訪問看護ステーションの売却を検討し始めると、まず求められるのが過去3期分の決算書です。ところが、決算は税理士に任せきりで、買い手がどこを見て、何を問題にするのかが分からないまま資料を出すことになります。
訪問看護は財務構造が単純な事業です。貸借対照表は売掛金でほぼ埋まり、損益計算書は人件費で7割が決まります。裏を返せば、見るべき論点は絞れます。汎用のデューデリジェンス・チェックリストを端から潰す必要はありません。
本記事では、①訪問看護のBS・PLの構造、②2か月遅れの入金と運転資金、③売掛金の評価、④出やすい簿外債務、⑤拠点別PLと精算条項、の5点に絞って解説します。読み終える頃には、売却前に自分で点検すべき項目が決まります。
1. 訪問看護のBS・PLの構造
貸借対照表は売掛金が大半を占める
訪問看護ステーションの資産の中身は、現預金と売掛金でほとんどが説明できます。収入のほぼ全額が介護保険と医療保険の報酬で、保険外の利用料は収入の2%程度にすぎません。その報酬の入金が2か月遅れるため、売掛金が資産の中心になります。事務所は賃貸借、車両や自転車はリースというケースが多く、固定資産はごくわずかです。
この構造は評価にも直結します。時価純資産を算定するとき、実質的に検証すべきなのは売掛金発生の適否、負債が漏れなく計上されているかの3点になります。土地建物の含み損益に神経を使う製造業や不動産業とは、見るべき場所がまったく違います。
損益計算書は給与費70.1%で決まる
費用構成も明快です。厚生労働省の令和7年度介護事業経営概況調査結果によると、訪問看護1事業所当たりの月次の収入は3,476千円、うち給与費が2,437千円で70.1%を占めます(令和6年度決算)。減価償却費は48千円で1.4%、その他の費用が630千円で18.1%です。
| 項目 | 金額(千円/月) | 収入に対する比率 | 年換算(万円) |
|---|---|---|---|
| 収入 | 3,476 | 100.0% | 4,171 |
| 給与費 | 2,437 | 70.1% | 2,924 |
| 減価償却費 | 48 | 1.4% | 58 |
| その他(うち委託費24千円) | 630 | 18.1% | 756 |
| 収支差 | 358 | 10.3% | 430 |
つまり、収益力の議論は実質的に人件費の議論です。看護職員1人あたり何件訪問できているか、常勤と非常勤の比率が適切か、この2点で利益はほぼ決まります。
なお、収支差には介護事業外の収益・費用も含まれるため、収入から給与・減価償却・その他を差し引いた金額とはわずかにずれます。
EBITDAと営業利益がほぼ一致する業種
減価償却費が収入の1.4%しかないということは、EBITDAと営業利益がほとんど変わらないということです。差引358千円に減価償却費48千円を足したEBITDA相当は月406千円、年間で約487万円。営業利益相当の約430万円との差は年57万円しかありません。
設備投資型の事業では、EBITDAで見るか営業利益で見るかで評価額が大きく変わりますが、訪問看護ではその差はほぼ生じません。買い手がEBITDAマルチプルを持ち出してきたときに、「うちは減価償却がほとんどないので、営業利益ベースとほぼ同じです」と説明できると、議論が噛み合います。
| 資料 | 期間の目安 | そこで見られる論点 |
|---|---|---|
| 決算書・勘定科目内訳書 | 過去3期 | 負債の網羅性、役員貸付金・仮払金の有無 |
| 売掛金の年齢表 | 直近12か月 | 1年以上滞留している債権の金額と理由 |
| 請求額と入金額の突合表 | 直近12か月 | 返戻・査定の発生率と、その原因 |
| 国保連からの通知帳票 | 直近12か月 | 過誤調整の履歴と自主返還の有無 |
| 賃金台帳・勤怠記録 | 直近12〜36か月 | 移動時間・記録時間の集計方法、オンコール手当の水準 |
| 就業規則・退職金規程 | 現行 | 規程があるのに引当がない項目 |
| 社会保険の被保険者一覧 | 現行 | 短時間勤務者の加入漏れ、業務委託契約の実態 |
| 拠点別P/Lと月次実績 | 直近24か月 | 拠点ごとの黒字・赤字、訪問回数と職員数の推移 |
ポイント
財務資料を整えるとき、順番を間違えないでください。訪問看護で先に固めるべきは、①売掛金の年齢表と返戻・過誤の履歴、②人件費の内訳(常勤・非常勤別、職種別、手当別)、③負債の網羅性の3つです。固定資産台帳や在庫の精査に時間をかけても、価格はほとんど動きません。
2. 売掛金の回収サイトによる留意点
国保連からの振込はサービス提供月の翌々月末
介護保険の報酬は、サービスを提供した月の翌月10日までに国民健康保険団体連合会へ請求し、入金はサービス提供月の翌々月末になります。4月に訪問した分の入金は6月末です。
例えば、宮城県国民健康保険団体連合会の介護給付費等請求のページでは、事業者から国保連合会への請求受付締切がサービス提供月の翌月10日、国保連合会から事業者への振込がサービス提供月の翌々月末という日程基準が示されています。締切の10日は法令上の最終期限で、1日でも遅れると翌月扱いになります。
医療保険分もほぼ同じサイクルで動く
医療保険の訪問看護療養費も、翌月10日までに審査支払機関へ請求し、入金は2か月後というサイクルはほぼ同じです。支払日は審査支払機関によって異なるため、対象事業所の実際の入金日は通帳で確認してください。
つまり訪問看護は、給与を毎月支払いながら、その原資となる収入は2か月後にしか入ってこない事業です。売上が伸びるほど売掛金が膨らみ、運転資金の必要額も増えます。成長しているステーションほど資金繰りの調整が必要となるのは、この構造によるものです。
月商2か月分の運転資金は誰が負担するのか
平均的な1事業所の月商3,476千円で計算すると、2か月分の運転資金は約695万円です。3拠点あれば2,000万円を超えます。
株式譲渡であれば、売掛金も現預金も会社に残ったまま買い手に移りますから、株式価値の計算で調整されます。問題は事業譲渡です。譲渡日より前のサービス提供分の債権は原則として売り手に残る一方、買い手は引き継いだ翌日から給与を払い始めます。買い手側に2か月分の運転資金の持ち出しが生じるため、その分を価格から差し引くか、売掛金も併せて譲渡するかを決めておく必要があります。
注意点
運転資金の負担を誰が持つかは、基本合意の段階で書面にしておく方法もあります。最終契約の直前になって「売掛金は譲渡対象に含まれると思っていた」という認識のずれが出ると、数百万円から数千万円の条件変更になり、交渉が振り出しに戻ります。譲渡対象資産の一覧に、売掛金を含むのか含まないのかを明記するのが確実です。
3. 売掛金は額面どおりに評価できない
返戻と査定で入金が減る・遅れる
公費請求では、請求した金額がそのまま入金されるとは限りません。記載内容の不備で差し戻される返戻や、算定要件を満たしていないと判断される査定があるためです。返戻になった分は再請求すれば入金されますが、翌月以降にずれ込みます。
買い手は、直近12か月の請求額と実際の入金額を突き合わせ、その差がどれくらい継続的に出ているかを見ます。返戻が毎月一定割合で発生しているステーションは、請求事務の体制に問題があると判断され、売掛金の評価だけでなく、PMIのコストとしても織り込まれます。
注意点
返戻や過誤の履歴は、国保連から届く通知帳票に残っています。買い手が資料請求すれば把握できる情報ですから、隠しても意味がありません。むしろ、返戻が多かった時期とその原因、改善のために何をしたかを先に説明できるほうが、事務体制への信頼につながります。
過誤調整は過去分をさかのぼって減額される
算定要件を満たしていなかった加算などが後から判明した場合、過誤調整によって過去に受け取った報酬が返還対象になります。返還額はその後の入金から相殺されるため、決算書上は将来の収入が減る形で現れます。
デューデリジェンスでは、運営指導の記録と、その後の過誤調整の有無が確認されます。指摘を受けて自主返還した履歴があるなら、その内容と是正状況を整理しておいてください。是正済みであることを示せれば、簿外債務としての見積もりを抑えられます。
利用者自己負担分の未収金
公費で回収できない1割から3割の自己負担分は、利用者から直接回収します。訪問看護の利用者は高齢者や重症者が中心で、入院や逝去によって回収が難しくなるケースが一定数出ます。
この未収金が滞留していると、時価純資産の算定で減額されます。1年以上経過した債権がどれだけあるか、回収の努力をしているか、貸倒引当金を計上しているかを、売却前に確認しておいてください。金額としては大きくありませんが、管理の質を測る指標として見られます。
4. 訪問看護で出やすい簿外債務
移動時間・記録時間とオンコール手当
最も金額が大きくなりやすいのが未払残業代です。訪問看護は直行直帰が多く、移動時間や記録作成の時間が労働時間として集計されていないケースが少なくありません。24時間対応体制を敷いているのに、待機手当が慣行的な少額に留まっていることもあります。
金額感を示します。仮に、常勤換算8.6人のステーションで、1人あたり月10時間の未計上があり、時間単価を2,500円と置くと、年間で約258万円です。賃金請求権の消滅時効は労働基準法第115条および附則第143条第3項により当分の間3年とされていますから、遡って請求されると約774万円になります。年間の営業利益相当が約430万円という事業で、これは無視できない金額です。
賞与・有給・退職金の引当不足
中小の訪問看護ステーションでは、賞与引当金・退職給付引当金・有給休暇引当金が計上されていないことがほとんどです。税務上は計上できないものが多いため、決算書に出てこないのは自然ですが、買い手は実質的な負債として時価純資産から差し引きます。
特に有給休暇は、年10日以上付与される職員について年5日を取得させる義務があり、代替人員のコストが現実に発生します。就業規則に退職金規程があるなら、勤続年数に応じた要支給額を試算しておいてください。規程があるのに引当がないという状態が、最も指摘されやすいパターンです。
社会保険の加入漏れ
短時間勤務の看護師の社会保険加入漏れも、訪問看護で頻出します。加入要件を満たしているのに未加入だと、遡及して保険料を納付することになり、事業主負担分がそのまま簿外債務になります。
あわせて、業務委託契約で看護師に訪問してもらっているケースは、実態が雇用と判断されるリスクがあります。指揮命令の実態、勤務時間の指定、他社での就業の自由といった点から、契約形態が実態に合っているかを確認しておいてください。
ポイント
簿外債務は、買い手に指摘されてから対応すると、保守的に見積もられて価格から大きく引かれます。売り手側で先に試算し、是正済みのものは是正後の数字を、未是正のものは金額と是正計画をセットで提示してください。自分から出した数字は交渉の土俵に乗りますが、後から見つかった数字は信頼そのものを損ないます。
5. 拠点別PLの重要性
会計の区分は運営基準上の求めでもある
複数拠点を運営していながら、会社全体でしか損益を把握していないケースは珍しくありません。しかし介護保険の運営基準では、事業所ごと、サービスごとに会計を区分することが求められています。拠点別P/Lは、M&Aのために新しくつくるものではなく、本来あるべきものです。
買い手の立場では、どの拠点が黒字でどの拠点が赤字かが分からない事業を評価することはできません。全体で黒字でも、赤字拠点が混ざっていれば、買収後にその拠点の処理コストがかかります。拠点別P/Lがないというだけで、検討を見送る買い手もいます。
最低限つくるべき拠点別PLの粒度
完璧な管理会計は必要ありません。拠点ごとに、介護保険収入と医療保険収入を分けた売上、その拠点に所属する職員の人件費、家賃・車両費・通信費といった直課できる経費、この3層を24か月分並べれば十分です。
あわせて、拠点ごとの利用者数、延べ訪問回数、看護職員の常勤換算数を月次で並べてください。全国平均は1事業所当たり延べ訪問回数421.5回/月、常勤換算8.6人(うち看護職員5.4人)、訪問1回当たり収入8,248円ですから、自社がこの水準に対してどうかを買い手は見ます。
本部費用をどう配賦するか
本部で経理や採用を担っている場合、その費用をどう配賦するかで拠点別の損益は大きく変わります。実務では、拠点の売上高比率か職員数比率で按分するのが一般的です。
重要なのは、配賦のルールを明示し、期間を通じて一貫させることです。買い手は配賦前の数字と配賦後の数字の両方を求めますから、配賦前の拠点別P/Lと、配賦ルールを記した1枚を用意しておくと、質疑が一往復で済みます。
6. クロージングの精算条項について
報酬債権はサービス提供日で帰属を切る
入金が2か月遅れる事業では、クロージング日をまたぐ債権の帰属を契約で決めておく必要があります。原則はサービス提供日基準です。譲渡日以前に提供したサービスに係る報酬は売り手に、譲渡日以降の分は買い手に帰属させます。
ただし、事業譲渡で事業所番号が変わる場合、譲渡日前のサービス分は旧事業所番号で請求することになり、入金は売り手の口座に入ります。買い手が実務を担いながら入金は売り手に入るという状態が2か月続きますから、請求事務を誰が行い、いつ精算するかまで契約に書いてください。
運転資金の基準額を決めておく
株式譲渡でも、クロージング日の運転資金の水準は調整対象になります。売り手がクロージング直前に売掛金を早期回収したり、支払を先送りしたりすれば、簿外の価値移転が起こるためです。
これを防ぐため、直近12か月の平均運転資金を基準額として設定し、クロージング日の実績が基準額を上回れば買い手が差額を追加で支払い、下回れば価格から差し引くという条項を置きます。訪問看護は月商の2か月分という大きな運転資金を抱える事業ですから、この調整の有無で数百万円が動きます。
注意点
精算条項の設計は、基準額の算定方法、対象とする勘定科目の範囲、精算の期限をどう書くかで結論が変わります。本記事の記載は一般的な整理であり、実際の条項化にあたっては公認会計士や税理士と設計してください。基準額の算定期間は、報酬改定の前後をまたぐと水準が変わるため、注意が必要です。
7. まとめ
本記事の要点を整理します。
- 訪問看護のBSは売掛金が大半、PLは給与費が収入の70.1%。見るべき論点は売掛金・人件費・負債の網羅性の3つが中心。
- 減価償却費は収入の1.4%しかなく、EBITDAと営業利益相当の差は年57万円程度。EBITDAマルチプルの議論は営業利益ベースとほぼ同じになる。
- 入金はサービス提供月の翌々月末。月商2か月分(平均で約695万円)の運転資金を誰が負担するかを、基本合意の段階で決めておく。
- 売掛金は額面で評価されない。返戻・査定の履歴、過誤調整の有無、自己負担分の未収金の滞留を、売り手が先に整理する。
- 簿外債務は未払残業代(移動・記録時間、オンコール手当)、賞与・有給・退職金の引当不足、社会保険の加入漏れの3つが頻出。未払残業代は3年分さかのぼると数百万円規模になる。
- 拠点別P/Lは会計の区分として本来あるべきもの。売上・人件費・直課経費の3層を24か月分並べ、配賦ルールを整理する。
- クロージングをまたぐ報酬債権はサービス提供日基準で帰属を切り、運転資金の基準額を設定して精算する。
まず取り組むべきは、売掛金の年齢表と返戻・過誤の履歴を12か月分そろえ、人件費を常勤・非常勤別に分解することです。この2つが揃えば、買い手の質問の大半に即答でき、デューデリジェンスの期間も短くなります。
医療・介護分野のM&Aについて、財務資料の整備から買い手の選定、精算条項の設計まで一貫して支援しています。弁護士と国税出身の税理士がチームに加わり、簿外債務の試算と開示の順序までご相談に応じます。
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