱に付く3つのペナルティ
ロックアップ期間の途中で売り手が自ら辞めた場合の扱いは、主に3つの型で定められます。1つ目は損害賠償で、賠償額をあらかじめ決めておくこともあります。2つ目はアーンアウトの喪失で、在任していることを追加対価の支払条件にする方法です。3つ目は譲渡代金の一部留保で、代金の一部をエスクロー口座に預けたり後払いにしたりし、在任期間の経過に応じて段階的に支払う方法です。例えば、譲渡対価3億円のうち10%の3,000万円を留保し、1年経過ごとに1,500万円ずつ支払う設計であれば、1年目の途中で辞めると3,000万円全額を、2年目の途中で辞めると残りの1,500万円を受け取れない可能性があります。どの型が使われるかで、途中離脱の代償は大きく変わります。
やむを得ない離脱は「グッドリーバー」として区別する
病気やけが、家族の介護、買い手による一方的な降格や大幅な報酬減額など、売り手に責任のない事情で辞めざるを得ないこともあります。こうした場合までペナルティの対象にすると、売り手の負担は過大です。そこで、離脱の理由によって扱いを分ける「グッドリーバー/バッドリーバー」の考え方で条項を設計するのが有効です。自己都合の辞任や義務違反による離脱(バッドリーバー)にはペナルティを課し、健康上の理由や買い手側の事情による離脱(グッドリーバー)では留保代金を支払い、アーンアウトは離脱時点までの実績で精算する、といった定め方です。売り手からこの区別を提案することは、合理的な要求として受け止められやすいはずです。
買い手都合の解任・報酬減額に備える
反対に、買い手の方針転換で売り手が解任されたり、報酬を大きく下げられたりするリスクもあります。会社法339条2項の損害賠償請求はできますが、訴訟には時間と費用がかかり、「正当な理由」の有無が争点になります。そのため最終契約で、買い手が正当な理由なく解任した場合の留保代金やアーンアウトの扱い、ロックアップ期間中の報酬の下限を定めておくことが望まれます。特にアーンアウトを組み合わせる場合は、解任されて業績に関与できなくなったのに、目標未達を理由に追加対価が支払われないという事態を防ぐ条項が欠かせません。
| 離脱のパターン | 売り手の目線で交渉したい扱いの例 |
|---|---|
| 自己都合の辞任(バッドリーバー) | ペナルティの上限額を定める。留保代金は未経過期間分に限って不支給とする |
| 重大な義務違反・競業行為による解任 | ペナルティの対象となる事由を具体的に列挙し、範囲を限定する |
| 病気・けが・死亡(グッドリーバー) | 留保代金を支払う。アーンアウトは離脱時点までの実績で精算する |
| 買い手都合の解任・大幅な降格や減額 | 留保代金を即時に支払う。アーンアウトは目標達成とみなす等の定めを置く |
| 期間満了 | 留保代金の残額を支払う。以後の関与(顧問契約等)は別途協議とする |
注意点
損害賠償額の予定や代金留保の条項は、金額が大きいほど後の紛争で影響が大きくなります。条項案が示されたら、「どの事由で」「いくら」「いつ」受け取れなくなるのかを一覧にし、署名前に弁護士の確認を受けてください。
役員退職金・競業避止・アーンアウトとの関係
退職金を受け取って残るなら「実質的な退職」が必要
中小企業のM&Aでは、クロージング時に経営者へ役員退職金を支給し、譲渡価格を調整する手法がよく使われます。ところが、ロックアップで役員として残ると、実際には退職していないため、支給額が退職金として認められるかが問題になります。法人税基本通達9-2-32(役員の分掌変更等の場合の退職給与)は、地位や職務の内容が激変し、実質的に退職したと同様の事情にある場合に退職給与として扱えるとし、その例として、常勤から非常勤への変更、取締役から監査役への変更、報酬のおおむね50%以上の減少を挙げています。ただし、いずれの例でも、引き続き経営上主要な地位を占めている者は除かれます。代表取締役として経営を主導し続けるロックアップとは両立しにくいため、退職金を受け取る場合は、取締役を退任して顧問として関与する、あるいは代表権を返上して非常勤の会長に退き、報酬も月額200万円から80万円へ(60%減)大きく下げるなど、実態を伴う設計が必要です。形式だけ整えても、経営への関与が続いていれば否認されるおそれがあります。個別の取扱いは事実関係によって異なるため、実行にあたっては税理士に確認してください。
競業避止義務とアーンアウトは一体で交渉する
ロックアップと同時に、売り手の経営者には競業避止義務が課されるのが一般的です。事業譲渡の場合、譲渡会社には会社法21条で競業禁止が定められていますが、経営者個人を縛るには契約上の定めが必要になります。期間・地域・業種の範囲が広すぎると、ロックアップ満了後の再出発まで制約されるため、義務が「満了後何年」まで及ぶのかを確認してください。アーンアウトは、目標の指標(売上か営業利益か)、算定方法、親会社からの経費の付け替えの扱いを明確にしないと、売り手がコントロールできない要素で追加対価が左右されます。いずれもロックアップの条件とセットで検討することが欠かせません。
ロックアップの交渉前に売り手が確認したいこと
条件の中身として確認する項目
買い手からロックアップを求められたら、次の項目を確認し、最終契約や役員就任時の合意書に落とし込んでください。
- 期間:何年か、延長の有無と条件、満了後の関与の仕方
- 立場:代表取締役・取締役・会長・顧問のどれで残るか、代表権の有無
- 任期:役員の任期がロックアップ期間とそろっているか
- 業務範囲と権限:担当業務、決裁権限、親会社への報告の頻度
- 勤務形態:常勤か非常勤か、週何日程度の関与を想定するか
- 報酬:金額、改定のルール、期間中の下限
- 離脱時の扱い:自己都合・健康上の理由・買い手都合の解任ごとの取扱い
- 対価との連動:留保代金やアーンアウトの支払条件と、離脱時の精算方法
- 競業避止:期間・地域・業種の範囲
- 役員退職金:支給するか、支給するなら実質的な退職と説明できる体制か
売却準備の段階から「残り方」の希望を固めておく
ロックアップの条件は、買い手候補が決まってから初めて考えるのでは遅いことがあります。何年なら残れるか、どの立場なら引き受けられるか、いつまでに引退したいかは売却の準備段階で整理し、アドバイザーを通じて早めに伝えておくことが大切です。希望がはっきりしていれば、それに合う買い手を選びやすくなり、トップ面談でも認識のずれを確かめられます。また、社長が長く残らなくても事業が回るよう、売却前から幹部への権限委譲や業務の文書化を進めておけば、買い手が求めるロックアップ期間そのものを短くできる可能性があります。
ポイント
ロックアップ期間を短くする最も確実な方法は、「社長がいなくても回る会社」であることを買い手に示すことです。主要取引先への幹部の同行、業務マニュアルの整備、決裁権限の委譲を、売却を決めた時点から計画的に進めてください。
まとめ
- M&Aのロックアップは、売却後も売り手の経営者が一定期間会社に残る約束で、「キーマン条項」とも呼ばれます。
- 期間は1〜3年程度が多いものの、引継ぎの難しさや社長の年齢で大きく変わります。
- 役員として残る場合、株主はいつでも解任でき、正当な理由のない解任に対しては、残任期の報酬相当額の損害賠償を請求できるにとどまります。
- 顧問契約は原則いつでも解除できるため、報酬の最低保証や解除時の支払を契約で補う必要があります。
- 途中離脱のペナルティは、損害賠償・アーンアウトの喪失・代金留保の3つの型があり、グッドリーバーとバッドリーバーを分けて定めることが重要です。
- 役員退職金を受け取って残る場合は、法人税基本通達9-2-32に沿った「実質的な退職」の実態が必要です。
ロックアップは、売却後の働き方と手取りの両方を決める条件です。買い手から提示された条項をそのまま受け入れるのではなく、期間・立場・報酬・離脱時の扱いを一体で設計し、署名前に専門家の確認を受けてください。
弁護士と税理士が在籍しており、ロックアップ条項の設計や役員退職金の取扱いまで一貫してご支援できます。売却後の関わり方に不安がある経営者の方は、お気軽にご相談ください。
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